喪中です
子どもたちにせがまれてクリスマス・ツリーを出す。パリで見て仰天した,本物のもみの木を思い出しながら,プラスチックと針金でできた90センチ丈のしょうもないやつを組み立てる。もともともっていた,とても壊れやすいオーナメントたちとミッキー型つきの金のモールに加え,今年はアルザスで買ったサンタとスノーマンのオーナメントを飾る。
ささやかな幸せである。
▼年賀状をどうしようか考えていて,いやいや,祖母が亡くなったんだったと思いなおす。それも2人も。
なので,今年は喪中です。新年のご挨拶は遠慮させていただきます。
喪中はがきをこの時期準備するのもたいへんだし,もらった方ももう印刷済みかもしれず,明けてから寒中見舞いを出すことにする。
というのはいいとして,フランス人向けのクリスマス・カードとかはどう扱えばいいんだっけ。
ディスカッション
コメント一覧
フランスではあまり喪中という習慣はないようです。もともとはあったのかもしれませんが。不幸があって「そんな気になれない」からお祭り騒ぎはしない、という人とだからこそなるべく普通にしよう、明るくしようという人と両方いるようです。Ca ne change rienということですね。キリスト教徒にとっては「死」は必ずしも不幸なものではなく、「天国への旅立ち」という面があるのも影響しているのかもしれません。
ふらんすさん,ご無沙汰しております。
「喪 le deuil」ですが,やっぱりフランスでももともとは何かあったはずですよ。人類学的な常識としても,「喪」がない文明なんて地球上にはちょっと見られないはずです。
フランスでもきっと,表面的に見えなくても,何かあると思うんですけどね。 だって Ça ne change rien とはあんまりじゃないですか。死んだ人がいてもいなくても同んなじだなんて。自分が死んだときそう言われたらショックだなあ。まあ疎遠な人には言われるか。フランス人はある意味冷たいし徹底した個人主義者たちですが,そこまで冷血とも思えない面もありまして。
要は,死んだ人がどうこういうよりも,「生き残った人の気持ちの整理の問題」です。仏教式の初七日,四十九日,1回忌,3回忌,7回忌,13回忌というだんだん間隔の開いていくセレモニーは,「気持ちの整理」のための時間をよく反映していると言えるでしょう。
「死」=「天国への旅立ち」という宗教的観念もきっと「気持ちの整理」の一環ですね。自分にとってはその人が死んだことはつらいけれど,死んだ人にとってはこれでよかったのだ,という「合理化」なのでしょう。
ちなみに仏教でも,死んだ人の魂も輪廻でまた生まれ変わるので,死=不幸とは限らないわけです。このあたりの意味合いでは,たぶんどこの宗教でも似たりよったりの死生観をもっているんじゃないでしょうか。
といったところで,「ぜんぜん違う死生観をもつ文明」をご存じの方,投稿いただければ喜びます。
ちょっと補足しますね。
フランスでも「喪に服す習慣」はもちろんありました。昔は黒い服を何日間着る、とか未亡人は一生黒い服しか着ない、とかいう習慣もあったかと思います。ただ現在ではそのように一般化された「喪」はないように思います。個人がそれぞれに喪に服しているということでしょう。また、Ca ne change rienという言葉はなくなった人への思いではなく、人の死をいつまでも嘆いていても何か変わるわけではないので未来を向いて生きようという気持ちを表現しているのだと思います。1人の人間の存在が消えても自分には関係ない、という意味では決してありません。
あまりに短いコメントで全然意図が伝わっておらず驚かせてすみませんでした。
いえ,こちらこそ理解していなくて失礼しました。要点はおそらく,フランス的には形式的なセレモニーが何もないということですね。
日本人も「それぞれ喪に服す」といったことは基本的に該当すると思いますが,まあ○○回忌だけはするということでしょう。「葬式仏教」などとヤユされる所以であります。