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試験の採点シーズン

採点シーズンである。

ある大学教員の友人から,次のような相談が寄せられた。以下Q&A形式でそのやりとりを紹介する。

Q. 私が担当している遠隔講義で問題が起こったのですが,相談にのっていただけないでしょうか。

実は昨日,遠隔講義担当の職員さんから「○学部の受講生のなかに,毎回,配布資料だけ受け取って,出席カード提出を他の人に頼んで,最初の2,30分で退席している者がいる」という「告発」メールをもらいました。メールには当該学生の学籍番号と名前が記されていました。

私は,基本的に△×キャンパスから講義をしていたので,教室のTVカメラだけでは○学部の教室(※別のキャンパス)の細かい様子は把握できませんでした。また,2回だけ○学部で講義をしたのですが,メールによると,当該学生はその回だけ最後まで受講していたとのことです。

この学生の成績評価をどのように扱えばよいのか迷っています。今までの平常点を鑑みると,期末試験でもそこそこの成績をとって,単位を認めることになると予想されます。

ストレートに出席と試験結果で成績をつければ,こうした問題が表面化することなく無難に済ますことができます。でも,それは私の信念に反する行為ですし,何よりも他のまじめに受講している大半の学生達のことを考えると,「フリーライダー」を認めるわけにはいきません。

また,上記のメールを信じて,当該学生を落とすと本人からのクレイムがあると予想できます。そのとき,証拠は職員さんからのメールだけになります。姑息な手段をとって単位をゲットしようとするような学生ですので,もしかしてその職員さんを巻き込むと,「逆恨み」されかもしれません。ですから,私個人としてはこのメールを証拠に使うのにためらいがあります。

当該学生の期末試験の成績が悪けりゃ何の問題にもならないんですけどね。お忙しいところ恐縮ですが,ご意見をきかせていただけると有難いです。

A. お答えします。

僕だったら,という仮定で話をしますよ。相当ひねくれ者ですよ。大丈夫でしょうか。

結論から言うと,僕だったらC(最低ランク)で通します。

科目の性質もあるかもしれませんが,まず「フリーライダー」は許せないとは僕は思っていません。そういうのでも試験問題が解けるのであれば,僕ならよしとします。同じ結果を出すために労力をはしょったことは,要領がよいと評価すらできるくらいなもんで,まあいいんじゃないかということです。それがいやなら教員のほうで,そういう連中には解けないような試験問題を出すことでコントロールするのが筋であろうかと思います。

また,他の真面目な学生にとって……という話もよく聞きますが,要は単純に授業を真面目に聞いて試験で一定の成績を出す学生と,授業を聞かずに試験で一定の成績を出す学生とがいる,という事実がまずあって,そのなかでいったいどっちが得をしているのかというと,ちゃんと授業を聞いている方ではないのでしょうか? 授業を休むということは,お金も払っているのに,自分が本来受けるべき教育サービス(と仮に言いますが)を受けていないということ,つまり損をするということであると思います。

だから僕は基本的には出席をとりませんし,すすんで出席したいと思っていない人間を教室に括りつけておくのは授業の邪魔にこそなれお互いの益にはならないと思っています。

もしも真面目な学生が不公平を感じるとしたら,授業に出席することがすなわち単なる苦役であり,その苦役をフリーライダーだけが免除されていると考えるからでしょう。そういう学生は,逆に言えば,すすんで僕の話を聞きに来ているわけではないわけで,そういう類の人には逆に言うべき言葉が僕にはありません。何か言うとしたら「人は人,自分は自分や。ガタガタ言うな,勉強せぇ」とだけ言います。

あと,唯一の証拠というか採点の根拠が職員からのメールになってしまうのもよくないと思います。たしかに事実なんでしょうが,それに基づいて落としたりしたら,教員が自らの基準に基づいて公正に判断して評点をつけたことになるのかどうか。だいたい,教室の様子もよくわからないようなユルいシステムを使ってする授業なわけですから,これは構造的な問題で,担当者が責任取れる話ではないんじゃないでしょうか。メールは平常点についてのあくまで参考資料として,自分に見えた範囲で自分が適切に判断すればいいと思います。

まあ平常点から多少引いてやるくらいならいいんじゃないでしょうか。もちろん,試験自体が通るか落ちるかギリギリラインだったら,落としちゃっても問題なく対応可能でしょうね。実力もいまいちで平常点にも疑惑がある以上。

というわけで,試験の成績がある程度よさそうでもCまで落としてやれば,僕だったら満足かなと。何で評価が低いのかは自分の胸に聞いてみろと。そんな感じです。

いかがでしょうか。だいぶひねくれた意見だろうと思いますが。それでも昔ながらの大学教員の考え方じゃないかと思います。

これをご覧の皆さまは,これについてどのようにお考えだろうか。私の考え方はいまやDQS(※非常識のこと)なのであろうか。教えてたもれ。

2 Comments

  1. くるみ くるみ

    初めて書き込みました。先生の講義は、まだ履修したことがないのですが、先生のHPを見て面白い方だなぁと思い、履修してないのに講義を受けたことはあります(笑)。今回のブログの内容は、興味深いものでした。やはり、先生方もいろいろなケースで悩んでいるんですね。確かに、出席していない生徒に対してそれで単位がとれるなんて不公平と思うのは、自分がその講義に興味がない証拠ですね。そういう考え方は、言われてみないと気づかないもので・・・自分もそう思っていた講義を思い出すと集中せずに居眠りしたり、ほかのことをしていた気がします。けれど、実際そう思ったところで、結局はいい評価はきちんと受講している生徒がもらえるわけで、特にサボっていた講義の評価が悪かろうと単位がもらえればラッキー、取れなければやっぱり・・・と思うだけで逆恨みなんて変な責任転嫁はしないかと思います。まぁでも、ちょっとしたことでキレる人が増えているこの御時世じゃあ無きにしも非ずですね。自分は、そんなことをしてもなんの得にもならないんでしないですけど。それに、適当に受けて単位が取れればいいなんて思っている人は、後々それなりの害を被るもので、それはそれでその人の人生なんだから・・・なんて実に他人事な感想ですけど、この辺で終わりにします。

  2. くるみさん,コメントありがとうございます。何という久々のコメントでありましょうか。感謝に堪えません。

    ええと,私の立場でこういうことを言うのは何ですが,私は自分が学生のとき,一生懸命出る講義と適当に流していく講義を決めるのに,「1週間まるまる休んでみるテスト」をときどきやりました。だって全部を一生懸命出るわけには物理的にいきませんから。

    1週間ぶっ通しで休んでみると,「ああ,あれはやっぱ出といたほうがいいよな……」とか「あの話は面白いよな」とかそういうものと,「あれは出なくても別に困らんな」「むしろ出るだけ時間の無駄」というものとがわかります。出るべき日に下宿にいると,ムズムズするからです。罪悪感というのではなくて,自分にとって必要なんですねその科目が。身体がそれを教えてくれる。

    あと,どんなに重要な科目でも皆勤賞ばりに全部出られるとはかぎりません。そんなときは,「自分の責任において休んだ回の分を穴埋めしておく」という気概が必要です。逆に言えば,それがありさえすれば1度や2度休んでも平気です。

    そのためには,ノートを仕入れることのできる友人たちのネットワークを日頃から大事にしておくことが重要です。ノートをコピーさせてもらうというのはズルをしているようですが,そのズルで楽になるのはノートをとる作業の部分のみで,結局そのノートで勉強するのは自分です。これはほんとに勉強しなければいかんでしょう。でその借りは,自分がちゃんと出て,とった授業のノートで返せばよいのです。それが相互扶助というものではないでしょうか。

    ていうか,「要領」「最小の努力で最大の効果」っていうのも,ある程度社会で必要とされる能力なんですがねぇ。

    まあ私の講義は「考える」講義であって,1回や2回休んだところであまり関係ない科目ではあります。家で考えてもいいわけで(笑)。これに対して,たしかに講義の特性上,1回でも休むとついていけなくなるようなものもあるでしょう。

    が,出席の厳しい先生の何割かの気持ちを推し量ると,たぶん「学生は気軽に休めていいよな。オレがこんなに努力して働いてるのに,学生の分際で簡単に休むなんてだいたい失礼じゃないか。てか生意気だ」ということなんじゃないでしょうか。教師も人間ですからそういう気持ちはわかってあげましょうね。大人になってね。

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