苦労話(6の1): OMI召喚状(もしくは郵便転送)の壁

2018年7月9日

最近,昔のエントリーで盛り上がっているので,新規にスレを立てたい(ちょっと違う)。とりあえず私は「客員研究員 chercheur étranger」という身分で渡航しているので,そのかぎりでの情報をまずは紹介するが,それ以外のDEAの学生さんとかの情報もお寄せいただければ,研究のための渡航したいと思っている皆さんの利益に供するのではと思う。どうぞこちらに皆様方のコメントを。

▼整理すると,これからフランスで海外研修をしようとする研究者(以下「挑戦者」と略)がしなければならない法的手続きは,以下のような流れになろうかと思われる。

  1. 受け入れ先大学の決定。受け入れ大学からのプロトコル・ダキュイの取得。
  2. 大使館からの研究者ビザの取得。

以上までを渡航前にする。渡航後に,

  1. 受け入れ大学に出向き,滞在許可証取得に必要な一連の申請書類をもらい,記入し,大学に提出する。証明写真3枚も同時に必要。
  2. OMI(移民局)からの健康診断のための召喚状 convocation を待つ。来たらそれをもって指定の日時にOMIに健康診断に行く(注・最近OMIは場所を移転したらしい)。
  3. 警察庁 Préfecture de Police で受領証 récépissé をもらう。
  4. 警察庁で正式な滞在許可証 titre de séjour (研究者用)をもらう。

大学に行くのもOMI(Office des Migrations Internationales)に行くのもプレフェクチュール(注・「プレフェクチュール」とよく言うが,たいていの場合は「プレフェクチュール・ド・ポリス=警察庁」の略であって,地方自治体の「県庁」という意味ではない。しかし県庁もたしかにこの手続きに関係がある――プロトコル・ダキュイに県庁の印が必要なのである。ので,文脈で判断する必要がある)に行くのも全部まずはアポイント rendez-vous なので,挑戦者には「フランス語で電話をかける」という試練がまず課されることになる。フランス語に自信のない人はけっこうイヤだろう(私もいまだに非常にイヤ)。あらかじめ紙に仏作文しておき,ゆっくり「心を込めて」(棒読みだと通じにくいという意味で)読めば大丈夫だろう。

手続き自体は基本的には大学が仲介してくれるわけで,その点ラクなはずだが,自分の与り知らないところで何かが進んでいる(いないかもしれない!)というのは気持ち悪くもある。何にせよ大学とのコミュニケーションをうまくとらねばならない(その点私はできてない)。

また,うちのように家族同伴だと,妻の配偶者ビザも同時にとらねばならない(子どもは11歳未満は必ずしも不要。あえて取ることもできる。そのメリットは後述)。初めて配偶者ヴィザをとる場合(更新でなく)にはOMIの収入印紙(55€)が4枚必要。つまり220€も必要なのである。実際には本人にも必要なのだがこの分は受け入れ大学が負担しているという話である。

▼今回は渡航後の段階について。この手続きは私としては,いまとなっては「比較的楽だった」と言えるだろう。ただ,大学のミスと私自身のミスと不動産トラブルの余波で,少々手間ヒマを浪費した。以下そのことについて紹介したい。

3月18日,私は大学の教員人事部 service du personnel enseignant にランデヴーがあった。指示どおり私と家内の証明写真をもって,のこのこ出かけた。

何とか目的の事務室にたどりつき,担当者の女性(人事部のボス)に会うことができた。彼女はとても忙しそうにしており,バイトのお姉ちゃん(どう見ても高校生ふう)が電話を取っては「どうすればいい~?」みたいにいちいちボスに聞いていた。この分業にはいかなる意味があるのだろうか,とぼんやり考えながら眺めていたが,あとから考えればこの時期は「研究を救おう!」キャンペーンで,管理職がみな辞表を叩きつけていたときだ。「忙しそうですね」とおべんちゃらを言うと,「ひどいもんです Terrible.」と笑顔が返ってきた。よかった。いちおう気のいいおばちゃんである。「よい滞在を! Bon séjour !」とか言うし。ありがとうございます。残念ながらすでにそういう気分ではないのですが。

このとき私は一人であった(妻同伴でなかった)ので,自分の分のほかに妻の分も書類をもらい,そこで記入し,提出することになった。実はここで記入にミスがあったのだ。これがあとで余計な手間を生じた。

が,ともかく表面上は問題なく書類を提出する。しかし妻のサインが必要な箇所がやはり2,3ある。それについては書類を家に持ち帰り,妻のサインをもらって大学に郵便で返送することとなった。即サイン&返送。

これで渡航後篇第1関門クリア(表面上)である。次は召喚状が来るのを待つだけだ。

▼ところがやはり不動産の関係で微妙な問題が生じていた。引越しなければならなくなったのだ。しかも引越の期日はまだはっきりしない。もし引越をしたら,もちろん郵便物の転送を行うけれども,その召喚状が新しい住所にちゃんと届いてくれるだろうか? とりわけ,召喚状にはランデヴーの日時という情報が含まれるが,その日までにちゃんと届くのか? 

これは別のエントリーで書く必要があろうが,フランスの郵便は日本のようにシュアーなシステムではない。たいへん「郵便的」なのである。すなわち,届くときは届くけれど,届かないときは届かない。あるいは届いても遅れたり,まあいろいろなのである。とくに小包関係。そしてそれがノルマル(普通)なのである。ということを知って初めてデリダや東浩紀さんの議論の意味がわかろうというものである。

日本なんて,郵便じゃないけれど宅配便などは「お届け時間」が4時間ごとに指定できたりする世界であるから,フランス人たちが当たり前と思っている前近代的な(とわれわれには思える)システムはとても心細いものである。なおかつ,しかのみならず,転居後の郵便物の転送は6ヶ月間のみであり(日本は1年),しかも有料で,金額もかなりのものである。18ユーロ以上したはずだ(日本は無料)。日本も郵政民営化したらこうもなろうかという惨状なのである(いやそれはわからんけど)。

▼話をもとに戻すと,このタイミングで住所が変わるというのはかなり厄介である。通常の郵便事情でもランデヴーまでに届くかどうかちょっと心配なのに,転送されていたらさらに遅延が出る。しかし仕方がないものは仕方がない。4月25日に前のアパートを引き払い,新しいアパートに転居したのだった。転送サービスに申し込んだのは4月26日。サービス開始は5月3日である(遅すぎるわ! その間どうすんねん!)。

心配していると,妻の分の召喚状が転送されてきて新居に届いた。5月6日にだ。ランデヴーの日時はその翌日7日になっていた。ぎりぎり間に合った,ラッキーだ! しかし,私のは? ない。

うちのアパートは各戸に郵便受けがなく,管理人が届きものを配って歩くシステムである。なのでとりあえず管理人に聞いてみた。が,そんなのは見てないと言う。近くの郵便局に行って聞いてみた。しかし,そういうのは転送されてきてないと言う。

前のアパートに届いているかもしれない。わざわざメトロに乗って前のアパートに行き,そこの管理人に聞いてみた。いくつかの郵便物はすでに転送したが,もうずいぶん前だという。よくよく聞くと日時が合わないのでやはり目的のものではなさそうだ。その近くの転送元にあたる郵便局に行って聞いてみた。ないねぇと言いつつ「配送サービスセンター」か何かの電話番号をくれた。ここに聞いてみればというのである。聞いてみた。やはり,ないとのこと。やっぱり,まだ向こうが発送していないのだろうか。

まあいいや。とにかく妻に連れ立ってOMIに行って,直(じか)に聞いてみればいいじゃん。オレの分はどうしたんやと。送ってないんかいと。

▼というわけでOMIを訪れた。聞いてみた。「妻のコンボカシオンは来てますが,私のは来てないんです。同じときに手続きしたのに。おかしくないですか?」。すると,「いや,それはたぶんおかしくないと思いますよ」と言いながら,コンピューター端末のつながっている窓口に連れて行かれる。そこでもう一度聞けという(別の人に)。出たな妖怪たらいまわし。聞いてみた。「妻のコンボカシオンは来てますが,(以下同文)」。すると窓口の,水平方向に大きな彼女はパソコンのキーをパチパチと叩き,そっけなく「11日ですね」と言う。

なるほど! それならわかる。同じ手続きをしたといえども夫と妻は別の資格。妻が早くて夫が遅くても理解できる。それに,届いていないのも理解できる。妻のときにランデヴーの前日に届いたなら,私のときにもランデヴーの前日に届くと考えるのが帰納的思考法である。科学的だ。じゃあ,明日届くんじゃん。オッケーオッケー。サバサバ。セボン。そこからは妻一人が健康診断,私は単純に娘のお守りで待つばかりである。

▼さて,というわけでその翌々日に私のコンボカシオンは我が家に届くはずであった。しかし,実際には届かなかったのである。帰納法の敗北である(ということはない)。

やきもきしどおしであった私は,もはや諦観していた。どうせ手はいくつかしかない。あくまでもコンボカシオンを入手すべく尽力するという手が一つ。これはしんどすぎる。あるいは「コンボカシオンが来ていないのだから,行かない」という手が一つ(多くのフランス人はこちらだったりする)。もしくは「コンボカシオンが来ていようがいまいが,ランデヴーは明日なんだから,明日行く」という手が一つ。もちろん私は最後の選択肢をとった。ていうか普通日時知ってたら紙がなくても行くやろ。しかもコンピューターの中に記録が入っているのを見たから,紙がなくても大丈夫。問題はそれを係官に首尾よく説明することだけである。あとは係官がいいやつであることを祈ること。

「私はコンボカシオンをまだ受け取っていません。しかし一昨日,妻についてきた際に私のランデヴーが今日であることをあそこの(窓口奥を指さす)コンピューターで確認してもらいました。ついては,『いま受けさせろ』」と柔和に言ってみた。すると,係官は同僚とこちゃこちゃ話しだし,「パスポート貸して」というから貸してやると,「ちょっと調べるからそっち側(列の脇)で待ってて」と言う。待ちながら,列に並んでいた別の日本人としばらくしゃべっていると,「ハイこっちきて」と言う。あとは紙がなくても普通に受診することができた。

言ってみるものである。こういうとき,四角四面に「困りますねぇ。紙がないと……」とはきっと言わないのがフランス人である。

▼健康診断そのものは,しょうもないものであった。身長体重などの測定。視力の検査。胸部レントゲン。検尿はしなくてよかった。最後に問診で,「おや?」と思ったのは問診中に専攻を聞かれたこと。「精神分析を勉強しに来た」とたどたどしいフランス語を発すると医師はそれをメモメモ。OKが出た。

ちなみにこの際に偶然お会いしたのが新潟大学のN山先生ご夫妻,そして名古屋経済大学のH田さんの奥様(Y子さん,そう,わが息子の誕生パーティーで後に大活躍するあの方です!)であった。外国人ばかり固められているところだけに,こういう出会いもある。しかもH田さんは同じ進化経済学会の会員であった。これも何かのご縁である(ちなみにH田さんも同様にコンボカシオンが大学に送られていて知らせてもらえず,結局OMIに直接何度もコンタクトしてランデヴーを取り直してやっと健康診断を受けたそうである)。

そしてこの健康診断の過程で,私はあることを発見した。私のカルテには私の住所ではなく,大学の住所が記載されていたのだ。つまり,私のコンボカシオンは,大学に届いているはずなのである! 大学はもちろん何も言ってきていない。つまり,私のコンボカシオンが期日までに私の手元に届かなかったのは大学の落ち度なのである。というか,大学のどの部署に私の郵便物が届くようになっているのか,そもそも判然としない。もはや聞く気もおきない。あるときFondation Kastlerから送られてきたはずのものも,結局私には届いていない(何でもこっちからいちいち言わないといけない)。まあ重要なものでなさそうなのでブッチ。

ちなみに,6ヶ月の予定でパリに滞在されていた神戸市看護大のM葉先生は,OMIの健康診断そのものをブッチされていた。なぜならレセピセがあればもう6ヶ月は合法的に滞在できるからである。頭いい~。

▼今回はまあ,結果的に何とかなったからよかった。まあこんなのはフランスでは日常茶飯事である。いちいち怒っていたら身がもたない。結果オーライで行くしかない。1年間の滞在許可を得るために,何ヶ月もかかるこのしんどさ。要は,抜いてよいところで力を抜くことを覚えなければならないのだ。

最終的に,「CERTIFICAT MÉDICAL」というタイトルの黄色っぽい紙をゲット。これをもってプレフェクチュールに行く必要がある。

というわけで,これで渡航後篇第2関門クリア。(つづく)

(皆さまへ あとで画像の類も入れようと思います。今日は寝ます。)