ちょっとだけ文献紹介
こんにちは。一見クールに見えて実は愉快な中野です。
変な記事を挟んでしまいましたが,先日の認知科学会ワークショップ,フジタゼミで私がお話ししたことに関連する文献をいくつかお示しします。入手しやすいもの,日本語のもの中心。絶版のものもいい本は入れて。細かいものとかはこれらの文献の中に当然挙がってますので,興味のある方はここから芋づる式に勉強してみてください。
要は,われわれは「二項関係を反転する理屈」をどこかから調達してくる必要があります。たとえば今村仁司の「第三項排除効果」でスケープゴートが聖なるものに反転するとか,マルクスの「価値形態論」で左辺と右辺が反転するとか,メラニー・クラインの「投影」で主語と目的語が反転するとか。ついでに後件肯定の三段論法はアブダクションとも見なせるとか。
そんなふうに,そういう反転があるんだよ,という指摘はいろいろあったわけです(浅田彰の「クラインの壷」ですな)。しかし,それがなぜ/いかにして起こるのかという話は従来なかった。ほとんど,というより全然なかった。と言えると思うなあ。そこがいま私の目指している先です。
現時点ではとりあえず,無意識ではそういう推論(二項をひっくり返す)もありだということを仮定すると,わからないことがいろいろ説明できるようになりますよ,という話になってます。でも本当は,なぜひっくり返さなきゃなんないのか,が究極のゴールですよね。いまはそこまでの途上の段階ということです。
なお,ワークショップでの報告者のパワーポイントファイルは以下からダウンロードできます。
服部先生のサイトですが,ここも充実させていこう,ということになっています。
それではどうぞ。
### ○ 認知心理学
* 市川伸一 『考えることの科学――推論の認知心理学への招待』 (中公新書)
* 市川伸一編 『認知心理学4 思考』 (東京大学出版会)
* ジョンソン=レアード 『メンタルモデル――言語・推論・意識の認知科学』 (産業図書)(絶版)
* エヴァンズ/オーヴァー 『合理性と推論――人間は合理的な思考が可能か』 (ナカニシヤ出版)
* 山祐嗣 『思考・進化・文化――日本人の思考力』 (ナカニシヤ出版)
### ○ 論理学
* 野矢茂樹 『論理学』 (東京大学出版会)
* Deborah J. Bennett, Logic Made Easy: How to know when language deceives you, Norton, 2004.
### ○ パース関係
* パース 『連続性の哲学』 (岩波文庫)
* 伊藤邦武 『パースの宇宙論』 (勁草書房)
* ブレント 『パースの生涯』 (新曜社)
* 米盛裕二『アブダクション――仮説と発見の論理』(勁草書房)
* シービオク 『シャーロック・ホームズの記号論――C・S・パースとホームズの比較研究』 (岩波同時代ライブラリー)
* エーコ/シービオク 『三人の記号――デュパン,ホームズ,パース』 (東京図書)
* 『大航海』No. 60,特集 パース――21世紀の思想(新曜社)
### ○ 無意識の論理
* カザーニンほか(著),前田利男(訳編) 『言語の構造と病理』 (誠信書房)(絶版)
* アリエティ 『精神分裂病の心理』 (牧書店)(絶版)
* 安永浩 『ファントム空間論――分裂病の論理学的精神病理』 (金剛出版)
* マテ・ブランコ 『無意識の思考――心的世界の基底と臨床の空間』 (新曜社)
* Eric Rayner, Unconscious Logic: An introduction to Matte Blanco’s Bi-logic and its uses, Brunner-Routledge, 1995.
* 中沢新一 『対称性人類学』 (講談社選書メチエ)
### ○ 自分の書いたもの
* 中野昌宏 「コミュニケーションにおけるAha! は,「話が裏返る」ことによってもたらされる」 『InterCommunication』No. 58(NTT出版)
* 中野昌宏 「パースとラカン」 『大航海』No. 61(新曜社)
また何かいいのを思い出しましたら追加しますし。
ディスカッション
コメント一覧
対称モードが良識から分断されて、病院に「閉じ込め」られるに至る事態は『省察』に記述されていないでしょうか。対称性は「悪霊」、非対称性は「騙さない神」として代表させることができるかと思います。問題はコギトの身分で、だからラカンがデカルト主義ではなくデカルトについて語っているのは偶然ではないと発表しましたら、ブーイングでしたけど。ただ私としては「構造的原因」よりも中野さんが先日やっていたような現象面(?)の記述がとても刺激的でした。
『貨幣と精神』つきました。まだちょっとしか読んでいませんが、あふれんばかりの啓蒙的精神に感動しました。(注・天丼屋で読んでいて、夢中になっていたら、少しタレが付着しました。)この「文献紹介」とあわせて大事に勉強させていただきます。
追記 中野さんは超クールです。
ネモトさん,どうもです。
私は褒められて伸びるタイプなのですが,あまり褒められ慣れていないので落ち着きません。あっ。実は褒めてないというオチか?
すいません。あまりに動揺したのでデカルトについて書くのを忘れました。
個人的には,衝撃発言かもしれませんが,「デカルト的二元論はアリだ」と思っています。ポスト・モダンの人々は(自分はそこに入らないと思ってるんですが)何でもかんでもともかくデカルトが悪い,と言ってきたきらいがあります。
しかしながら,デカルトがいたから前に進んだという(前ってどこやと言われると困るんですが)のは否定できないと思います。
つか,功罪両面があると評価するのがどう考えても筋ではないでしょうか。
でですね,ラカンがデカルトについて語っている部分,僕がフォーカスするのは「確信」についてです。拙著にも書きましたが,デカルトって「客観性」について語っているようでいて実は「確信」について語ってるだけなんですよね。そこが最晩年のヴィトゲンシュタインと被って面白いと思ってます。
考えてみると今デカルトを持ち出すのは、ポレミックであるか、時代錯誤であるかのどちらかと見なされるんですよね。ちょっとポストモダンの潮流に無自覚であったかもしれません。ラカンがデカルトについて語るだけで、「それみろ、ラカンは表象の主体とその形而上学をぶりかえしてるじゃないか」なんていいだす学者がいるくらいですから、敏感になっているのですね。
デカルト,ある意味おいしいポイントです。プレモダンとモダンの蝶番ですから。時代錯誤,いいじゃないですか。あえて外してるほうが。
認知科学会は最近ご無沙汰なのですが、今年も海外出張していて出席できませんでした。しかし、便利な世の中になったもので、ご発表のファイルはダウンロードさせていただきました(決して悪用はいたしません)。
哲学者はずいぶんといろんな視点からモノを考えられるな~と感心しているところで、とくに建設的意見がなく申し訳ありません。自然に習慣とされた、あるいは考案された「論理」がどういう点で狩猟・採集社会で合理的だったか、さらに、それをなぜ近代の論理学が抑制する必要があったのか、そのあたりを知りたいなと思っています。
ちなみに、2002年の拙著は、文化心理学を勉強し始める前に書いたもので、日本人論についてはお恥ずかしい限り。穴があったら入りたいです。
バイロジックの負の側面
ずうっと前の記事だが、今の日本の社会は、学校教育を中心とした母性原理と、資本主義的な父性原理が、あたかもヘドロの詰まったカプセルのように、母性が内的になっ…