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	<title>社会分析学ウェブサイト@中野昌宏研究室 &#187; 時事</title>
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	<description>青山学院大学 総合文化政策学部（SCCS）から投げる直球。</description>
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		<item>
		<title>細野大臣にメールしてみたYO!</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2011/10/17/015222/</link>
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		<pubDate>Sun, 16 Oct 2011 16:52:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[時事]]></category>

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		<description><![CDATA[細野豪志原発担当／環境大臣にメールしてみました。彼のHPの問い合わせフォームから。ちょっと甘いかなとは思いつつも，こんな感じで。 汚染瓦礫拡散につき，再考をお願いします 細野大臣， はじめまして，青山学院大学総合文化政策 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>細野豪志原発担当／環境大臣にメールしてみました。<a href="http://goshi.org/contact/" title="ご意見・お問合せ - 細野豪志ホームページ" target="_blank">彼のHPの問い合わせフォーム</a>から。ちょっと甘いかなとは思いつつも，こんな感じで。</p>
<h3>汚染瓦礫拡散につき，再考をお願いします</h3>
<p>細野大臣，</p>
<p>はじめまして，青山学院大学総合文化政策学部の中野昌宏と申します。</p>
<p>単刀直入に申します。「国民全体で痛みを分かち合う」とのお考えですが，汚染された瓦礫を全国に拡散させる方針は間違っていると私は考えます。</p>
<p>今回原発事故によって日本の国土の一部，特に福島県などが甚大な被害を受けました。大臣のおっしゃる「痛みを分かち合う」とは，すなわち瓦礫や農作物を全国に拡散させることは，当初の事故による被害をこれから長期間にわたって日本国中に拡大していくことを意味するだけです。大臣は「これからも被害を拡大させます」とおっしゃっているのです。<span id="more-1538"></span>なぜなら，この「分かち合い」によって，他地域の人々の被害は純増するのに，福島の人々の被害は劇的には軽減されないからです。より正確に言えば，瓦礫処理の負担は軽減されるでしょうが，放射能汚染による健康被害については，線量があまりにも高いために，少しばかり瓦礫をどけようと莫大な費用かけて除染をしようと「焼け石に水」でしょう。</p>
<p>「除染なくして，福島の復興なし」。それはそうでしょうが，事態を楽観視されすぎているように思います。チェルノブイリでも最終的に除染はあきらめられたのでした。きちんとやろうとすれば山の木をすべて切る，表土もかなり深くまで取り除くなど天文学的な費用がかかりますし（もっと早く取りかかっていればより容易だったはずですが……），しかもそれに見合った効果は保証できないはずです。あくまで「そこに人が住む以上はやったほうがよい」ということであって，それならばむしろ移住させてしまうことのほうが安上がりかつ効果大ではないでしょうか。</p>
<p>ともかく日本国内の福島以外の場所に潤沢に安全地帯があることが，福島など高線量地域の人々を最大限（原理的には全員）助けることができる前提条件なのであって，汚染を拡大することで日本全国から安全地帯を完全になくしてしまう政策というのは，誰をも助けない，はっきり間違った政策だと私は思います。</p>
<p>国民の健康被害と，国土の汚染は，密接ではあれ別次元のものです。瓦礫や農作物など，基本的に汚染されたものは移動すべきではなく（法律どおりに），むしろ国民を安全な地域に避難させるべきというのが正論であり，それは多くの人がすでに主張していることです。除染にかけるほどの高額の予算があるなら，事故発生から7ヶ月も経っているのに，どうして国が責任をもって人々を避難させてやれないのか，どうして福島の農家の農作物汚染被害を補償しないのか，理解に苦しみます。</p>
<p>「経済」を重視する方々もおられますが，もしも放射能汚染によって国民の健康が損なわれ，10年先の労働人口が従来予想以上に減少してしまっては，「経済」にとっても大打撃でしょう。そればかりか，がんや白血病や心臓病などで長期の闘病生活を強いられる人々が多くなれば，国民健康保険も医療システム全体も確実に破綻します。人々を，特に子どもたち＝次世代の国民を大事にしないで「経済」を云々するなどとは，単に近視眼的であるという以上に，端的に矛盾なのです。</p>
<p>福島の土地は除染しきれないほど汚染されてしまいました。しかしかろうじて，福島の人々を助けることはまだ可能です。避難・移住はもちろんそれはそれで悲劇ですが，人間に命があれば，人が生きていれば復興も夢ではありません。しかし，ここで放射能の危険性を過小評価しあるいはなかったことにして，危険地域の人々を危険なその場に留めつつ，汚染されたものを安全地域に移動していけば，じわじわと全国の多くの命を（つまり労働力を，そして国力を）蝕むことになるかもしれないのです。そうなったら「経済」も，決して浮かび上がれなくなります。</p>
<p>これ以上被害を拡大しないでください。国民が「分かち合う」べき「痛み」とは比喩であるべきで，本物の身体の痛みを，病気や死を，日本全国に広めるのをどうかストップさせてください。期待をしておりますのでこうして苦言を申しております。この件につきぜひご再考をお願いいたします。</p>
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		<item>
		<title>プロパガンダの研究</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2011/10/14/100826/</link>
		<comments>http://socioanalysis.net/2011/10/14/100826/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 14 Oct 2011 01:08:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[時事]]></category>
		<category><![CDATA[研究]]></category>

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		<description><![CDATA[プロパガンダ［新版］ 著者等：エドワード・バーネイズ 出版社：成甲書房（2010-10-05） 単行本（240ページ） 最近の研究テーマとして，「プロパガンダ」というのが私のホットな関心事である。 もちろん，原発〜放射能 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="tmkm-amazon-view">
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%91%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%EF%BC%BB%E6%96%B0%E7%89%88%EF%BC%BD-%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%82%BA/dp/4880862681%3FSubscriptionId%3DAKIAJPPI3T2XJ3FJAIMA%26tag%3Dnakanolab-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4880862681" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41gG7looj%2BL._SL160_.jpg" border="0" alt="" /></a></p>
	<p><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%91%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%EF%BC%BB%E6%96%B0%E7%89%88%EF%BC%BD-%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%82%BA/dp/4880862681%3FSubscriptionId%3DAKIAJPPI3T2XJ3FJAIMA%26tag%3Dnakanolab-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4880862681" target="_blank">プロパガンダ［新版］</a></p>
	<p><em>著者等：</em>エドワード・バーネイズ</p>
	<p><em>出版社：</em>成甲書房（2010-10-05）</p>
	<p>単行本（240ページ）</p>
<hr class="tmkm-amazon-clear" /></div>
<p>最近の研究テーマとして，「プロパガンダ」というのが私のホットな関心事である。</p>
<p>もちろん，原発〜放射能災害をめぐる政府−メディアの情報統制ぶりに頭に来ているのが直接の原因ではある。</p>
<p>エドワード・バーネイズ『プロパガンダ』（1928）という古典を見つけた。バーネイズという苗字に見覚えがあったが，これは実にフロイトの妻の苗字ベルナイスの英語読みである。実はエドワードは，ジクムント・フロイトの甥にあたるのだという。恥ずかしながら，これはいままで知らなかった。</p>
<p>「広告の父」とも呼ばれるバーネイズは，したがってもちろんユダヤ人である。そのユダヤ人が，あえてネガティヴイメージのついてしまった「プロパガンダ」なる言葉を復権すべく，その必要性と各種手法について述べている。そして皮肉なのは，この書をゲッペルスらが修得し，活用してしまったことである。もちろん周知のとおり，ヒトラーの『我が闘争』（1925-26）にも，さまざまなプロパガンダ手法が記されている。わずかにヒトラーのほうが先だが，時期的に重なっているのが示唆的である。</p>
<p>この古典に示された手法が現代にどの程度まで通用するものなのか，興味深い。案外，新しい手法など開発されていないのではないだろうか。</p>
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	</item>
		<item>
		<title>「風評被害」という詭弁</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2011/09/30/215127/</link>
		<comments>http://socioanalysis.net/2011/09/30/215127/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 30 Sep 2011 12:51:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[時事]]></category>
		<category><![CDATA[研究]]></category>

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		<description><![CDATA[3.11東日本大震災からはや半年が経とうとしている。この間，レポートの採点に手間取ったことや，家族の事情などがあり，このブログもずいぶんご無沙汰になってしまった。 地震と津波もさることながら，福島第一原発の事故はチェルノ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://cerea.enpc.fr/en/fukushima.html"><img src="http://cerea.enpc.fr/HomePages/bocquet/Doc/cumulated_total_deposition_ground_fukushima.png" alt="" title="Map of ground deposition of caesium-137 for the Chernobyl accident " width="430" class="aligncenter" /></a></p>
<p>3.11東日本大震災からはや半年が経とうとしている。この間，レポートの採点に手間取ったことや，家族の事情などがあり，このブログもずいぶんご無沙汰になってしまった。</p>
<p>地震と津波もさることながら，福島第一原発の事故はチェルノブイリを超える世界史上最大の災害となってしまった。自然災害としての地震と津波があまりに大きかったので，原発事故も「想定外」である，しかたがなかったと言う人々もいるが，各方面から指摘のあるように人災の側面も大きい。私は事故そのものよりも，東京電力や政府の事故後の対処こそが，世界史上最悪のものだと思っている。<br />
<span id="more-1459"></span><br />
本当ならば福島での直接の事故処理と同時に，SPEEDIのデータを速やかに活用し，何がどれくらい危険なのかを見定め国民に開示し，可能な方策をテキパキととるのが当然だ。ところが菅政権は，国民に正しい情報を伝えるどころか，メルトダウンはしていないだとか，福島には20年は住めないと言った審議官を更迭するとか，子どもでも年間20mSv（ミリシーベルト）までの被曝なら大丈夫だとか，とにかく被害を過小評価することに躍起になってきた。国民がパニックになるのを恐れたというが，支配層のこういう挙動を「エリート・パニック」と呼ぶ。エリートの方こそがむしろパニックに陥っている状態，ということだ。</p>
<p>「情報化社会」という言葉すら陳腐に響く21世紀に，国民に被害の実情を隠し通すというようなことができるのか，と思ってしまうが，実際どうだろう。政府が急に持ち出した「暫定基準値」は，世界中が驚くような高水準で，われわれの飲み水よりも原発の排水の規制値の方が厳しいというありさまだ。食品に含まれるであろう放射性セシウムについては500Bq（ベクレル）/kgまでが許容されることになるが，この値はチェルノブイリを経験したベラルーシ（37Bq/kg）の10数倍，世界で最も厳しいドイツの乳幼児基準（4Bq/kg）の実に125倍である。こんな値を設定したということは，それ自体ひどいことなのであるが，もっとひどいことは，それくらい汚染された農作物がけっこう出るだろうと政府が考えたうえで，それを国民に隠してしれっと流通させようと考えたということである。この国民の棄て方は，ほとんど北朝鮮に等しい。</p>
<p>原子力災害によって被害が出た場合には，「原子力事業者」が補償をすべしと法律には定められている。すなわち，今回の補償の主体は東京電力である。作物が汚染され，売れなくなったという生産者にも，東京電力が速やかに全面的に補償すべきである。にもかかわらず，消費者が汚染作物を購入しないことを，「風評被害」と言い募り，善良な消費者をデマに惑わされた者，被災地の苦悩に思いをいたさない冷血漢，つまりは悪者に仕立てようとしている。が，このようなレトリックには絶対に騙されてはいけない。</p>
<p>▶さてこのエントリーの言いたいことは，タイトルのとおり，「風評被害」という表現は，典型的な詭弁であるということである。</p>
<p>「風評被害」という語の本義は，「本当はそうではないのに，事実無根の噂で」被害を受ける／及ぼすことだろう。「風評」かどうかは，未来において結論が出て――健康被害が顕在化するとか，逆に取り越し苦労だったことが判明するなど結果が出て――はじめて言えることなのに，「風評被害」を言う人は，その検証もなく「とにかく安全だ」という断定を前提としている。これを伝統的論理学では「petitio principii」（訳：「先決問題要求の虚偽」とか「論点先取の虚偽」）という。</p>
<p>自分が正しいと前提しておいて，自分が言うんだから正しい，という類の詭弁である。こんなの詭弁というまでもなく誰も信じるようなものではない。どこでだったら自衛隊が活動してよいのか，を聞かれているのに「自衛隊が活動しているところが，非戦闘地域である」と言い放った某も，当時問題になった。これは循環論法になってしまうのだ。非戦闘地域でのみ活動できるのが自衛隊なのだから。</p>
<p>データが存在しないということを正確に言い直せば，それは「危険か，危険でないか，わからない」ということである。「危険かどうかわからないもの」とは「危険である可能性のあるもの」「安全が確認されていないもの」のことであり，それを人々が避けるのは，誰が何と言おうと，自然なこと，根拠のあることである。それはけっして「風評」などではなく，通常の「リスク管理」ということでしかない。</p>
<p>▶「差別」も同様だ。たとえば福島県から来た人や，福島県の生産物を「根拠がないのに」忌避するなどの行為が差別にあたるだろう。しかし人々が避けたいのは福島県民や福島県産品ではなく，放射性物質である。福島県から来た人の服や車に放射性物質がついている可能性は高い。ついていない可能性もあるがそんなことは見ただけではわからない。調べないとわからない。だからその人が福島県のほうから来たという事実をもって，人はどうするかを判断せざるをえない。</p>
<p>つまりは，調べてもいないのに「本当は大丈夫」という前提をすべりこませているから，それが「差別」とラベリングされるのである。</p>
<p>調べていないのに安全だとわかるようなら誰も苦労はしない。危険を回避するためには，あるいはリスクを計算するためには，何事もまずは調べることが先決である。調べても数値を出してもいないのに「風評被害だ」「差別だ」という人やメディアは，意図しているか否かにかかわらず，政治的発言をしているのだ。</p>
<p>少なくとも3.11以降今日に至るまで，「風評被害」「差別」という言葉には真実がない。それは善意の意匠をまとった醜悪なレトリックにすぎない。「地獄への道は善意で舗装されている」。騙されてこの言葉を口にする人を別として，こんな言葉を発する者を信用する必要はないだろう。その意味でこの言葉はよいリトマス試験紙となる。</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>エジプトの動向，メディアの問題</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2011/02/04/001045/</link>
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		<pubDate>Thu, 03 Feb 2011 15:10:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[時事]]></category>

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		<description><![CDATA[情報化社会などと言うけれど，情報というのはただ待ってたら入ってくるものではない。世界で起きている問題をどう考えるか，いいことなのか，悪いことなのか，誰が特をして誰が損をするのか。われわれ自身はどう対処すべきか。そういうこ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>情報化社会などと言うけれど，情報というのはただ待ってたら入ってくるものではない。世界で起きている問題をどう考えるか，いいことなのか，悪いことなのか，誰が特をして誰が損をするのか。われわれ自身はどう対処すべきか。そういうことを判断するために，必要な情報というものがある。残念ながら，<strong>ただテレビの前に座っているだけでは，そのような情報にはありつけない</strong>。←ここ大事</p>
<p>自分からそうとう能動的に動いていかないと，十分な情報は得られない。特にアラブ世界のことはなかなかキャッチしにくい。アラビア語で書かれた情報の解読はさすがに無理……（個人的に）。なので，アラビア語の読める人のお話が貴重となるはず。<br />
<span id="more-1363"></span><br />
にもかかわらず，この種の重要な問題についてテレビに映し出されるのはどうでもいい素人のコメントばかりだ。何でこの問題でこの人にコメントを求めるのだろう，といつも不満に思うのだが，きっとあれは放送事故を回避するための「埋め草」なのであろう。</p>
<p>911テロ〜アフガン戦争のとき，「タリバン」が何で「北部同盟」がどんな組織だったか，正確に知っていた日本人はどれくらいいるのだろう。パキスタンの国益がどう絡んでいて，バーミヤンの石仏が美術史上どう評価されていたのか，どれくらいの日本人が知っていたのだろう。――とか思って試しに学生に聞いてみると，果たせるかなほとんど誰も何も知らない状態である（聞いた相手が悪いとも言う――でもメディアに就職希望の学生も含まれているのである）。</p>
<p>インターネットの時代はそれなりに楽ではあるよ。探せばいいだけだから。ウィキリークスとか。動画サイトとかまとめサイトとかあって。なんて便利な。要は疑問に思ったときにググればしまいなのであるが，自分がクビになりそうな日常に忙殺されて国際問題には関心を持てない人々も少なくないのも状況としてしかたないかもしれない。</p>
<p>というわけで，エジプトの問題を猛勉強せよ，なう（※学生向け課題）。<br />
いまエジプトで起こっている騒ぎを何と見る？　<br />
ヒント（安心してください日本語です）：<br />
<a href="http://ameblo.jp/fifi2121/entry-10788441634.html">http://ameblo.jp/fifi2121/entry-10788441634.html</a><br />
エジプトの一般国民に近い意識であろう人の見解である。中東の歴史をある程度知っていれば，大いに説得力ある見解ではないか？　</p>
<p>まあこれはこれで偏りはあるだろうが，われわれとしてはいろいろな見解を徹底的にチェックして，「おそらくこのへんが正しいかな」というポイントを自分で見つけるしかないわけだ。メディアの言うことは「真実ではない」とまでは言わないけれど，「すべてではない」ということだけ，ここでは強調しておきたい。</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>エマニュエル・トッド　国際シンポジウム</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2009/10/12/014125/</link>
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		<pubDate>Sun, 11 Oct 2009 16:41:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[お知らせ]]></category>
		<category><![CDATA[時事]]></category>
		<category><![CDATA[研究]]></category>

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		<description><![CDATA[私の学部主催のシンポジウムがこの15日（木）に開催されます。トッドさんは76年にソ連崩壊を予言し，的中させたことで一躍著名になりましたが，どうやらリーマン・ショックも予言的中といったところで，今後注目されていくのではない [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>私の学部主催のシンポジウムがこの15日（木）に開催されます。トッドさんは76年にソ連崩壊を予言し，的中させたことで一躍著名になりましたが，どうやらリーマン・ショックも予言的中といったところで，今後注目されていくのではないでしょうか。ところで私も知りませんでしたが，この人はポール・ニザンの曾孫さんなんですね。</p>
<ul>
<li><a href="http://www.aoyama.ac.jp/event/091015.html" target="blank" class="broken_link">（青学大）エマニュエル・トッド来日　国際シンポジウム<br />
「帝国以後」の世界――世界経済危機と『デモクラシー以後』</a></li>
<li><a href="http://fujiwara-shoten.co.jp/main/news/archives/2009/10/post_41.php" target="blank">（藤原書店）</a></li>
<li><a href="http://www.u-presscenter.jp/modules/bulletin/index.php?page=article&#038;storyid=1206" target="blank">（大学プレスセンター）</a></li>
</ul>
<p>まさに「社会分析学」にふさわしいイベント。ぜひご来場ください！　</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>自衛隊に監視されてたの？</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2007/06/06/234020/</link>
		<comments>http://socioanalysis.net/2007/06/06/234020/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 06 Jun 2007 14:40:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[時事]]></category>

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		<description><![CDATA[
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今日のニュース。</p>
<blockquote><h3>陸自情報保全隊の“監視”活動、共産党が中止求め会見</h3>
<p>　共産党の志位和夫委員長は６日、衆院議員会館で記者会見を開き、陸上自衛隊の情報保全隊が、イラク派遣に反対する市民活動などの調査・情報収集を行っていたことを示す内部文書を入手したことを明かしたうえで、「違憲・違法な国民監視活動だ」として、活動の即時中止を求めた。</p>
<p>　文書には、全国２８９の個人や団体に関する、集会や街頭での活動の様子が記載されていた。</p>
<p>　防衛省の守屋武昌次官は同日夜、記者会見し、「文書が本物かどうかはコメントしない」としたうえで、「隊員や家族に動揺や不安が起きないようにとの観点から、派遣に批判的な方の動きは情報収集してきた。任務遂行に必要で、違法性はない」と説明した。（以下略）</p>
<p align="right">（2007年6月6日22時25分  読売新聞）</p>
</blockquote>
<p>がぜん気になるのは，「文書には、全国２８９の個人や団体に関する、集会や街頭での活動の様子が記載されていた」というくだり。</p>
<p>オイラは，この「289の個人や団体」に入ってるかな？　気になるけど……。</p>
<p>ベスト289かぁ……。たぶん入ってないと思います（ショボーン）。</p>
<p>むしろ入っていた方が喜びます。</p>
<p>自衛隊の方。私のブログを監視しといてくださいね。つねに。イラク戦争はんたーい。</p>
<p>ていうか，誰も責任取らないんですか？　大量破壊兵器はガセネタだったし。現状イラクはドロドロだし。無駄金使って人命危険に晒して，あんなの永田メール問題以上には吊るし上げられてもよいのでは？　</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>ファシズム時代は「いじめ」の時代</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2007/04/13/224322/</link>
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		<pubDate>Fri, 13 Apr 2007 13:43:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[時事]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://socioanalysis.net/?p=113</guid>
		<description><![CDATA[
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>先日の知事選もわれわれフツーの市民を落胆させたが，昨日は希代の悪法「国民投票法案」が強行採決された。</p>
<p>この法案の問題点は，もんのすごく短く言うと，最低投票率の規定がないために，特定政党とつるんでるわけのわからん宗教団体とかの組織票があれば一発で憲法を変えられるということである。</p>
<p>おまけにご丁寧に，オイラみたいな教員の類はものを言うな，黙っとれという註釈つきである。</p>
<p>われわれは教員であるとともに，言論を生業としている者である。言論を封殺されたらおまんまの食い上げではございませんか？　と小一時間……（まそりゃ安倍とか中川とかには明らかに朗報だろうけど）。</p>
<p>▼おわかりか。この法案は要するに，何だかごちゃごちゃ言ってくるザコ平民どもを黙らせて，支配者の・支配者による・支配者のための美しい国づくりを一気にブルドーザーでやってしまえという飛び道具なのである。それ以上でも以下でもない。</p>
<p>最近，政治家が民主主義にかかる手間ヒマを惜しむんだよねぇ。安直なんだよ！</p>
<p>鳴かずんば，殺してしまえ，不如帰。そんな信長なこの法案の危険性はどれだけ人口に膾炙しているのだろうか。ちょっと詳しく知りたい方には，Wikipediaの記述じゃわからないので</p>
<ul>
<li><a href="http://www.nichibenren.or.jp/ja/publication/booklet/kaisei_touhyouhou.html" class="broken_link">与党と民主党が国会に提出した憲法改正国民投票法案に異議あり！！Vol.2</a> （日弁連）
</ul>
<p>のpdfパンフレットをおすすめしておく。その他にもネット上には</p>
<ul>
<li><a href="http://web.mac.com/volksabstimmung/iWeb/Welcome/E627A129-F133-48C1-A616-F100DA89AB59/1EE944AF-3C54-4A8C-B1ED-11AF31ED938A.html">自由法曹団が抗議声明</a> （改憲国民投票法案情報センター）
<li><a href="http://www.jca.apc.org/~kenpoweb/articles/sumino0402.html">「憲法改正国民投票法案」の問題点</a> （専修大学教授　隅野　隆徳）
</ul>
<p>その他もろもろ，ブログレベルでは山のようにドキュメントがある。誰が読んでも，客観的に，「これはダメ法案だろ」というのがわかるようになっている。一度ご覧いただきたい。</p>
<p>▼公職選挙法の縛りで，選挙前には石原の悪口をここに書くことができなかった。悪口とは言ってもホントのことですがね。普通のジャーナリズムだったらホントの悪口なら書いてもよいのだが，オイラは教員なのでひっかかる可能性が高かった。一般人でも例の「きっこの日記」なんかは，石原側に訴えるぞと脅されて日記を削除してたし，フランス語訴訟の件だって記者会見開いたのにほとんど報道されなかったのは，提訴されたというのは選挙と関係ない客観的事実なのに，メディアが自主規制したのだという。</p>
<p>どうゆうことやねん。自主規制て……。</p>
<p>まあそうやって石原の日頃の悪事は隠され，「反省モード」で当選したと思いきや急に悪童に戻る，という予定調和。</p>
<p>ていうか，石原の人格については最初から，Wikipediaを見ただけでもかなりひどいことはわかるぞ。こういうのをボスに迎えてどうするわけ？　これはみんなホントに知らなかったのか，知らないふりをしていたのか，石原だと何かトクをすることになっていたのか，むしろそこんとこは愛すべきキャラと思っているのか，もともとヒール（悪役）とかアウトロー（無法者）に萌えるというひねた美意識なのか，ご無体なご主人様に仕えるのが好きなマゾのメイドなだけなのか，科研費をとって調査してみたいところである。</p>
<p>ぶっちゃけ石原でなかったら，ドクター中松でもよかったなぁ，とか。桜金造だったらどうだろうなぁ，とか。思い余って美濃部亮吉Love，とか。妄想してる。うそですよ。浅野も意外に不人気で，一般市民に担ぎだされた割には否定的な評価が多かった。ともかく誰が無害かが実は肝心で，何かいいことしてくれるとは最初から思っていないところは正直あった。</p>
<p>でも石原以外の誰であっても，石原ほど頻繁に人を傷つける暴言は吐かないだろう。それに，思い込みと思いつきばかりトップダウンでごり押しすることはないだろう。それだけで十分かと。どうせ実務は官僚がやってくれるんだしね。週に2～3日登庁しとけばOKだしね（笑）。</p>
<p>▼アメリカではとても最近，スペイン語を「ゲットーの言葉」と呼んだニュート・ギングリッジ下院議長と，黒人の女子大生バスケットボール選手を「縮れ髪の売春婦」と呼んだ人気ラジオ司会者のドン・アイマスが吊るし上げられた。</p>
<p>なぜ，石原もこうならないのか。日本とアメリカの文化の違いというわけではない。答えは簡単。</p>
<p>ヒスパニック系や黒人は，人数的には相当数にのぼる。要はこいつらは「多数者」を敵に回したから吊るし上げられているのである。</p>
<p>かたや石原が攻撃するのは，精神障害者とか，外国人とか，老婦人とか，フランス語教師とかである。つまり，圧倒的な少数者だ。そういうのを傷つけても，敵に回しても，選挙のときの票にも響かないし，自分は痛痒を感じない。そういう人たちが傷つけられているのをはたで見ている他の人々も，基本的には見て見ぬふりだ。まあ他の人々からすると，確かに感情移入しにくい対象が選ばれていると言える。そこが石原の小ずるいところだ。中には石原と同じような差別意識をもった輩もいくらかいて，そいつらは手を打って喜ぶし。</p>
<p>他の連中だって本当は「明日は我が身」なのにね。何でケチつけられるかわからんやん。侮辱されるだけならまだいいけど，都立大なんか潰されちゃって，何人流出したか……。余所に居場所のある有能な先生が多かったのが幸いであるが，要するに整理解雇だからね，あれは。しかも超ワンマン経営の。奴の一存で多くが職を奪われてしまうわけである。そんな横暴許していいと思うか？</p>
<p>本当は，リーダーたる者，（百歩譲って）ポーズだけでも全員のために奉仕する姿勢を示すべきであろう。最初から自分の支持者だけを大事にしてあとは氏ねなんてのは，ネオリベ個人主義の風潮を最大限に活かした（涙）デマゴーグ的やり方でしょうが。</p>
<p>それで，攻撃されたその少数者は，いま裁判で闘っているけれど，ババァ訴訟は棄却。おしまい。フランス語訴訟はこれからだが，微妙に黙殺されつつある。勝ったとしてもね。選挙では数がないから勝てないし，裁判でも勝てないときたもんだ。フランス語訴訟では，本当に問題にしたいのは石原個人の人格，政治家としての資質の問題なのに，裁判では個々の発言しか争点にできないから，すごく矮小なクレームのように見えてしまうし。でそれをわかって石原はどうせ大したことにはならんとタカをくくっている。</p>
<blockquote class="exag"><p>この人らの人権とか名誉とかは，誰がどう面倒みてくれるの？　見殺し？　</p></blockquote>
<p>だよね？　だって少数者に向かって「公的」暴言を吐きつづけている，その都知事を多くの都民が支持してるわけだから。</p>
<p>フランス語訴訟の原告団の方，この記事をお読みかと思います。「都民からお金をとることが本意ではない」とのことですが，都民にはきわめて重大な責任があります。請求されている賠償金が一人5万円なんて安すぎます。額を数百倍した方がよろしいかと存じます。都民がその税金で払ってくれるはずです。その決断を彼らはしたはずです。</p>
<p>▼そういえばこの構図，どこかで見たのでは？　そう，学校で見た。「いじめ」の構図である。</p>
<p>いじめっ子が誰かをいじめる。周囲のみんなは，気がついても知らん顔している。というか，もし止めようとしたら，逆恨みされて自分がいじめられるんじゃないかと恐れている。だから黙殺する。</p>
<p>マジョリティー（多数者）なんだから，もしもマジョリティーが一斉に声をあげれば，いじめは起こらないはず。起こりようがないはず。いじめっ子だって，マジョリティーを敵に回すことはできない。いじめが黙認され，いじめっ子が罰を受けないままだから，いじめは続くよどこまでも。</p>
<p>ヒトラーを支持したドイツ人というのは，いろいろ意見もあるだろうが，結果論としてだけ言えば，やっぱりバカだったのだ。だからこそ彼らはいま反省しているのだ。だって自分たちがマジョリティーなのに，政治を変えられたのに，黙ってたんだぜ？　ユダヤ人がいじめられているのに，黙るという形でいじめに加担してたわけよ？　いじめ発覚後に，黙っていたクラスの連中が「ボクたちは止められたのに，止めなかった」と涙ながらに反省するのと同じことである。</p>
<p>本当は，いじめられているユダヤ人にも共感し，連帯して，無茶なボスを諫めるようでないと，一般市民ちゅうしんどい資格は勤まらないのである。そこに「民度」というものがあるのである。</p>
<p>▼だいたい「選挙」というのは，なぜこうもアホの祭典そのものなのだろうか。考えてみれば当たり前だ。候補者がこぞってあのうるさい「街宣車」で走り回っているだけで，彼らの政見や活動や人物像について「官製」の報道しかされない現在の選挙のあり方では，頭を使う機会もろくになく，民度も下がって当然なのである。</p>
<p>宮台氏もいつか嘆いていたけれど，「知的な議論が何もできない」この現状は何とかすべきである。そのためにはまず，立花隆の言うように（2005年の記事なんだなぁ），公職選挙法を改正して，街宣車での活動を制限する一方，そのかわりネット上では自由に議論や論評ができるようにするのがよいのではないか。文字でやりとりできた方が，頭を使って考えられてよいではないか。</p>
<ul>
<li><a href="http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/050902_gimuka/" class="broken_link">今どきナンセンスな公職選挙法　ネットは解禁ではなく義務化せよ</a></li>
</ul>
<p>荒らし対策がたいへんかもしれないが，候補者の名前を拡声器で刷り込むだけなんて，あまりに寒すぎる。みんながありとあらゆる情報（プラスもマイナスも）を受け取れて，自分の頭で考えられるということが必要なのであって，最初から情報を絞ってくる選挙なんて，平たく考えてダメな制度である。</p>
<p>そういう意味では，都知事選の候補者のうち有力そうな4人だけテレビの討論番組に出たのは公職選挙法違反である，と訴えを起こしたドクター中松は支持してあげたい気分なんですけど。いや彼に特段の思い入れはない。でも確かに平等じゃなかったもんねぇ。それでも裁判は負けるだろうねぇ。</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>浅野史郎さんへの出馬要請</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2007/02/26/030032/</link>
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		<pubDate>Sun, 25 Feb 2007 18:00:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[お知らせ]]></category>
		<category><![CDATA[時事]]></category>

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		<description><![CDATA[
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>これ，すごいことになってますね。</p>
<p>→「<a href="http://asano46.exblog.jp/">浅野さんのハートに火をつけよう！</a>」</p>
<p>出馬要請署名もできるようになっています。</p>
<p>「石原じゃなければ誰でもいいんだろ」などと悪口を書き込んでいる人もいるようですが，どうしてどうして，これは対象が浅野さんという人物だったからというのはやはり大きなファクターではないでしょうか。黒川紀章氏ではこうはいかないわけですし。</p>
<p>というわけで，日本の民度も捨てたものではないと感心しつつ，ポチっと署名をいたしました。皆さんもお急ぎください。とりあえずその前に，浅野氏の立場や過去の言動をググってみてくださいね。</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>「失言を産む機械」</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2007/01/31/000707/</link>
		<comments>http://socioanalysis.net/2007/01/31/000707/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 30 Jan 2007 15:07:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[時事]]></category>

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		<description><![CDATA[
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ご案内のように，柳沢厚労相の「（女性は）子供を産む機械」との発言が波紋を呼んでいる。そんなこと言うなら，安倍内閣なんか「失言を産む機械」だ。いやガタリふうに言うと「失言を産む機械状無意識」だ。あるいは「失言を産む器官なき身体」とか（わからない人ごめんなさい。てかググりなさい）。</p>
<p>しかしね。そもそもが極右政権なのだから，このくらいの暴言は国民にとっても十分想定内であったはずだろう。石原慎太郎だって同じようなことを言いそうだが，あいつなら絶対に謝罪しないだろう。それでもそういうのを支持する連中も世の中にはけっこういるのである。</p>
<p>それとも，実はボーッとしてた国民が今になって「うわ，こいつらちょっとキてる」と気がついたのだろうか。だとすると不幸中の幸い，ある意味で喜ばしい事態である。</p>
<p>で，民主とかどうするの？　辞任要求なんかするの？　こいつ1人に辞任してもらってどうするの？　他だって同じようなやつばっかだぜ？　むしろ安倍内閣の顔として居残ってもらって，支持率低下に力を貸してもらった方がいいだろうに。と私なら思う。</p>
<p>「敵に間違いを認めさせる」というのも一つの戦略だが，「敵方のイメージ低下を狙う」という別の戦略もアリですよ，野党議員さん。</p>
<p>柳沢氏は形式的には謝ってはいるけど，誰も真に受けていない。おそらく彼はほんとに女性をそういうものだと思っているだろう。こういう局面で口先だけの謝罪を引き出したりしたって意味がない。辞めさせたってまた似たようなやつが来るだけ，どうせまた同じ人間が任命するんだから。だったらそういう人物にはそのまま内閣に居すわってもらってはいかがか。こちらは余裕の笑みで。</p>
<p>そして，限られた時間をもっと有効に使うべきである。</p>
<p>▼そっちの話より，アパの耐震偽装の件，やっぱりイーホームズの藤田氏やきっこ氏の言うとおりになってきたではないか。こちらのほうが一閣僚の舌禍などよりよほど大きな問題であろう。</p>
<p>マスコミは水落建築士を叩いているが，それ以前に事件を今まで報道せずスルーしてきたマスコミ各社自身の責任や，事件の隠蔽に加担してきた国交省の責任，そしてこれらに圧力をかけてきた黒幕連中の責任を追及していくのがやはり本筋だ。安晋会との関連とか。野党側にはがんばってもらいたいが，それにはまず追及すべき民主側があの鳩山をどうにかすることが前提なんだろうなぁ……（きっこ情報に基づく）。馬淵議員も深入りできないみたいだし。まったくひどい話である。</p>
<p>結論。民主の議員は身辺を綺麗にして，自民党のドロドロの利権構造をすっきり掃除してほしいなぁ。そして「美しい国」（爆）にしてほしいなぁ。ってもやっぱ期待できないかなぁ……。ちなみに皆さん中韓では「美国（メイクォ）」って「アメリカ」のことだって知ってました？　</p>
<p>最近忙しくて電池切れ気味なので，今日はこのへんで。</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>海外における「正しい」日本食／アイデンティティーの承認をめぐる闘争</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2006/11/24/033814/</link>
		<comments>http://socioanalysis.net/2006/11/24/033814/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 23 Nov 2006 18:38:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[時事]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://socioanalysis.net/?p=101</guid>
		<description><![CDATA[今晩のニュース23でもやっていたけれど，「国が『正しい日本食』を決める」ということで，そのことに疑問の声があがっている。筑紫哲也氏もそんなご意見のよう。あるいはライブドア・ニュースの記事もそうだった。 海外で「正しい日本 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img alt="スシハウヌだ？" src="http://socioanalysis.net/wp-content/uploads/sushihaunu.jpg" width="71" height="129" class="alignright" />今晩のニュース23でもやっていたけれど，「国が『正しい日本食』を決める」ということで，そのことに疑問の声があがっている。筑紫哲也氏もそんなご意見のよう。あるいはライブドア・ニュースの記事もそうだった。</p>
<p><a href="http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2729342/detail">海外で「正しい日本食」を認定してもあまり意味がない？<br />
</a></p>
<blockquote><p>　ニューヨークでは韓国料理店や中国料理店も寿司を出したり、日本的な寿司と同時にフュージョン寿司も出す「スシ・オブ・ガリ」のような店もあり、ちよだ鮨のような純日本的な寿司店もある。まさに百花繚乱状態で、中には変な日本食店があってもいいではないかと思うのだ。</p>
<p>　一番の賞賛方法は模倣すること、というアメリカの諺がある。日本料理をどんどん模倣して新しい料理を開発して食べさせてくれる店というのも一興ではないだろうか。わたしは遠慮しておくが。</p></blockquote>
<p>言わせてもらうが，いやいや，そういう問題ではないのである。</p>
<p>私の立場を先にはっきりさせておくと，「正しい日本食」とそうでない日本食とのあいだに線を引こうとしてもらうことは，ちょっとうれしいことである。なぜなのか。説明しよう。</p>
<p><span id="more-101"></span><br />
▼ご案内のように，海外での日本食の評価は高まっている。パリに関しても，やはり寿司あたりを中心に人気がある。オペラ座界隈はちょっとした日本人街で，ここは日本食に飢えた日本人長期滞在者などが散財覚悟で食べにきたりするところ，すなわちいわゆる「本物」の日本食が食べられる界隈である。あるいはシャンゼリゼからちょっと入ったところとか，いかにも高級そうな場所にもスノッブな回転寿司屋とか（日本人にはすごい違和感があるがこれで間違いない）がある。</p>
<p>フランス人たちも大したもので，結構な数の人々がきちんと箸を使えるようだ（見聞きの範囲内）。ただし自宅に招いて日本食を振る舞ったりすると，「どれから食べればいいの？」とか聞かれる。その質問自体に「？」だったが，一瞬のちに納得した。彼らの食事はコースだから，一皿ずつ順番に食べるのが普通なのである。日本では逆に一つの皿を集中的に食べる「ばっかり食べ」は不作法なこととされているわけで，まあこのへんは異文化間コミュニケーションの微笑ましい一コマと言えよう。</p>
<p>味に関しても，われわれ日本人は「だし」の味に旨みを感じるのに対し，彼らは「脂」の味に感じるらしい。そのため，日本人の好みの味では薄味すぎると感じるらしく，刺身に醤油をドボドボにかけていたりする。見てて「うおー」と思いながら止めないけど。</p>
<p>そういった違いを乗り越えて，しかし日本食は理解され，評価されているのである。これは驚くべきことであると同時に，率直にうれしいことではなかろうか。私は料理はしないけど。</p>
<p><img alt="フジラマだ？" src="http://socioanalysis.net/wp-content/uploads/fujirama.jpg" width="154" height="115" class="alignleft" />これに対して，日本食には「偽物」もある。ものすごくある。パリの日本食屋は8割が「偽物」だとの評判だ（調査には基づいていない）。ライブドア・ニュースの記事には「模倣」されるのはよいことではないか，とあるが，「模倣」というよりも日本食ブームへの「便乗」というのが実情である。現実には多少日本食を知っているアジア系の人々が，「日本料理」という看板で日本食屋をやっているということらしい。</p>
<p>で，そのような人々がそのような商売をするのは，ある意味個人の自由であるような気もするが，日本人としてはちょっと遺憾な気もする。それはなぜかというと，フランス人に日本のことを誤解されてしまう可能性が大いにあるからである。大したことのない料理で「おお，これが日本食か。こんなもんか」と思われたら気分が悪い。逆に，仮に大した料理だったとしても，それは日本食じゃないんだから，やっぱり気分はよくはない。というか，フランス人に聞いたら聞いた瞬間，「それ日本食じゃないから」と即ツッコミたくなる気分を，少なくとも私はもっている。</p>
<p>じゃあ，誤解されるのがいやだから，日本を本当には知らない人々（移民の方々ですな）が日本料理の看板で商売をするのを禁じてよいかと言われれば，何とも心苦しいところではある。だが，日本人が外国人に「日本のことをわかってほしい」と思う気持ちというのも，それなりに切実なものであって，今日はあえてそちらを強調してみたいのである。難しい言葉で言えば「アイデンティティーの承認をめぐる闘争」（チャールズ・テイラー）の問題である。</p>
<p>▼「自分はこれこれこういう人間だ」と思っているときに，人がそのように見てくれないのは，程度の差はあれけっこうつらいことである。自分が自分をどう見ているかという自己認識と，他者が見た自分の像とのあいだのギャップは，何とかして埋めたいと思うものだ。そこで葛藤が起こったり，じたばたもがいてみたり，まあいろんなことがある。</p>
<p>人が正当な評価を受けていない場合，たとえば自分の自己評価よりも他人の自己評価の方が低い場合，たとえば自分は自分を正直な人間だと思っているのに他人には嘘つきと思われているとか，冤罪なんかで犯罪者だと思われているとか。そういうときは，つらい。あるいは性同一性障害の場合，自分は心は女性だと思っていても，戸籍上・生物学的に男性であることになっていれば，世間はそのように見るだけでなく，女性的な男性，十分に男性でない男性，中途半端な男性，などと見られてしまうことになってしまう（男女逆のバージョンも想像されたし）。これは当人にとってみれば明らかに正当ではない。</p>
<p>言われなく低く見られること――これは一つの局面として「差別」を含むだろう――の構造の中に置かれてしまったら，その際の苦しみは筆舌に尽くせないものがある。その際，当人には責任があるといえるかどうか。答えはYesでありNoであろう。</p>
<p>「No」であるというのは，こうだ。人間は，あるがままの自分を見てほしいわけだろう。べつに過大評価をされたいわけではない，その必要はない。ただし「あるがままの自分」は自分が知っている自分にすぎないので，原理的には他人から見た自分と自動的に一致するものではない。だから「No」である。</p>
<p>しかし，そのギャップを自分で埋めていく――声を上げていく，相手を説得していく，自分の立場をアピールしていく，その責任は当人が負うのが筋だろう。というか，気の毒ではあれ，ほかにそれを担える者は見当たらない。だから「Yes」でもある。</p>
<p>こんな話をすると大げさに思われるかもしれないが，忘れてはいけない。われわれの誰もが，思春期を通じて，いや大人になってもずっと，こういうことを日々やってきたはずである。そうではないだろうか？　あるのは個人差だけである。条件がよくラクだった人もいれば，条件が悪く壮絶だった人もいるだろう。しかし，そこの構造それ自体に変わりがあるとは思えないのである。</p>
<p><img alt="La Villetteで紹介されている日本食「キテレツ寿司」" src="http://socioanalysis.net/wp-content/uploads/sushi.jpg" width="256" height="171" class="alignright" />▼以上がテイラーの議論のうち，私が首肯できる部分である。私は日本や日本人のことをフランス人にきちんと理解してほしいと願う。だから，誤った情報に基づいて「これが日本か」と彼らに納得されてしまうのは，率直に言ってイヤである。だからそういう人々を「それは違うよ」といちいちツッコんだり，「本物」の日本レストランに引っ張って行ったり，妻が許せば自宅に招いて日本食を食わせたり，日本の風景のポストカード（「正しい」やつね。外人向けにデフォルメされてないやつ）とかいろんな日本の文物を配ったり，まあそれは文化の伝達には貢献しましたよホントに。それもこれも日本に対する歪んだイメージを是正するためである。</p>
<p>ここに私は，自らの「愛国心」を認める。私のもつ「愛国心」とは，このような種類のものである。</p>
<p>この作業を「国」レベルでやるべきなのかどうか，という議論は確かに可能だ。それはちょっと置いておきたいが，少なくとも私が個人でやっていることと同じ方向のことを別の誰かがやってくれることには歓迎すべき側面がある。いずれにせよ「あまり意味がない？」などと言ってもらっては困る。意味ぐらいある。</p>
<p>よろしいか。やみくもに〈自己評価が高い〉ということが，愛国的なことではないのである。</p>
<p>自己批判能力がないために自己評価が高すぎて，「私はこんなに偉大な人間だ。だからお前ごとき虫けらが私を敬わないのはおかしい」などと主張することを，何と呼ぶべきか。夜郎自大。もしくは酩酊。狂気。いずれにせよこのような主張をすることは，恥ずかしいことである。なぜなら，自分で自分を証（あかし）することはできない，というのは論理的に真であるのに，あからさまにそれをやろうとしている愚を犯しているからだ（やるんなら心の中でそっとやりなさい）。他方，愛国者という自己評価をもつ者は，そのような恥ずかしい態度をとるべきではない。愛国者が国辱を行うのは矛盾だからだ（心の中でちょっと思うだけにしときなさい）。</p>
<p>〈私の評価を正確にやってくれ〉と他者に願うこと，実際にそれを主張し，他者の承認を勝ち取ろうとする原動力としてのある感情。これのほうが数百倍「正しい」自尊感情であり，愛国心なのである。ただしこの場合の「正しい」は「論理的に正しい」という意味である。</p>
<p>再び原理的に言えば，他者は他者なんだから〈私の評価〉に「正しく」到達できるわけはない。無理なのだ。そもそもこの意味では「正しい評価」とは何かを，正確に定義することすらできない（こちらは価値判断の文脈。論理的文脈とは分けて考えよう）。しかしそれでも無理やり「折り合いをつける」というのが，「ひとのあいだ」と書いて人間，の生きる道なのである。</p>
<p>▼で，何かね。この「愛国心」というようなものを子どもたちに「教え」ようと言うのかね。</p>
<p>何だかなあ。むしろ，そういう素朴な感情をはなからもっていない人間というものを，私は想像することができないのだが。</p>
<p>もちろん，自己評価の低い日本人はけっこういるだろう（「自虐史観」で）。私もその一人である。しかし，「自大史観」とか「自慰史観」とかよりは，他者から見て百万倍はイケてるスタイルであるからこそ，そちらを採用しているのである。謙虚さは日本人の美徳だしね。</p>
<p>先ほどのテイラーだが，私としては「集団的目標」とかは危険な概念であると考えている。テイラーは，ケベック人としての「アイデンティティーの承認」を，ケベック人たちの「集団的目標」として，カナダ連邦は承認すべきだ，と主張する。ここまでくるとそんな必要あるのかという話である。</p>
<p>これに対して私の「愛国心」は，個人的なものである。私は個人の資格で，「日本とはこういう国なんだよ」ということを実際に外国人に伝えてきたし，これからもそうするし，私じゃないほかの誰かでも同じようにできるし，実際にしておられる方はたくさんおられる。</p>
<p>それは純粋に，べつにフツーに，自分というものを理解してもらいたいという，素朴で人間的な感情に基づく行動である。</p>
<p>特に集団で固まって，みんなが同じ方向を向かんとあかんということを誰かが決める必要はないのである。</p>
<p>ましてや，みんなに「自大史観」を注入して，国家への忠誠心を涵養し，国旗・国歌への敬意を抱かせ，学校で愛国心を評価しようなどということを言い始めるのはトンチンカンにもほどがあるのである。</p>
<p>と書いてきて思い出したが，縷々述べたようにこ～んなに愛国的な私なのに，不思議と国旗と国歌には「敬意」はもてない。いや，「愛着」なら確かにもっている。スポーツとかで国旗が揚がって国歌が流れれば，おお，と思う。しかし国旗とか国歌に対する「敬意」って何だ？　外国人は自国の国旗に「敬意」をもっているんだろうか。もっているとしたらどういう意味においてであろうか。こんど聞いてみよう。</p>
<p>▼「海外で『正しい日本食』を認定してもあまり意味がない？」とか言うが，意味があるかないかという（実利的な？）問題ではなく，宮台氏の言う感情のゲームとして，人が自分を「正しく」認識してくれなきゃ誰でもやっぱりムズムズするのである。</p>
<p>感情のゲームではあるが，その特殊な感情のゲーム自体は，人間が人間であるという事実に内在する〈構造〉なのだと私は思う。人間がそれを失う可能性はまああると言ってもいいかもしれない，しかしそれを失った場合の「人間」は，われわれが今考えているような人間ではなくなるだろう。</p>
<p>この話は何も，政府の言うことには何でも聞かなければならない，などという話――どこかの誰かが言っている「愛国心」――とは本質的に無関係である。</p>
<p>逆に，政府の言うことには何でも反対，という話とも無関係である。にもかかわらずニュース23とライブドア・ニュースはどうもあまりよく考えずこちらの路線に嵌まっているように私には感じられる。</p>
<p>だから，私もいつもは小泉・安倍政権を批判している立場であるにもかかわらず，今回の件にかぎり部分的に，政府のアクションの肩をもってみる今日この頃なのである。</p>
]]></content:encoded>
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