ジャック・デリダの訃報は,いかなる出来事の『前夜』にもたらされたのか
8日金曜日夜~9日土曜日未明(日本時間だと土曜日の朝かな),あのジャック・デリダが亡くなった。享年74歳。膵臓ガンだったそうだ。実は昨年度エコール・ノルマル・シュペリュール(右写真)で予定されていたデリダの講義が突然取りやめになったとは聞いていたのだが,やはりそういうことだったのである。んー。とりあえず合掌。
なお,高橋哲也さんたちによって発刊されたばかりの『前夜』にもデリダの文章が載っているらしい。いつの時点での原稿だろうか。ともあれ,思想界ではしばらくは追悼の意味も込めてデリダの話題が取り沙汰されることだろう。
しかし,『(戦争)前夜』とはいったい何事だろうか。いまはれっきとした『戦時中』ではないのか。そして日本は大多数の国民の反対を押し切ってまでもはっきりと参戦しているではないか。この「前夜」グループはそう鈍感な人たちでもないはずだが,どうも一般に日本の世論には,「いま自分の国は戦争をしている」という感覚が薄いことが懸念されよう。これも大手メディアが本当のところを伝えていないためだ。
今後権力の暴走を防ぐためには,権力に阿ることのない独立系メディアの発達と,情報受信者側のメディア・リテラシーがぜひ必要になってくる。正確な情報は,座っているだけで向こうからやってくるわけではない。自分で主体的に収集しなければならない。が,受け身でいられないということはけっこうしんどいことだ。いまの日本人は徹底的に受け身だから。自分のことで精一杯で,忙しいからね。
政府の愚民政策が功を奏しつつあるといったところか。しかしながら,近視眼的な一部の者が推進する愚民政策は,国際的視野での公益を損なうものであるがゆえに,長い目で見れば必ず国益をも損うものである。ここはナチズムの教訓に学びたいところだ。