マッカーサー 対日理事会演説より

2019年4月22日

今日は2016年の憲法記念日です。日本国憲法が「公布」されたのは1946年11月3日、明治節の日でした。そして「施行」されたのが1947年5月3日。したがって、今日は日本国憲法「施行」69年目の記念日で、まだ70年目ではありません。でも施行日そのものを含めると70回目ではあるかな、と。どう数えるかの問題ですが、それなりに節目かもしれません。

さて、その憲法記念日にちなんで、一つテキストをご紹介します。1946年4月5日(GHQ案を受けた日本政府案がまとまって割とすぐ)に、マッカーサーが第1回対日理事会(Allied Council for Japan、極東委員会の東京出先機関です)で行った演説の抜粋です。原文はこちらにあります(が、画像だけでテキスト化はされていません)。以下の和訳は、憲法調査会小委員会『日本国憲法制定の由来』(時事通信社、1961年、pp. 258–260)からの引用です。ではどうぞ。

第1回対日理事会で演説するマッカーサー
第1回対日理事会で演説するマッカーサー

(前略)

 提案されたこの新憲法の条項はいずれも重要で、その各項、その全部が、ポツダムで表現された所期の目的に貢献するものであるが、私は特に戦争放棄を規定する条項について一言したいと思う。これはある意味においては、日本の戦力崩壊から来た論理的帰結に外ならないが、さらに一歩進んで、国際分野において、戦争に訴える国家の主権を放棄せんとするのである。日本はこれによって、正義と寛容と、社会的ならびに政治的道徳の厳律によって支配される国際集団への信任を表明し、かつ自国の安全をこれに委託したのである。皮肉家は、かかる行為を夢の如き理想への示威的な、しかも小児的な信仰と見るかもしれないが、実際家は、これをもっと深い意味に見るであろう。実際家の見るところでは、社会進化の行程において、人類は国家をつくる際、その構成員である自分達を支配する統治権を国家に与えるために、人間本来のものであるある種の権利を投げ出さねばならなかった。その政治体に譲り渡した権利の第一番のものは、隣人との争いの解決に、力をもってするという、人間としての原始的な権利であった。社会の進化につれて、団体または州国家は、同じ方法でいっしょになって集合国家を作り、本来の権利を投げ出して、集合意思の表示である統治権力に服従することにした。こんな方法で、北米合衆国は出来上がったのである。国家の統治権をつくるために、個々の州は本来の権利を放棄した。最初は州が各個人の人格を認め、その保護者となり、後には国家が各州の独立権を認め、その保護者となったのである。

  日本政府は、今や国家の政策としての戦争が、完全な失敗であることを知った人民を支配しているのであるが、この日本政府の提案は、事実上人類進化の道程における更にもう一歩の前進、すなわち国家は戦争防止の方法として、相互間に国際社会道徳上、または国際政治道徳上、さらに進んだ法律を発達させねばならぬということを認めたものである。文明の進歩および存続は、疑いもなくかかる前進の一歩が絶対必要であることを、良い時期に認めるか否かに専らかかっている。いいかえれば、国際紛争の判定者としての武力が全然無益のものであることを、各国家が認めるか否か、力による脅迫、国境侵犯、秘密行動、および公共道徳蹂躙などから必然的に由来する猜疑、不信、および憎悪などを、国際関係から除くか否か、戦争の場合、その恐るべき大殺戮の重荷を主として担う大衆の厭戦心を具体化するだけの道徳的勇気を持った世界的大指導者が出現するか否か、地上の各国民が支持しかつ従属するより高い法律があり、日本のような国が安心してその独立をそれにまかしうるような世界秩序ができるか否か、にかかっている。そこにおいてのみ、初めて永遠の平和への途があるのである。

  ゆえに私は、戦争放棄の日本の提案を、世界全国民の慎重なる考察のため提供するものである。これは途を――ただ一つの途を指し示すものである。連合国の安全保障機構は、その意図は賞讃すべきものであり、その目的は偉大かつ高貴であることは疑えないが、しかし日本が、その憲法によって一方的に達成しようと提案するもの、すなわち国家主権の戦争放棄ということを、もしすべての国家を通じて実現せしめ得るなら、国際連合の機構の永続的な意図と目的とを成就せしむるものであろう。戦争放棄は、同時かつ普遍的でなければならない。それは全部か、しからずんば無である。それは、実行によってのみ効果づけられるのである。言葉だけでなく、平和に尽力する万人の信頼できる、明白にして偽りのない行動でなければならない。意志遂行のための現存の用具、すなわち構成各国家のもちよる武力は、各国民がなお国家主権の交戦権を併存のものとして認めるかぎり、よく行っても一時的の手段でしかあり得ない。

  近代科学の進歩のゆえに、次の戦争で人類は滅亡するであろう、と思慮ある人で認めぬものはない。しかるになおわれわれはためらっている。足下には深淵が口を開けているのに、われわれはなお過去を振り切れないのである。そして将来に対して、子供のような信念を抱く。世界はもう一度世界戦争をやっても、これまでと同様、どうにか生き伸びうるだろうと。この無責任な信念の中に、文明の恐るべき危機が横たわっているのである。

  われわれはこの理事会において、近代世界の軍事力および道義の力を代表しているのである。戦争という高い代価を払ってあがなった平和を固めかつ強めることは、われわれの責任であり仕事である。ゆえに、ただいま私が簡単にその梗概を説明した決定的条件を国際部面において処理する上に、国際間の思想と行動を理性の支配のもとに引き戻し、世界に貢献するという高い水準において、必然、相当の役割を果すことができよう。それによって、世界人類の教養ある良心から、満腔の共鳴をうけるような平和維持のため、世界をして、さらに一歩、より高き法則に歩みよらせることが、われらにできるよう祈りを捧げるものである。 

(『日本国憲法制定の由来』、pp. 258–260)

この演説が非常に興味深いのは、社会学などで言う「ホッブズ問題」(人間がたくさんいると「万人の万人に対する闘争」状態になってしまうので何らかの解決策が必要だが、ではどうすればよいか、という問題)の安定解として、マッカーサーはカント的永遠平和、要はまあ国連安保理を中心とした集団安全保障体制的なものを理想とするのですが、その具体的成功例として、アメリカ合衆国そのものの成立を挙げているところです。つまり、個々人が本来もっているはずの権利を一部放棄して国家に服従するのと同様に、各州が本来もっている権利を一部放棄して連邦に服従することで、安定的体制を維持している、というのです。現に合衆国が実在するのだから、世界人類にとっても同様の解決は不可能ではないというわけです。

いっぽう当時の首相・幣原喜重郎は、側近平野三郎による聞き書き「平野文書」において、同じことの実例を、300年続いた徳川体制であるとしています。こちらは現存ではなくて壊れてしまった体制ですが、理屈としてはこれらは全く同じ理屈であり、2人が意外に思想的に深いところで共鳴しているのがわかります。

ホッブズ問題は、ゲーム理論に言う「囚人のジレンマ」を表現している、としばしば言われます。相互に相談できない状況(非協力ゲーム)で、協力するか、しないかを選ぶ。そのままだとみんな協力しないで殺し合いになる。この設定にはまり込んだらそういう結末しかありません。しかし、その設定そのものから抜け出ようぜ、というのがマッカーサーと幣原の言う「ただ一つの途」であり、9条であると言えるのではないでしょうか。これは結局、非協力ゲームを協力ゲームにずらそう、という話だと思います。

※フォン・ノイマンの『ゲーム理論』という本は1928年に出ていますし、有名なモルゲンシュテルンとの共著『ゲーム理論と経済行動』も1944年です。マッカーサーと幣原、2人とも軍事・外交というゲームの中でずっと生きてきた人たちですから、ある程度知っていてもおかしくはないですね。

戦争放棄・戦力不保持という奇策は、単なる理想論とかお花畑とかではなく、逆に捨て身の賭け(「死中に活」)であると同時に、理論的にもそこに答えがないのならどこにも答えはないだろうというような、究極の選択肢だったわけです。このインパクトを日本国民が理解し、全世界に主張し広めていかないと、守るだけでは実はダメだということも再確認できます。最近「クールジャパン」というのが盛大に履き違えられていますが、これこそクールなアイディアでしょう。