准教授になりました。それがどうした

2020年8月27日

さて私こと,この4月から「准教授」になった。別にめでたいことはない。フツーである。全国的に呼び名が変わったのである。

今までは,「教授,助教授,〔(専任)講師〕,助手」が日本の大学教員の職階だった(講師は大学によって置いても置かなくてもよい)。これが学校教育法の改正で,「教授,准教授,〔講師〕,助教,助手」となったのだ。まあここまではご存じの方も多くおられるかと思う。

なぜこうしたかというと,いろんな理由があるようだ。まず大きな変更は,旧助手を「助教」と「助手」に分けたこと。「助教」ってあなた。

助教は自ら研究し,教育に関わることもあるが,助手は事務的作業のアシスタントという位置づけ。旧助手ポストでは若い研究者が小間使いにされていたが,それでは彼らも育たなかろうと,もっと自分の研究ができるようにという話である。

まあそう言うならそれはわからんでもない。実際,旧助手が小間使いに使われるといえば理系の話であり,文系のうちでは若い研究者を助手として雇ってはいない。そのために「講師」というのがあるし。だから,助手の待遇については私はそんなによくは知らない。

▼あと,助教授が准教授になるというのがなぜかな?と思わせるだろう。これは要するに,アメリカン・システムに倣えということなのである。訳すときに困るから。

アメリカン・システムでは,「professor(教授), associate professor(協力教授), assitant professor(助教授), research assistant(研究助手)」となっているはず。違うかも。でもだいたいこんな感じである。カッコ書きはそれぞれ直訳。

今までは,「associate professor」はわれわれの「助教授」に対応するから,そのように訳してきた。だけれども「助教授」を直訳すると1コ下のランクと混同されることになる。あー,とにかくややこしい事態になることはご想像のとおりである。

おそらくそのために,「associate professor」に対応する職位の名称を変更したのであろう。しかしながら「assistant professor」を今すぐに「助教授」と呼ぶのは混乱を招くだろう。したがって「助教」というかなり新奇で不自然な名称をもってきたのである(実際にはかなり古い時代にそういう名称の職位があったとのこと)。憶測だが,ほとぼりが冷めたら「助教」は「助教授」にまた変更されるのではないかという気がする。

要するに,これもグローバリゼーションの帰結の一つなのだということ。

▼しかし,じゃあブリティッシュ・システムはどうなんだ。フレンチ・システムはどうなんだというと,アメリカン・システムに統一してはいないわけだ。もっとも,EUで統一しようという動きはあるけれど。

ブリティッシュ・システムについてはこないだイギリス人の同僚に聞いたけどきれいさっぱり忘れたので,ここではフレンチ・システムを紹介すると,常勤の先生は「professeur(教授),maître de conférence(助教授)」しかいないという話だ(「フランス高等教育・その四」)。実は「professeur adjoint」というのもないではない。辞書を引くと載っているが,あちらでは補習などのための補助教員のことらしい。しかもこれが「日本の助教授の訳語としても使われる」とあるから,それは混乱のもとではある。

だいたいprofesseurというと,小学校の先生でも何の先生でもprofesseurだから,語感がだいぶ違うのではないかなあ。とはいえ「Monsieur ホニャララ!」と呼びかけるより「Professeur ホニャララ!」と呼びかける方がかなり敬意が感じられるらしい。「~さん!」じゃなくて「~先生!」といった感じかな? そういえば昔F1で活躍したアラン・プロストは「Professeur」と呼ばれていたよね。坂本龍一が「キョージュ」と呼ばれるようなものだろうか。

▼話をクルリンパと戻して(ああ毒されてる),なんで「準」でなく「准」なのかは,よく質問されるFrequently Asked Questionである。要は法律に「准」と書かれちゃったので,と答えるしかないが,確かに不可解な点も多い。

そもそも「准」は「準」の俗字である。なぜ本字でなく俗字の方が法律みたいな正式なものの中で使われねばならないのか。そこが第一の疑問である。

この字を使っている職位というのは,すぐ思いつくものに「准将」とか「准看護師」というのがある。この2つについて軽く調べてみた。結論的にはよくわからなかった(すまん)。

「准将」のほうは過去の日本の軍隊(空軍は除くのかな?),現在の日本の自衛隊にはない職位であり,逆に2008年の創設が検討されているそうだ(by Wikipedia)。海外の軍隊では少将の下,大佐の上となる。ともかく日本にはない?ものなので,日本の法律の条文にこの「准」の文字があるわけではない。この語が発明されたのは,翻訳語としてということになる。じゃあいつどこの誰が「准将」なる表記をはじめて用いたのか。それについては調べがつかない。

「准看護師」のほうは,戦後の看護師不足を補うための緊急避難的措置としてできた職位ということはわかった。これは日本の法律の条文にある。保健師助産師看護師法だ。が,これもいつどこで誰が決めたのかはよくわからない。

どなたか教えてください。

共通して言えることは,「准」のつく職位というのはあんまり高くは評価されていないということくらいだろう。准将だって「少」将の下だから。准看護師のほうは正看護師と同じ業務なのに給料をケチられてるし。俗字を使われているというのは,バカにされているということなのではないか。

▼と考えると若干寂しい気持ちにもなるが,職名なんかはまあどうでもいい話である。どうでもよくないのは,「誰が文字を管理しているのか」という問題だ。考えてみれば,本字と俗字は本来同じ字であり,どちらか一つでもいいはずだ。つまり,字形の統一ができていないということだ。

字形の統一に際して,何を基準にするか。有名なのは最初の権威『康煕字典』とか,諸橋轍次『大漢和辞典』とかだろう。その統一された結果をわれわれは学校で習うことになるが,そうすると「文字の管理者」は文部科学省ということになるはずである。実際文科省のHPには,漢字の字体の問題を扱っている,とある。

しかしながら,近年では皆がパソコンで文字を書くようになった。パソコンで使う文字は,JISとかシフトJIS……だ。いやまあUNICODEは別として。つまり「日本工業規格」だ。てことは,パソコンの文字を管理しているのはと通商産業省の日本工業標準調査会 (JISC) ,工業技術院,財団法人日本規格協会,ってなもんだ。

だから,文科省が「この字形を本字と見なす」と決めたとしても,JIS規格はそんなものお構いなしなのである。この時代,

日本の文字を決定する権限は,実は文科省ではなく経産省が握っている

のである。

いや。知らんけどね。両者のあいだに話し合いがあるのかもしれない。が,これまでに齟齬が多くあったのは事実で,これはそう簡単に収拾できそうなものではない。

▼たとえば旧字体と新字体の整合性について,文科省は旧字体の部分(偏(へん)や旁(つくり)など)はいじらなかったが,JISはいじっている。たとえば「難」という字は文科省的に正しいが,「灘」という漢字は文科省的には正しくない〔注:このエントリーを書いた当時は正しい字が出なかったが、今は出るようになった〕。正しくは「灘」だ。さんずいをとった右側は,難の旧字体である。難が新字体になったからといって,灘の「部分」も新字体になるわけではないのだ。

こんなのはまあかわいい方で,最悪なのが「掴」という字だ。こんなのありえないんだけど。だいぶ見慣れてはきたんだけど。正しくは「摑」であろう。

あと人名によくある漢字で,「遥」という字。ちょっと前までは旧字体の「遙」がパソコンで出なかった。これについて昔『ASCII』(月刊ですよ)だったかに高千穂遙氏が文句を言っていたなあ。

あと,ワタナベさんとかのべ。あの字形の豊富さ(苦笑)は何とかしてほしい。字形の統一に完全に失敗している。先輩に澤邉さんという人がいて,本当はちょっとだけ違う字なのだが,役所で登録するときに「あんたの字はパソコンではこの字しか出ないから,文句があったら裁判を起こすように。以上」と言われたそうである。

個人的に声高に叫びたいのは,「凛」という字。これは「凜」の俗字である。下は「のぎ」なのだ。だけれども,もともと使用頻度が少ない字であることと,パソコンでは先に俗字が出てしまうことで,皆さん「凛」が正しい字だと思っていらっしゃる。そうじゃない。

ちょっと前までは「凛」は人名漢字に使えなかった。「凜」は使えたが。うちの娘は名前にこの字をもっている。これは,正式なところでは正式な文字で登録せよというとても正当なこと。しかしその後,俗字の方を人名漢字に使ってもよいことになった。そうすると,どっちが文科省的にコレクトな字なのかわからなくなってしまった。ペットボトルのお茶とか,日本酒とかに「凛」という字がついている。とどうしても,もっとそこはかとない味わいのある「凜」の字を想起しながら「それはちがうのに」と言いたくなってしまうのである。

こうやって文字というものは変遷していくのか……とも一方で思う。しかし,それでいいのかとも思うわけ。

▼あるいは,こんなふうに私が「文字は統一しようぜ」とか言うと,「統一しないのがいいんじゃん。いろいろあるのが豊かさってもんでしょ?」という人が必ずいる。いや論点はそこじゃないからもうちょっと聞きなさい。

私が問題としているのは,「文字の(ひいては文化の)管理者は誰なのか」ということである。「誰であるべきか」と言い換えてもよい。

それは,国民統合をやっている国家のどこかの部署が担当せねばならないはずだが,こともあろうに経産省に委ねるべきことなのだろうか?

私は,そういう権限を経産省に委ねるというのは,文化の根底をもネオコンに預けるというのは,そこまでグローバリゼーションの波に押し流されるというのは,すこぶる気持ちが悪い。軍事や産業を牛耳る人たちが,文化までを牛耳ることを許したいとは思わない。

だから,ここでの私の言いたいことは,「文科省さんも,巻き返しをはかったほうがいいんじゃないですか?」ということである。

現在この問題を巡ってこれらの省どうしのバトルがあるのかないのか,私は知らない。が,人を小馬鹿にしてかどうかは知らないが,ともかく,俗字である「准」の字を法律に書き込むようなことは,文科省の人には避けてもらいたかったと思うのである。

※島根県立大学e漢字フォントをお借りしてます。

追記 2007.04.08

テレビを見ていたら,「森鷗外」が「森鴎外」と出ていて,思い出した。そう,これこれ! これはひどい。「鴎」っていう字なんかなかったよねぇ。

そして,そうだった,人名の届出に関しては法務省が管轄だ。

とかいろいろ思って,昔の「文字コード問題」について調べなおした。と,いい記事がいくつかあった。以下に示す以外にもいろいろあるので検索されたい。

これらによれば,要は83年のJIS改正(83JIS改正)が「悪夢」だったということだ。これが「掴」「鴎」「涜」といったありもしない字を創造することにつながったらしい。現在では「摑」「鷗」「瀆」というようなまともな方の字も出るようになっていて,ハッピー。だけど83年製「簡体字」のほうも消えずに居すわることになっている。消えてもいいのにね。結果的に,パソコンが作り出してしまった文字というものがあるわけだ。

上記資料の中,特に3つ目はかなり分量が多く,勉強になる。むしろ多すぎてそう簡単には全部読めない。特に「第3部 JIS X 0213は世界になにを発信したのか?」の「特別編10 表外漢字字体表は、JIS漢字コードをどう変えるのか?」あたりの項目が参考になるだろう。もっとも,この筆者の考えそのものにはあまり共感できないが。

私は上で文字の標準化を望んでいることを吐露したが,標準自体は時代によっていろいろ変遷があるに決まっている。83年に過渡的な「混乱」があったとしても,現在はそれなりに収拾されているように見える。ここまでの歴史は,私はちょっと文句を言ってみたが,これはこれでしかたないと言うしかない。

ただ,議論にかかる時間が長すぎる。83年の混乱を収拾するために出された「表外漢字字体表」は,92年に出されている(これは「文科省の巻き返し」にあたる)。ちょっと時間がかかりすぎである。今後はもう少し議論の主体が限定され,スムーズに改訂が進むことを期待している。

てかユニコードをどうにかして!