ワタクシ初の単著本が出ました

2020年5月20日

博士論文(2001年)をベースに,本を出しました。

ちなみに実際店頭に並ぶ際には,タイトル文字と同じ群青色の帯がついておると思われます。

内容は土台が博士論文ということで,20代の仕事の総決算+α。もっと早く出すべきものでしたが,あんまり私がペーペーなもので,こんなもの出しても売れるかどうかってなことで,出版社との折衝が難しかったのでした。そういう意味でナカニシヤさんは懐深いです。足を向けて眠ることができません。合掌。

学術書とはいえ思想系だ,売れてくれーとは念じてみますものの,ムチャクチャ売れるとも思えませんし,当方としてもそれは仕方ないと考える次第ですが,あまりに売れないと出版社にも迷惑がかかりますので,この場を借りて販促させていただきたいと思います。人助けと思って,たとえお読みにならなくともお買い上げください。A5サイズ250ページで税込3,150円です。

以下は明日(5日)店頭配布予定の,ジュンク堂さんの書評誌『書標』(無料)に掲載される文章の再掲です(許可済み)。

「貨幣と精神――生成する構造の謎」

93年、岩井克人『貨幣論』が出版されて話題となり、サントリー学芸賞を受賞しました。そのあと立て続けに貨幣関係の本が出版されたり、地域通貨が流行り出しました。もちろんそれ以前も貨幣関係の本はあるにはありましたが、かなり毛色の違うものばかりでしたから、やはり岩井貨幣論は当時の日本に相当の影響を与えたと言えるのでしょう。

では岩井貨幣論というのはどういうものでしょうか。彼は「貨幣とは、循環論法を生きる存在である」と言いました。価値があるからみんながそれを欲しがるのではなくて、みんながそれを欲しがるから自分も欲しい、つまり価値をもつ。貨幣とはそういう存在だということです。株みたいなものですね。とすると、貨幣というのは「奇跡」的にぎりぎり成り立っている危ういものということになりますから、いつでも崩壊する(「ハイパーインフレ」になる)可能性がある、という話になります。

しかしながら、私にはこのストーリーには違和感がありました。単に「お金は紙切れだ」ということなら誰でも知っています。それよりもお金の不思議なところは、それが本当は紙切れにすぎない(とみんなわかっている)のに、それでもみんながそれを崇め奉り続けねばならないという、その必然性にあります。

たとえば、旧ソ連でルーブルの信用がガタ落ちになったとき、外国製たばこの箱がルーブルに代わって流通し、冗談でソ連は「マールボロ・カントリー」と呼ばれていました。そこではたしかにルーブルは「貨幣の座」から転落しましたが、貨幣の座が空位になったり、貨幣の座そのものがなくなったりしたわけではありません。むしろそういう状況では、いろんな別のものが貨幣の座につくことになるのです。言い換えますと、何が貨幣の座につくかは偶然ですが、貨幣の座そのものができてくることは必然だ、と思われます。

ポストモダン以降の現代思想では「中心のないシステム」というものがもてはやされましたが、私はこれに懐疑的なのです。もちろん〈中心〉(そこを中心として秩序ができあがっているような、ある特権的な準拠点)が空虚・空洞・スカであることはよくあります。民主主義の世では、中心-周縁といった非対称な権力関係はないほうがよさそうなものですが、しかし現実には中心そのものがないようなシステムというのは希有なのではないでしょうか。行政にしろ、企業にしろ、学校にしろ、町内会にしろ、私たちが具体的に帰属している組織は中心をもったシステムがほとんどでしょう。

頭の中もそうで、〈中心〉なしにいろいろな経験や観念を秩序立てて整理することは、どうもできそうにありません。ここでジャック・ラカンの精神分析理論が思い出されるわけです。ラカンはフロイトを引き継ぎながら「脱中心化された主体」を論じた人ですね。他方、主体にとって環境である社会の方も、同時に脱中心化されています。完璧なものじゃないよ、とか根拠があるわけじゃないよ、という意味で。だって社会が基盤になって主体を生み出し、主体が社会を支えたとすると、まるっと全体が無根拠ですから。ただしこの関係全体は、無根拠ではあるけれども、はじめから成立しないのではなくて、やはり、なぜか成立してしまうのです。

空っぽな中心をもつシステムというものがなぜ/どうやって出現するのか。言い換えれば、自分の靴紐を自分で引っ張っているだけなのに、何で実際に身体が浮くのか。そういうことを考えるには、まずはラカンに教えを乞うのがいちばんだと私は思います。

この小文,字数の制約でいろいろ言いたいことが言えてませんが,それはまあ詮なきこと。これ以降また発言の機会が増えればと思っとります。よろしくお願いします!

〈目 次〉

序章 課題と方法――「下からの秩序」とその〈創発〉――
1 本書の主題
2 本書の戦略
3 本書の構成

第I部 貨幣

第1章 傾性論と懐疑論――社会秩序と貨幣の起源
1 秩序問題
(1)三つのアプローチ
(2)二つの解決策
2 例題――貨幣の起源問題
3 事前から事後へ
4 特殊から普遍へ

第2章 目的論と機械論――経済学的人間観
1 経済学的人間観
2 機械論的計算の困難――計算量の問題
3 目的論的計算とケインズのタイム・パラドックス
4 限定合理性からフレーム問題へ
5 先行研究の評価とわれわれの見通し

第3章 マルクスと貨幣――資本の論理
1 マルクスの「客観」価値説
2 「回り道」と「論理の移行規定」
3 「転倒」の内実
4 ラカンの導入

第II部 精神

第4章 ラカンとファルス――象徴界の構造化理論
1 現実界・象徴界・想像界とシェマL
2 隠喩と換喩
3 クッションの綴じ目
4 想像的/象徴的去勢

第5章 主体と〈他者〉――主観と客観,構成主義と実在論
1 自我の分割
2 主観と客観の二元論
3 現象の奇妙な「リアル」さ
4 素朴実在論への退行――イーグルトンの場合
5 〈他者〉はいかなる意味で「超越(論)的」か

第6章 超越論と脱構築――「否定神学」批判の陥穽
1 「否定神学」批判を検討する
2 郵便物の誤配は郵政公社を前提しないか
(1)ラカン対デリダ
(2)錯誤に基づく真理
3 理論家の課題

第7章 聖なるものと構造――ラカンの貨幣論
1 モース対レヴィ=ストロース
2 構造主義の方法――言語学と数学
3 聖なるものの〈力〉再び――純粋贈与・贈与・交換

第III部 貨幣+精神

第8章 論理と運動――否定から疎外へ
1 自己言及と〈創発〉
2 時間を産出する論理/構造
3 疎外と分離――欲望の欲望へ
4 構造の創発、すなわち「否定」の創発

第9章 生命と機械――意識と無意識の双対的共立
1 オートポイエーシス――コンテクストの学習についての
2 媒介者の「選択」としての「判断」
3 否定から時間形式の産出へ
4 内部観測と精神の計算

第10章 小括と展望――もしくは次なる探求の序章
1 小括――〈創発〉に関する一般論
2 展望(1)――「近代」と「一元化」の必然性
3 展望(2)――「近代」と「定量化」の必然性

あとがき

文献一覧
事項索引
人名索引

書名も章名も,全部「○○と××」にしてあるんですけど。「細かすぎて伝わらないモノマネ」みたいな感じですね。