日本人の愛国心
海外に暮らすというのは,自分が日本人であることをつねに意識せねばならない状況にあるということである。「日本ならこんなことに苦労はしないのに」とか,「こんなん日本では考えられへん」とか,「日本の食い物がほしいよ~」とか。そんなとき,目の青い人(など)に「日本大好き!」みたいに握手を求められると素直にうれしい。たとえそれがちょっとオタッキーなやつであっても……(あ,キミのことじゃないからね。○○くん)。
日本大好きフランス人と言えば,まず思い浮かぶのは相撲オタとしてつとに知られるジャック・シラクであろう。彼の相撲への執着は一般の日本人をはるかに凌駕しているのは有名だ。他のジャンルだと,アニメオタ(宮崎アニメの人気が高い。いまちょうど『ハウルの~』が超話題である),もしくは格闘技オタ(柔道,空手は幼稚園や小学校のクラブにもある。ただし彼ら的にはテコンドーとかどっかの国のマーシャルアーツとあまり区別はついていない),もしくはパソオタ(フランスのテクノロジーは日本から見れば5年から10年遅れている),ということになる。何というか,細いジャンルを深くえぐるタイプの人たちが日本通の大部分を形成していてやや気味が悪い感は否めない。
それでも,「日本っていいよね~日本好きだよ」と寄って来られれば,いかに間違った日本像を根拠にしての発言であったとしても,「そう?」とニヤけてしまうのが人情というものではなかろうか。何といっても,自分たちの国。オリンピックでも,ワールドカップでも,リベラルを自称している人間ですらつい応援してしまう自分たちの国である。意外とこういうしょうもないレベルに「愛国心」というのはあるのだろうと私は思う。
▼ちょっと古い話だが,本宮ひろ志氏の『国が燃える』が休載になった事件があった。要は「南京大虐殺」の歴史検証の話ということになるが,アレはなかった派の抗議文を見つけて首をひねっている。以下ポイントを引用。なお全文はこちら。
1. 所謂『南京大虐殺』は、当時の体験者や、研究者、学者により、諸説が分かれているところであり、ないという強力な証拠があるものの、あるという確証がない状態で、松井石根氏、岸信介氏等実名を使用し、これをあたかも戦争の真実として漫画化している。
「あるという確証がない」のは事実かもしれないが,
というのが私の疑問。先日のクイズとその答えを読まれた方(あんまりいないと思うが)なら同様に考えると思うが,
なのだが。「強力な」という価値判断を含む形容詞がついているだけでもうさん臭いが,まあそう言う前にとりあえず見たいので,この証拠とやらがどういうものかご存じの方はご一報いただければと思う。
南京大虐殺があったかなかったかというようなデリケートな問題について,私個人はそれほど調べたこともないので何とも言えないのだが,「全くなかった」というようなことが証明されることは今後ないだろうと思ってはいる。だって「ある」ことを証明するより,「ない」ことを証明する方がよっぽど難しいんだから。あったことを示唆する状況証拠が無数にあるなかで(1個か2個なら話は違うけどね),それの全てでなくても大部分を反駁しないといけないはずだ。そりゃたぶん無理である。言えたとしてもせいぜい「あることはあったけど,規模は言うほど大きくなかった」とかその程度のことだろう。それで罪や責任が消えるわけでもないし。
よりわからないのは,何だか偉そうな議員さんたちが雁首を揃えて,南京大虐殺を史実と捉える見方を「異常な自虐的歴史観」と見なしている点である(たぶんかなり本気でそう信じているのであろう。「パラノイア」はつねに政治的な病なのである)。そうか。「自虐史観」より「自画自賛史観」のほうがお好みか。二次ナルシシスト(?)なのかキミたちは。17世紀イギリスにおいては"historical"という形容詞は「事象記述的」という意味であった(副詞"historically"だったかな。いま手元にないので確認できない。申し訳ない)。ありのままに事実を書いていく,ということである(cf. ジョン・ロック『人間知性論』,大槻春彦氏による訳注を参照)。今日この単語の意味はもちろん変質しているが,自分を持ち上げるか貶めるかはいっこうに「歴史」には関係ない話である。
ねぇ。多大な労力を投入しても難しいであろう反証をあえて試みて国際問題を煽るより,一部でも事実が含まれるならきちんと謝罪したほうがお互いのためであろうに。オトナならそうするぞ。内田樹さんのブログでも読めよ。逆にこうした「自虐的歴史観」を云々している輩が国際社会における日本の評判を地に落とさしめていることが,私はとても愛国的なので非常に残念である。特に海外在住の日本人は肩身の狭い思いをするケースもあるだろう。そういう国外の同胞への配慮もなっていないわけだ。迷惑な。ついでに言うと,ここフランスでは,韓国人や中国人,その他アジア系の人々はそれはそれは親切だ。隣国出身者ということで日本人にまで同胞意識をもっているようなのである。そういういい人たちとは仲よくしたいではないか。
▼国旗・国歌問題で米長邦雄氏が天皇陛下に「強制じゃない方がいいよね?」とたしなめられた件も記憶に新しい。皆さんご指摘済みのことだが,愛国心というのは強制できる類のものでもないし,強制しなければならないこと自体,どこかが狂っているのである。強制する前に,なぜ日本人が日の丸を愛せないか,その理由をまじめに考えた人間が都教育委員会に誰かいるのだろうか。たぶん皆無だろう。
私は,その答えは割と簡単だと思う。同じ敗戦国ドイツでは,過去の戦争にまつわるダーティーなイメージはナチス党旗=ハーケンクロイツが担ってくれていて,いまだにハーケンクロイツを愛する人は,いるとすればただひねくれ者(ネオナチ)だけである。だから普通一般の市民にとって現在の統一ドイツの旗は,デザインは同じでも,第三帝国の旗という意味は持たないのだ。では日本ではどうか? 日章旗はもろに戦前の軍国主義のシンボルであって,いまでもそこから脱却できず,ダーティーなイメージが払拭できていない(ドイツと違って同じ旗だからもともと不利だ)。そのうえ戦後60年もたつのにいまだに上のような自由主義史観派の教科書問題もあるし,首相の靖国参拝問題もあるし,要するに日本という国がいつまでも「侵略して悪うございました」とはっきり認めないで「オレらは悪くない」とかモゴモゴ言ってて,謝罪も中途半端で,アメリカ以外の顔色はあんまり気にしてないから敵意をもつ隣国がいっぱいいるままだから,要するにいまいち過去が清算されていない,御禊(みそぎ)が済んでいないのだ。原爆での終戦というのがちょっと納得できない面はあるにしても(私はね),悪かったことは悪かったと謝らないとオトナとは言えない。それではフランス人みたいだ(ごめんよいつもオチに使って)。
それでも日本人はワールドカップでは日章旗を振るし,頬にペイントしたりする。それしか日本のシンボルがないからね。だから手順を間違わなければ再び人々に愛されるようになりうると思うがいかがか。要はもっていき方が拙劣すぎるのだ。まるで人々からあえて総スカンを食おうとしているかのようである。このへんはアメリカのイラク統治と同じ種類の拙劣さだ。あっちはわざとだと思うが(やっぱり田中宇ふう?)。
というかそれ以前にどうして将棋指しが教育委員会などにいて,居丈高に市民や平和主義者を弾圧しているのかがよくわからない。弾圧などしなければこうは言わないけれども,もっと適材はいくらでもいるだろうに。同じ将棋指しでも,公文式で教育とつながる羽生善治の方がよくはないのか。ああいう人選ってやっぱり石原がイデオロギーで選んでるだけなのかな。つくづく日本は不思議な国になってしまったものである。
以上は私が愛国的であるが故に出てくる苦言である。こちらに住むとわかるが,日本ってけっこうイケている面もある。だから今まで以上にいい面を伸ばして,悪い面を変えていくべきである。昨今の愛国心強制政策はとみに醜悪だ。アメリカと同様で,頭が悪そうに見える。ヨーロッパでも極右が微妙に伸びている局面も多々あるが,それが大きな流れにならないようにくい止める力も働いている。日本に後者の力があまりないのは少々気がかりである。
追記 le 29 novembre 2004
九郎政宗という人が,こういうページを公開していた。解説は不要だろう。
Click for Anti War 最新メモ~ 【提案】本宮ひろ志『国が燃える』に「グッジョブ!」を
イヌxワン・グランプリ
やっぱりそういう証拠はまだ出ていないようである。そりゃあ,なかなか出せないよねぇ。内容以前にねぇ。
なお折れたかに見えた集英社側が,南京事件は歴史的事実と認識との声明を出したとか。未確認である。まあそれは本記事の趣旨からはどっちでもよいかも。
追記 le 28 décembre 2004
下のコメント欄での本上さんとのやりとりに出てきた「デリダ追悼座談会」の内容が,ここで読めるのを発見した。これって著作権的に問題があるような気もするが……。
あと,「自画自賛史観」よりも「自慰史観」のほうが流通しているようである。なるほどね。
ディスカッション
コメント一覧
中野さんこんにちは。お久しぶりです。いま、パリなんですね。久しぶりにHP覗いてびっくりです。パリ8ですか。精神分析の研究でしょうか。これから時間の許す限り、HP読んで勉強させていただきます(まだ良く読んでいません)。私はあまりそちらの勉強ができていない状態なので、今は吸収させてもらうだけで、ご容赦くださいませ。
おそらく私と中野さんとは考え方にそう大きな違いはないと思うという前提であえて伺いたいのですが、
「日章旗はもろに戦前の軍国主義のシンボル」というところ、これは中野さんの主観ということですか? それとも客観的事実としてそうだとおっしゃりたいのでしょうか? 例えば、日の丸を先進国でありながら50年以上も戦争をしなかった国のシンボルとして軍国主義者から取り返すという方向性もあってよいのではないでしょうか?
つい先日、京大でのデリダ追悼シンポジウムにおける鵜飼哲氏の発言(ブログ参照)もあったので気になりました。
書き込みありがとうございます。本上さんのブログもさっそく参照させていただきました。とてもハイブロウですね。うちのようなへなちょこなブログでよろしければ,リンクさせていただきたいのですがよろしいですか?
さて,「日章旗の~」は一個人の見解として言っていますので,ダイレクトに客観的事実を云々しているつもりはありませんが,ご指摘の鵜飼氏の発言や,都教員などの不起立の動機については,こうした感情が割と根強いものだとすれば容易に説明できるし理解できると思っています。ですから私自身には鵜飼発言は自然に受け入れられますが,やっぱりご不快でしたか?
また,「日の丸を先進国でありながら50年以上も戦争をしなかった国のシンボルとして軍国主義者から取り返すという方向性もあってよい」というご指摘,私もそうあれば全く理想的と思いますが,ただ少なくとも米長氏のやり方ではこの理想は150%以上到達不可能だということだけははっきりしていると思います。結局彼の行った抑圧・弾圧の記憶自体が,この旗にさらに担わされることになるだけです。
自国の旗がイヤな記憶のシニフィアンであるというのは,いいとか悪いとか言うより,端的に「不幸」だろうと思います。日本人は愛国心が薄いと言われるのは,明らかに,ナショナリティーをもって自分のアイデンティティーを構成することを避けるからです。つまりは,すでに悪循環に入っています。まずそれを認め,次にどうにかしてイヤな記憶の膿を出してしまう方が吉だろうと考えます。まあこのままずるずる行くという手もなくはないでしょうが,それではちょっと,すっきりしませんでしょう。
まず、リンクの件、全く構いません。相互リンクということでよろしくお願いします。
考え方に多少相違があるということの確認になるかと思いますが、もちろんどうしても嫌だという人の意見はそれとして尊重すべきだとは思うのですよ。ただ同時に反・日の丸・君が代・天皇制の言説には私は党派性を感じてしまうのです。これさえ言っておけば左翼の知識人を気取れる一番手軽な言説という感じで(学生時代そういう人は周囲にたくさんいましたし)。
また、反対するのであれば議論の手順としてまず具体的対案をだしてからでないと、卑怯ではないかとも思うのです。そうでなければ単なる批判のための批判に終始するでしょう。
さらに具体的に変えるとなると今よりももっと酷いものに変わる可能性だって決して少なくはないでしょう(右翼には「君が代が陰気だからもっと勇ましい曲に変えろ」という意見があります。また左翼組織には○○天皇と異名をとる人が何人もいましたし)。
もちろん米長のような輩は最悪ですが、一方それを批判したのが天皇であるということに問題の複雑さ奇妙さがあるように思います。米長を「君側の奸」として批判すれば、それは左翼的なのか、右翼的なのか?
要するに私としては旗の周りにできた転移集団に属するのも嫌だし、旗を敵視することでできる転移集団にも加わりたくはないのですね。
天皇の左翼性については浅田彰と島田雅彦の対談(新潮9月号)でも触れられていましたが、私はわりとこちらに共感できました。
ありがとうございました。実は一度せっかく長いコメントを書いたのに不注意で消してしまい,凹んでいるところです。
ので短く,結論から言いますと,イデオロギー的な党派性を嫌う本上さんのお立場には私もほぼ全面的に共感できます。私も自分からいずれかの党派につこうとは思いません。ただ結果として外から貼られるラベルについては甘受してしまいますが。そういうのは逃げられないものだと思いますので。
煎じ詰めればこの記事は,米長氏の目的と手段の不整合を突いているだけです。強制じゃない方がむしろ効果的ですよ,なのに何でそんなことをしてるんですか,という。
で,戦略として,まさにおっしゃるように,米長氏を「君側の奸」と見るやり方をやってみたかったのです。あんまりビシッとできてませんが。
右翼の論理をもって右翼を批判すれば,それは右なのか左なのか。まあそうなるともはや右とか左とかいうレッテルはあまり意味をなさないでしょう。そして,まさに私はいま右か左かを議論したいのではないので,そういう,私自身が右なのか左なのかを攪乱する話のもっていき方は好都合だと思われたわけです。
ともあれ,浅田さんたちの対談などはこちらでは全く目にすることができませんので,またブログなどを通じてご教示いただければ幸いです。
「国が燃える」事件の顛末(その3)
日本ジャーナリスト会議出版部会が『国が燃える』((『国が燃える』 http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai…
[思想][言葉]愛国心と加藤ローサ
-美を愛する人々に捧ぐ -肌の色、瞳の色、宗教などが異なる人々とも仲良くできないで愛国心もない -異なる者と共生するのに、神話は必要ない。必要なものは、少し…
[思想]あえて民主主義−自衛隊派遣を振り返る
-文藝春秋04年3月号 「自衛隊派遣 私はこう考える」を考える。 イラク戦争の大儀は何だったかしっかりだれか教えてください。自衛隊派遣がアメリカ様にとってどれ…