細野大臣にメールしてみたYO!

細野豪志原発担当/環境大臣にメールしてみました。彼のHPの問い合わせフォームから。ちょっと甘いかなとは思いつつも,こんな感じで。

汚染瓦礫拡散につき,再考をお願いします

細野大臣,

はじめまして,青山学院大学総合文化政策学部の中野昌宏と申します。

単刀直入に申します。「国民全体で痛みを分かち合う」とのお考えですが,汚染された瓦礫を全国に拡散させる方針は間違っていると私は考えます。

今回原発事故によって日本の国土の一部,特に福島県などが甚大な被害を受けました。大臣のおっしゃる「痛みを分かち合う」とは,すなわち瓦礫や農作物を全国に拡散させることは,当初の事故による被害をこれから長期間にわたって日本国中に拡大していくことを意味するだけです。大臣は「これからも被害を拡大させます」とおっしゃっているのです。 Continue reading

プロパガンダの研究

プロパガンダ[新版]

著者等:エドワード・バーネイズ

出版社:成甲書房(2010-10-05)

単行本(240ページ)


最近の研究テーマとして,「プロパガンダ」というのが私のホットな関心事である。

もちろん,原発〜放射能災害をめぐる政府−メディアの情報統制ぶりに頭に来ているのが直接の原因ではある。

エドワード・バーネイズ『プロパガンダ』(1928)という古典を見つけた。バーネイズという苗字に見覚えがあったが,これは実にフロイトの妻の苗字ベルナイスの英語読みである。実はエドワードは,ジクムント・フロイトの甥にあたるのだという。恥ずかしながら,これはいままで知らなかった。

「広告の父」とも呼ばれるバーネイズは,したがってもちろんユダヤ人である。そのユダヤ人が,あえてネガティヴイメージのついてしまった「プロパガンダ」なる言葉を復権すべく,その必要性と各種手法について述べている。そして皮肉なのは,この書をゲッペルスらが修得し,活用してしまったことである。もちろん周知のとおり,ヒトラーの『我が闘争』(1925-26)にも,さまざまなプロパガンダ手法が記されている。わずかにヒトラーのほうが先だが,時期的に重なっているのが示唆的である。

この古典に示された手法が現代にどの程度まで通用するものなのか,興味深い。案外,新しい手法など開発されていないのではないだろうか。

「風評被害」という詭弁

3.11東日本大震災からはや半年が経とうとしている。この間,レポートの採点に手間取ったことや,家族の事情などがあり,このブログもずいぶんご無沙汰になってしまった。

地震と津波もさることながら,福島第一原発の事故はチェルノブイリを超える世界史上最大の災害となってしまった。自然災害としての地震と津波があまりに大きかったので,原発事故も「想定外」である,しかたがなかったと言う人々もいるが,各方面から指摘のあるように人災の側面も大きい。私は事故そのものよりも,東京電力や政府の事故後の対処こそが,世界史上最悪のものだと思っている。
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エジプトの動向,メディアの問題

情報化社会などと言うけれど,情報というのはただ待ってたら入ってくるものではない。世界で起きている問題をどう考えるか,いいことなのか,悪いことなのか,誰が特をして誰が損をするのか。われわれ自身はどう対処すべきか。そういうことを判断するために,必要な情報というものがある。残念ながら,ただテレビの前に座っているだけでは,そのような情報にはありつけない。←ここ大事

自分からそうとう能動的に動いていかないと,十分な情報は得られない。特にアラブ世界のことはなかなかキャッチしにくい。アラビア語で書かれた情報の解読はさすがに無理……(個人的に)。なので,アラビア語の読める人のお話が貴重となるはず。
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エマニュエル・トッド 国際シンポジウム

私の学部主催のシンポジウムがこの15日(木)に開催されます。トッドさんは76年にソ連崩壊を予言し,的中させたことで一躍著名になりましたが,どうやらリーマン・ショックも予言的中といったところで,今後注目されていくのではないでしょうか。ところで私も知りませんでしたが,この人はポール・ニザンの曾孫さんなんですね。

まさに「社会分析学」にふさわしいイベント。ぜひご来場ください! 

自衛隊に監視されてたの?

今日のニュース。

陸自情報保全隊の“監視”活動、共産党が中止求め会見

 共産党の志位和夫委員長は6日、衆院議員会館で記者会見を開き、陸上自衛隊の情報保全隊が、イラク派遣に反対する市民活動などの調査・情報収集を行っていたことを示す内部文書を入手したことを明かしたうえで、「違憲・違法な国民監視活動だ」として、活動の即時中止を求めた。

 文書には、全国289の個人や団体に関する、集会や街頭での活動の様子が記載されていた。

 防衛省の守屋武昌次官は同日夜、記者会見し、「文書が本物かどうかはコメントしない」としたうえで、「隊員や家族に動揺や不安が起きないようにとの観点から、派遣に批判的な方の動きは情報収集してきた。任務遂行に必要で、違法性はない」と説明した。(以下略)

(2007年6月6日22時25分 読売新聞)

がぜん気になるのは,「文書には、全国289の個人や団体に関する、集会や街頭での活動の様子が記載されていた」というくだり。

オイラは,この「289の個人や団体」に入ってるかな? 気になるけど……。

ベスト289かぁ……。たぶん入ってないと思います(ショボーン)。

むしろ入っていた方が喜びます。

自衛隊の方。私のブログを監視しといてくださいね。つねに。イラク戦争はんたーい。

ていうか,誰も責任取らないんですか? 大量破壊兵器はガセネタだったし。現状イラクはドロドロだし。無駄金使って人命危険に晒して,あんなの永田メール問題以上には吊るし上げられてもよいのでは? 

ファシズム時代は「いじめ」の時代

先日の知事選もわれわれフツーの市民を落胆させたが,昨日は希代の悪法「国民投票法案」が強行採決された。

この法案の問題点は,もんのすごく短く言うと,最低投票率の規定がないために,特定政党とつるんでるわけのわからん宗教団体とかの組織票があれば一発で憲法を変えられるということである。

おまけにご丁寧に,オイラみたいな教員の類はものを言うな,黙っとれという註釈つきである。

われわれは教員であるとともに,言論を生業としている者である。言論を封殺されたらおまんまの食い上げではございませんか? と小一時間……(まそりゃ安倍とか中川とかには明らかに朗報だろうけど)。

▼おわかりか。この法案は要するに,何だかごちゃごちゃ言ってくるザコ平民どもを黙らせて,支配者の・支配者による・支配者のための美しい国づくりを一気にブルドーザーでやってしまえという飛び道具なのである。それ以上でも以下でもない。

最近,政治家が民主主義にかかる手間ヒマを惜しむんだよねぇ。安直なんだよ!

鳴かずんば,殺してしまえ,不如帰。そんな信長なこの法案の危険性はどれだけ人口に膾炙しているのだろうか。ちょっと詳しく知りたい方には,Wikipediaの記述じゃわからないので

のpdfパンフレットをおすすめしておく。その他にもネット上には

その他もろもろ,ブログレベルでは山のようにドキュメントがある。誰が読んでも,客観的に,「これはダメ法案だろ」というのがわかるようになっている。一度ご覧いただきたい。

▼公職選挙法の縛りで,選挙前には石原の悪口をここに書くことができなかった。悪口とは言ってもホントのことですがね。普通のジャーナリズムだったらホントの悪口なら書いてもよいのだが,オイラは教員なのでひっかかる可能性が高かった。一般人でも例の「きっこの日記」なんかは,石原側に訴えるぞと脅されて日記を削除してたし,フランス語訴訟の件だって記者会見開いたのにほとんど報道されなかったのは,提訴されたというのは選挙と関係ない客観的事実なのに,メディアが自主規制したのだという。

どうゆうことやねん。自主規制て……。

まあそうやって石原の日頃の悪事は隠され,「反省モード」で当選したと思いきや急に悪童に戻る,という予定調和。

ていうか,石原の人格については最初から,Wikipediaを見ただけでもかなりひどいことはわかるぞ。こういうのをボスに迎えてどうするわけ? これはみんなホントに知らなかったのか,知らないふりをしていたのか,石原だと何かトクをすることになっていたのか,むしろそこんとこは愛すべきキャラと思っているのか,もともとヒール(悪役)とかアウトロー(無法者)に萌えるというひねた美意識なのか,ご無体なご主人様に仕えるのが好きなマゾのメイドなだけなのか,科研費をとって調査してみたいところである。

ぶっちゃけ石原でなかったら,ドクター中松でもよかったなぁ,とか。桜金造だったらどうだろうなぁ,とか。思い余って美濃部亮吉Love,とか。妄想してる。うそですよ。浅野も意外に不人気で,一般市民に担ぎだされた割には否定的な評価が多かった。ともかく誰が無害かが実は肝心で,何かいいことしてくれるとは最初から思っていないところは正直あった。

でも石原以外の誰であっても,石原ほど頻繁に人を傷つける暴言は吐かないだろう。それに,思い込みと思いつきばかりトップダウンでごり押しすることはないだろう。それだけで十分かと。どうせ実務は官僚がやってくれるんだしね。週に2~3日登庁しとけばOKだしね(笑)。

▼アメリカではとても最近,スペイン語を「ゲットーの言葉」と呼んだニュート・ギングリッジ下院議長と,黒人の女子大生バスケットボール選手を「縮れ髪の売春婦」と呼んだ人気ラジオ司会者のドン・アイマスが吊るし上げられた。

なぜ,石原もこうならないのか。日本とアメリカの文化の違いというわけではない。答えは簡単。

ヒスパニック系や黒人は,人数的には相当数にのぼる。要はこいつらは「多数者」を敵に回したから吊るし上げられているのである。

かたや石原が攻撃するのは,精神障害者とか,外国人とか,老婦人とか,フランス語教師とかである。つまり,圧倒的な少数者だ。そういうのを傷つけても,敵に回しても,選挙のときの票にも響かないし,自分は痛痒を感じない。そういう人たちが傷つけられているのをはたで見ている他の人々も,基本的には見て見ぬふりだ。まあ他の人々からすると,確かに感情移入しにくい対象が選ばれていると言える。そこが石原の小ずるいところだ。中には石原と同じような差別意識をもった輩もいくらかいて,そいつらは手を打って喜ぶし。

他の連中だって本当は「明日は我が身」なのにね。何でケチつけられるかわからんやん。侮辱されるだけならまだいいけど,都立大なんか潰されちゃって,何人流出したか……。余所に居場所のある有能な先生が多かったのが幸いであるが,要するに整理解雇だからね,あれは。しかも超ワンマン経営の。奴の一存で多くが職を奪われてしまうわけである。そんな横暴許していいと思うか?

本当は,リーダーたる者,(百歩譲って)ポーズだけでも全員のために奉仕する姿勢を示すべきであろう。最初から自分の支持者だけを大事にしてあとは氏ねなんてのは,ネオリベ個人主義の風潮を最大限に活かした(涙)デマゴーグ的やり方でしょうが。

それで,攻撃されたその少数者は,いま裁判で闘っているけれど,ババァ訴訟は棄却。おしまい。フランス語訴訟はこれからだが,微妙に黙殺されつつある。勝ったとしてもね。選挙では数がないから勝てないし,裁判でも勝てないときたもんだ。フランス語訴訟では,本当に問題にしたいのは石原個人の人格,政治家としての資質の問題なのに,裁判では個々の発言しか争点にできないから,すごく矮小なクレームのように見えてしまうし。でそれをわかって石原はどうせ大したことにはならんとタカをくくっている。

この人らの人権とか名誉とかは,誰がどう面倒みてくれるの? 見殺し? 

だよね? だって少数者に向かって「公的」暴言を吐きつづけている,その都知事を多くの都民が支持してるわけだから。

フランス語訴訟の原告団の方,この記事をお読みかと思います。「都民からお金をとることが本意ではない」とのことですが,都民にはきわめて重大な責任があります。請求されている賠償金が一人5万円なんて安すぎます。額を数百倍した方がよろしいかと存じます。都民がその税金で払ってくれるはずです。その決断を彼らはしたはずです。

▼そういえばこの構図,どこかで見たのでは? そう,学校で見た。「いじめ」の構図である。

いじめっ子が誰かをいじめる。周囲のみんなは,気がついても知らん顔している。というか,もし止めようとしたら,逆恨みされて自分がいじめられるんじゃないかと恐れている。だから黙殺する。

マジョリティー(多数者)なんだから,もしもマジョリティーが一斉に声をあげれば,いじめは起こらないはず。起こりようがないはず。いじめっ子だって,マジョリティーを敵に回すことはできない。いじめが黙認され,いじめっ子が罰を受けないままだから,いじめは続くよどこまでも。

ヒトラーを支持したドイツ人というのは,いろいろ意見もあるだろうが,結果論としてだけ言えば,やっぱりバカだったのだ。だからこそ彼らはいま反省しているのだ。だって自分たちがマジョリティーなのに,政治を変えられたのに,黙ってたんだぜ? ユダヤ人がいじめられているのに,黙るという形でいじめに加担してたわけよ? いじめ発覚後に,黙っていたクラスの連中が「ボクたちは止められたのに,止めなかった」と涙ながらに反省するのと同じことである。

本当は,いじめられているユダヤ人にも共感し,連帯して,無茶なボスを諫めるようでないと,一般市民ちゅうしんどい資格は勤まらないのである。そこに「民度」というものがあるのである。

▼だいたい「選挙」というのは,なぜこうもアホの祭典そのものなのだろうか。考えてみれば当たり前だ。候補者がこぞってあのうるさい「街宣車」で走り回っているだけで,彼らの政見や活動や人物像について「官製」の報道しかされない現在の選挙のあり方では,頭を使う機会もろくになく,民度も下がって当然なのである。

宮台氏もいつか嘆いていたけれど,「知的な議論が何もできない」この現状は何とかすべきである。そのためにはまず,立花隆の言うように(2005年の記事なんだなぁ),公職選挙法を改正して,街宣車での活動を制限する一方,そのかわりネット上では自由に議論や論評ができるようにするのがよいのではないか。文字でやりとりできた方が,頭を使って考えられてよいではないか。

荒らし対策がたいへんかもしれないが,候補者の名前を拡声器で刷り込むだけなんて,あまりに寒すぎる。みんながありとあらゆる情報(プラスもマイナスも)を受け取れて,自分の頭で考えられるということが必要なのであって,最初から情報を絞ってくる選挙なんて,平たく考えてダメな制度である。

そういう意味では,都知事選の候補者のうち有力そうな4人だけテレビの討論番組に出たのは公職選挙法違反である,と訴えを起こしたドクター中松は支持してあげたい気分なんですけど。いや彼に特段の思い入れはない。でも確かに平等じゃなかったもんねぇ。それでも裁判は負けるだろうねぇ。