世界がもし100人の村だったら考

2020年4月24日

ダグラス・ラミスという人は,以前からなかなか鋭い人だと思ってはいた。もと津田塾の政治学者で,護憲派の論客,現在は沖縄在住とのこと。これはまた政治的に微妙な土地であるよ。今日も琉球新報の,彼の手になる明瞭簡潔な(しかもかなり古い)記事を発見して,思わず快哉を叫びながら溜飲を下げた私こと中野であった。

……ともかく,彼が関係している本のなかで最も売れている(amazon調べ)のがこの本,ご存じ「ネットロア」代表の,『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス)である。この本は,趣旨はたいへん高邁であり,教育上もよろしいものであるが,不肖私としてはちょっと気になる点もなくはないのである。

「誰かがすでにコメントしていたらもう言わんとこう」というか,「そんなん言うのは野暮」みたいな,そんな細かいことである。しかしGoogleのロボットが巡回する範囲では,今に至るまで誰もコメントしていないようなのである。うーんどうしたものか。


とても簡単なことで気が引けるが,その点についてはこの本が出た当初からずっと悶々としていて,それはもう地面に穴を掘ってはその中に叫んだりしていたのである。エントリーを作った以上は書かないわけにはいかない。うぅ,手が勝手に……。

▼さて,この本のポイントは「63億人」という数字を「100人」に縮めたところにある,とはどんな書評も(amazonの読者投稿も含めて)触れている平凡な事実である。ここに何か心理的な効果,あるいは悪く言えばトリックはないだろうか? というかあるに決まっている。数字を小さくする(パーセント表示する,だよね)だけで事実が変わるわけはないのだから,この本の説得力は心理的効果から来るものだということは疑いない。

ところで読者という存在は,各々「1人」の人間,しかもこの地球上に住んでいる人間である。この点を確認すれば……,もうお気づきではないだろうか。

そう,読者各自は,この本の設定を受け入れた瞬間に,地球人口の63億分の1サイズから,一挙に

地球人口の100分の1サイズにまで巨大化する

のである! ドドーン! 

これは単純計算はしにくいけれども,6300万倍に巨大化するということだよね。わかりやすく言うと,ウルトラマンの変身などよりはるかに巨大化するわけで,ざっと日本の人口の半分くらいの人が凝集してホッブズの「リヴァイアサン」みたいに(わかります? そういう名前の本の表紙を見てね)1つの人型になる感じ。別の言い方では,日本にはこれが2人できる,とか。読者の視点はこういう巨人に同一化することになるのである。

ま,気づいていればよいのだが。

あるいは,63億を100に変換したときに,自分の存在は無視できるほど小さくなる=自分は0人と勘定する人もいるだろう。が,本文には「~~な人は何人です」というくだりがたくさんあるわけで,そこで~~な人に共感する際には,「1人」という自分の側の単位(サイズ)を投影しているハズ。胸に手を当ててみていただきたい。人間とは,他人に対して想像力を働かせるときも,まずは自分の基準をもってするものである。それしかないから。

いえ,気づいていればいっこうによいのです。

ああ,言うてもうた。でもすっきりした。

▼念のため。この本にケチをつけているというのではないので,罪滅ぼしに宣伝を。上述の心理的効果を頭に入れてお読みいただければもっけの幸いです。

世界がもし100人の村だったら

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池田 香代子 C.ダグラス・ラミス
マガジンハウス (2001/12)
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5 発想のおもしろさ
5 いびつな村
2 初めて読んだときは感動しました、でも・・・