いじめの件について

2018年5月30日

ご案内のように,このところいじめの被害者たちが自殺している。文科省は毎日届く予告状への対応に苦慮しているらしい。

いじめられた人間が自殺する理由は2つ。(1)いじめられている環境から抜け出せるから。(2)いじめたやつらに抗議できるから,あるいはそいつらを社会的に制裁できるから。自殺というオプションは,この意味で一石二鳥なのである。両方の動機があるからこそ,死ぬのもアリかなと思えてくる。

ということがわかっていれば(想像すれば誰でもわかるよね?),この期に及んで「命を大切に」なんて表層的な言葉が何の意味もないのはわかりきったことである。なのになんでそんな変なこと言ってる人がいるの? 命を大切にして,卒業までは毎日地獄でも耐え抜きなさいとでも言うつもりなのか。サディストだなあ。

予告状への対応は,だから,ちょっとかわいそうだが「むやみに報道しないこと」が正解。それがマスコミに出ず,抗議として成立しないのであれば誰も予告状は出さないし自殺もしない。ヘタをすると無駄死にになるからね。ニュース23の筑紫哲也が言ってたそうだが(自分は見てない),WHOも遺書の公開などはするなと言っているそうだ。

「写真や遺書を公表しない」
「自殺手段の詳細を報道しない」
「自殺の理由を単純化しない」
「自殺の美化やセンセーショナルな報道は避ける」

これも正しい。すでに出てきている予告についても,「今後当分のあいだ,自殺者が出ても報道しない」姿勢をマスコミが明確にすれば,全部は無理だろうが,何割かは防げると思う。

死なないようにしておけば,あとはマル激内藤朝男さん(社会学者。『いじめの社会理論』)の回を参考に。学校内に市民社会のルールを導入せよと。基本的にあれが解である。というか何で今まで放置されてきたのだろう。理解に苦しむ。

知人が自分の学生時代について振り返って,どうだったか話してくれたことがある。「だからな,学校に本物のヤクザがおんねん」とか。爆笑やけど,アホやな。ヤクザなんか学校におったらあかんよ。