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	<title>社会分析学ウェブサイト@中野昌宏研究室 &#187; フランス</title>
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	<description>青山学院大学 総合文化政策学部（SCCS）から投げる直球。</description>
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		<title>クロード・レヴィ＝ストロース逝去</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2009/11/04/200320/</link>
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		<pubDate>Wed, 04 Nov 2009 11:03:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[お知らせ]]></category>
		<category><![CDATA[フランス]]></category>

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		<description><![CDATA[亡くなりましたね。1908年生まれ。享年ぴったり100歳。 あと数週間で101歳になるところでした。 Le MondeとかLe Figaroとか。 （Thanks to 村上靖彦先生） 来週の「象徴記号論」は，急遽この人 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>亡くなりましたね。1908年生まれ。享年ぴったり100歳。<br />
あと数週間で101歳になるところでした。<br />
<a href="http://www.lemonde.fr/carnet/article/2009/11/03/l-ethnologue-claude-levi-strauss-est-mort_1262351_3382.html">Le Monde</a>とか<a href="http://www.lefigaro.fr/culture/2009/11/03/03004-20091103ARTFIG00574-claude-levi-strauss-est-mort-.php">Le Figaro</a>とか。<br />
（Thanks to <a href="http://kusaiinu.exblog.jp/">村上靖彦</a>先生）</p>
<p>来週の「象徴記号論」は，急遽この人の追悼講義にしようかとか，考えています。<br />
実は先日のエマニュエル・トッドさんは，レヴィ＝ストロースとも親戚筋なのだそうです。が，トッドさんが彼にインタヴューした際に，けっこう冷たくあしらわれたとか。</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>大分EU協会20周年記念シンポジウム</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2007/06/19/211723/</link>
		<comments>http://socioanalysis.net/2007/06/19/211723/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 19 Jun 2007 12:17:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[お知らせ]]></category>
		<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[研究]]></category>

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		<description><![CDATA[
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="photo" style="float: right;">
<a href="http://www.oita-u.ac.jp/01oshirase/koenkai/index.html#007" target="blank" class="broken_link"><img src="http://www.oita-u.ac.jp/01oshirase/koenkai/2007/006.jpg"></a>
</div>
<p>明日，大分EU協会20周年記念シンポジウム「EURO-ACU：ユーロの意義とアジア通貨単位の可能性」が大分大学経済学部で開かれます。</p>
<ul>
<li><a href="http://www.oita-u.ac.jp/01oshirase/koenkai/index.html#007" target="blank" class="broken_link">イベント・講演会等開催予定</a></li>
<li><a href="http://www.oita-u.ac.jp/01oshirase/koenkai/2007/006.pdf" target="blank" class="broken_link">ポスター（pdf）</a></li>
</ul>
<p>ただし，駐日欧州委員会代表部政治経済部長のファブリス・ヴァレイユ氏はやむを得ない事情によりご出席いただけなくなりましたので，急遽同部のマシュー・グリーン氏に同じ演題にてご講演いただきます。</p>
<p>こんなギリギリなアナウンスで申しわけありませんが，お近くの方はぜひ。</p>
<p>ちなみに私は前半の司会担当です。</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>海外における「正しい」日本食／アイデンティティーの承認をめぐる闘争</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2006/11/24/033814/</link>
		<comments>http://socioanalysis.net/2006/11/24/033814/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 23 Nov 2006 18:38:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[時事]]></category>

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		<description><![CDATA[今晩のニュース23でもやっていたけれど，「国が『正しい日本食』を決める」ということで，そのことに疑問の声があがっている。筑紫哲也氏もそんなご意見のよう。あるいはライブドア・ニュースの記事もそうだった。 海外で「正しい日本 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img alt="スシハウヌだ？" src="http://socioanalysis.net/wp-content/uploads/sushihaunu.jpg" width="71" height="129" class="alignright" />今晩のニュース23でもやっていたけれど，「国が『正しい日本食』を決める」ということで，そのことに疑問の声があがっている。筑紫哲也氏もそんなご意見のよう。あるいはライブドア・ニュースの記事もそうだった。</p>
<p><a href="http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2729342/detail">海外で「正しい日本食」を認定してもあまり意味がない？<br />
</a></p>
<blockquote><p>　ニューヨークでは韓国料理店や中国料理店も寿司を出したり、日本的な寿司と同時にフュージョン寿司も出す「スシ・オブ・ガリ」のような店もあり、ちよだ鮨のような純日本的な寿司店もある。まさに百花繚乱状態で、中には変な日本食店があってもいいではないかと思うのだ。</p>
<p>　一番の賞賛方法は模倣すること、というアメリカの諺がある。日本料理をどんどん模倣して新しい料理を開発して食べさせてくれる店というのも一興ではないだろうか。わたしは遠慮しておくが。</p></blockquote>
<p>言わせてもらうが，いやいや，そういう問題ではないのである。</p>
<p>私の立場を先にはっきりさせておくと，「正しい日本食」とそうでない日本食とのあいだに線を引こうとしてもらうことは，ちょっとうれしいことである。なぜなのか。説明しよう。</p>
<p><span id="more-101"></span><br />
▼ご案内のように，海外での日本食の評価は高まっている。パリに関しても，やはり寿司あたりを中心に人気がある。オペラ座界隈はちょっとした日本人街で，ここは日本食に飢えた日本人長期滞在者などが散財覚悟で食べにきたりするところ，すなわちいわゆる「本物」の日本食が食べられる界隈である。あるいはシャンゼリゼからちょっと入ったところとか，いかにも高級そうな場所にもスノッブな回転寿司屋とか（日本人にはすごい違和感があるがこれで間違いない）がある。</p>
<p>フランス人たちも大したもので，結構な数の人々がきちんと箸を使えるようだ（見聞きの範囲内）。ただし自宅に招いて日本食を振る舞ったりすると，「どれから食べればいいの？」とか聞かれる。その質問自体に「？」だったが，一瞬のちに納得した。彼らの食事はコースだから，一皿ずつ順番に食べるのが普通なのである。日本では逆に一つの皿を集中的に食べる「ばっかり食べ」は不作法なこととされているわけで，まあこのへんは異文化間コミュニケーションの微笑ましい一コマと言えよう。</p>
<p>味に関しても，われわれ日本人は「だし」の味に旨みを感じるのに対し，彼らは「脂」の味に感じるらしい。そのため，日本人の好みの味では薄味すぎると感じるらしく，刺身に醤油をドボドボにかけていたりする。見てて「うおー」と思いながら止めないけど。</p>
<p>そういった違いを乗り越えて，しかし日本食は理解され，評価されているのである。これは驚くべきことであると同時に，率直にうれしいことではなかろうか。私は料理はしないけど。</p>
<p><img alt="フジラマだ？" src="http://socioanalysis.net/wp-content/uploads/fujirama.jpg" width="154" height="115" class="alignleft" />これに対して，日本食には「偽物」もある。ものすごくある。パリの日本食屋は8割が「偽物」だとの評判だ（調査には基づいていない）。ライブドア・ニュースの記事には「模倣」されるのはよいことではないか，とあるが，「模倣」というよりも日本食ブームへの「便乗」というのが実情である。現実には多少日本食を知っているアジア系の人々が，「日本料理」という看板で日本食屋をやっているということらしい。</p>
<p>で，そのような人々がそのような商売をするのは，ある意味個人の自由であるような気もするが，日本人としてはちょっと遺憾な気もする。それはなぜかというと，フランス人に日本のことを誤解されてしまう可能性が大いにあるからである。大したことのない料理で「おお，これが日本食か。こんなもんか」と思われたら気分が悪い。逆に，仮に大した料理だったとしても，それは日本食じゃないんだから，やっぱり気分はよくはない。というか，フランス人に聞いたら聞いた瞬間，「それ日本食じゃないから」と即ツッコミたくなる気分を，少なくとも私はもっている。</p>
<p>じゃあ，誤解されるのがいやだから，日本を本当には知らない人々（移民の方々ですな）が日本料理の看板で商売をするのを禁じてよいかと言われれば，何とも心苦しいところではある。だが，日本人が外国人に「日本のことをわかってほしい」と思う気持ちというのも，それなりに切実なものであって，今日はあえてそちらを強調してみたいのである。難しい言葉で言えば「アイデンティティーの承認をめぐる闘争」（チャールズ・テイラー）の問題である。</p>
<p>▼「自分はこれこれこういう人間だ」と思っているときに，人がそのように見てくれないのは，程度の差はあれけっこうつらいことである。自分が自分をどう見ているかという自己認識と，他者が見た自分の像とのあいだのギャップは，何とかして埋めたいと思うものだ。そこで葛藤が起こったり，じたばたもがいてみたり，まあいろんなことがある。</p>
<p>人が正当な評価を受けていない場合，たとえば自分の自己評価よりも他人の自己評価の方が低い場合，たとえば自分は自分を正直な人間だと思っているのに他人には嘘つきと思われているとか，冤罪なんかで犯罪者だと思われているとか。そういうときは，つらい。あるいは性同一性障害の場合，自分は心は女性だと思っていても，戸籍上・生物学的に男性であることになっていれば，世間はそのように見るだけでなく，女性的な男性，十分に男性でない男性，中途半端な男性，などと見られてしまうことになってしまう（男女逆のバージョンも想像されたし）。これは当人にとってみれば明らかに正当ではない。</p>
<p>言われなく低く見られること――これは一つの局面として「差別」を含むだろう――の構造の中に置かれてしまったら，その際の苦しみは筆舌に尽くせないものがある。その際，当人には責任があるといえるかどうか。答えはYesでありNoであろう。</p>
<p>「No」であるというのは，こうだ。人間は，あるがままの自分を見てほしいわけだろう。べつに過大評価をされたいわけではない，その必要はない。ただし「あるがままの自分」は自分が知っている自分にすぎないので，原理的には他人から見た自分と自動的に一致するものではない。だから「No」である。</p>
<p>しかし，そのギャップを自分で埋めていく――声を上げていく，相手を説得していく，自分の立場をアピールしていく，その責任は当人が負うのが筋だろう。というか，気の毒ではあれ，ほかにそれを担える者は見当たらない。だから「Yes」でもある。</p>
<p>こんな話をすると大げさに思われるかもしれないが，忘れてはいけない。われわれの誰もが，思春期を通じて，いや大人になってもずっと，こういうことを日々やってきたはずである。そうではないだろうか？　あるのは個人差だけである。条件がよくラクだった人もいれば，条件が悪く壮絶だった人もいるだろう。しかし，そこの構造それ自体に変わりがあるとは思えないのである。</p>
<p><img alt="La Villetteで紹介されている日本食「キテレツ寿司」" src="http://socioanalysis.net/wp-content/uploads/sushi.jpg" width="256" height="171" class="alignright" />▼以上がテイラーの議論のうち，私が首肯できる部分である。私は日本や日本人のことをフランス人にきちんと理解してほしいと願う。だから，誤った情報に基づいて「これが日本か」と彼らに納得されてしまうのは，率直に言ってイヤである。だからそういう人々を「それは違うよ」といちいちツッコんだり，「本物」の日本レストランに引っ張って行ったり，妻が許せば自宅に招いて日本食を食わせたり，日本の風景のポストカード（「正しい」やつね。外人向けにデフォルメされてないやつ）とかいろんな日本の文物を配ったり，まあそれは文化の伝達には貢献しましたよホントに。それもこれも日本に対する歪んだイメージを是正するためである。</p>
<p>ここに私は，自らの「愛国心」を認める。私のもつ「愛国心」とは，このような種類のものである。</p>
<p>この作業を「国」レベルでやるべきなのかどうか，という議論は確かに可能だ。それはちょっと置いておきたいが，少なくとも私が個人でやっていることと同じ方向のことを別の誰かがやってくれることには歓迎すべき側面がある。いずれにせよ「あまり意味がない？」などと言ってもらっては困る。意味ぐらいある。</p>
<p>よろしいか。やみくもに〈自己評価が高い〉ということが，愛国的なことではないのである。</p>
<p>自己批判能力がないために自己評価が高すぎて，「私はこんなに偉大な人間だ。だからお前ごとき虫けらが私を敬わないのはおかしい」などと主張することを，何と呼ぶべきか。夜郎自大。もしくは酩酊。狂気。いずれにせよこのような主張をすることは，恥ずかしいことである。なぜなら，自分で自分を証（あかし）することはできない，というのは論理的に真であるのに，あからさまにそれをやろうとしている愚を犯しているからだ（やるんなら心の中でそっとやりなさい）。他方，愛国者という自己評価をもつ者は，そのような恥ずかしい態度をとるべきではない。愛国者が国辱を行うのは矛盾だからだ（心の中でちょっと思うだけにしときなさい）。</p>
<p>〈私の評価を正確にやってくれ〉と他者に願うこと，実際にそれを主張し，他者の承認を勝ち取ろうとする原動力としてのある感情。これのほうが数百倍「正しい」自尊感情であり，愛国心なのである。ただしこの場合の「正しい」は「論理的に正しい」という意味である。</p>
<p>再び原理的に言えば，他者は他者なんだから〈私の評価〉に「正しく」到達できるわけはない。無理なのだ。そもそもこの意味では「正しい評価」とは何かを，正確に定義することすらできない（こちらは価値判断の文脈。論理的文脈とは分けて考えよう）。しかしそれでも無理やり「折り合いをつける」というのが，「ひとのあいだ」と書いて人間，の生きる道なのである。</p>
<p>▼で，何かね。この「愛国心」というようなものを子どもたちに「教え」ようと言うのかね。</p>
<p>何だかなあ。むしろ，そういう素朴な感情をはなからもっていない人間というものを，私は想像することができないのだが。</p>
<p>もちろん，自己評価の低い日本人はけっこういるだろう（「自虐史観」で）。私もその一人である。しかし，「自大史観」とか「自慰史観」とかよりは，他者から見て百万倍はイケてるスタイルであるからこそ，そちらを採用しているのである。謙虚さは日本人の美徳だしね。</p>
<p>先ほどのテイラーだが，私としては「集団的目標」とかは危険な概念であると考えている。テイラーは，ケベック人としての「アイデンティティーの承認」を，ケベック人たちの「集団的目標」として，カナダ連邦は承認すべきだ，と主張する。ここまでくるとそんな必要あるのかという話である。</p>
<p>これに対して私の「愛国心」は，個人的なものである。私は個人の資格で，「日本とはこういう国なんだよ」ということを実際に外国人に伝えてきたし，これからもそうするし，私じゃないほかの誰かでも同じようにできるし，実際にしておられる方はたくさんおられる。</p>
<p>それは純粋に，べつにフツーに，自分というものを理解してもらいたいという，素朴で人間的な感情に基づく行動である。</p>
<p>特に集団で固まって，みんなが同じ方向を向かんとあかんということを誰かが決める必要はないのである。</p>
<p>ましてや，みんなに「自大史観」を注入して，国家への忠誠心を涵養し，国旗・国歌への敬意を抱かせ，学校で愛国心を評価しようなどということを言い始めるのはトンチンカンにもほどがあるのである。</p>
<p>と書いてきて思い出したが，縷々述べたようにこ～んなに愛国的な私なのに，不思議と国旗と国歌には「敬意」はもてない。いや，「愛着」なら確かにもっている。スポーツとかで国旗が揚がって国歌が流れれば，おお，と思う。しかし国旗とか国歌に対する「敬意」って何だ？　外国人は自国の国旗に「敬意」をもっているんだろうか。もっているとしたらどういう意味においてであろうか。こんど聞いてみよう。</p>
<p>▼「海外で『正しい日本食』を認定してもあまり意味がない？」とか言うが，意味があるかないかという（実利的な？）問題ではなく，宮台氏の言う感情のゲームとして，人が自分を「正しく」認識してくれなきゃ誰でもやっぱりムズムズするのである。</p>
<p>感情のゲームではあるが，その特殊な感情のゲーム自体は，人間が人間であるという事実に内在する〈構造〉なのだと私は思う。人間がそれを失う可能性はまああると言ってもいいかもしれない，しかしそれを失った場合の「人間」は，われわれが今考えているような人間ではなくなるだろう。</p>
<p>この話は何も，政府の言うことには何でも聞かなければならない，などという話――どこかの誰かが言っている「愛国心」――とは本質的に無関係である。</p>
<p>逆に，政府の言うことには何でも反対，という話とも無関係である。にもかかわらずニュース23とライブドア・ニュースはどうもあまりよく考えずこちらの路線に嵌まっているように私には感じられる。</p>
<p>だから，私もいつもは小泉・安倍政権を批判している立場であるにもかかわらず，今回の件にかぎり部分的に，政府のアクションの肩をもってみる今日この頃なのである。</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>フランスの「アジアン人形」の顔／美とは何か</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2006/05/12/122348/</link>
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		<pubDate>Fri, 12 May 2006 03:23:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[研究]]></category>
		<category><![CDATA[雑文]]></category>

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		<description><![CDATA[引越等々のせいで更新が遅くなってしまった。今日は久々のフランスネタ（からいつものようにずるずると脱線してゆく予定だが）。 我が家には，娘が知人からもらった赤ちゃん人形？がある。Corolleというブランドの製品で，日本で [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>引越等々のせいで更新が遅くなってしまった。今日は久々のフランスネタ（からいつものようにずるずると脱線してゆく予定だが）。</p>
<p>我が家には，娘が知人からもらった赤ちゃん人形？がある。<a href="http://www.corolle.com/">Corolle</a>というブランドの製品で，日本でいう<a href="http://www.popo-chan.com/">ぽぽちゃん</a>とか<a href="http://www.mellchan.com/">メルちゃん</a>とかのフランス版といった感じのものである。これを見て皆さんどう思われるだろうか。私は娘がこれをもらった瞬間，何とか「あ，ありがとう」とは言えたものの，「か，かわいいねぇ」とはどうしても言えなかった。</p>
<p>心臓の弱い人のため，写真そのものは「続きを読む」以降に。勇気のある方はぜひ見られたし。</p>
<p><span id="more-87"></span><br />
これである。</p>
<div align="center">
<img src="http://socioanalysis.net/wp-content/uploads/V9030073.jpg" alt="" title="V9030074" width="240" height="320" class="alignleft size-full wp-image-953" /><br />
<img src="http://socioanalysis.net/wp-content/uploads/V9030074.jpg" alt="" title="V9030074" width="240" height="320" class="alignleft size-full wp-image-953" />
</div>
<p>恐ろしい。現実に人形になってるその事実がホラーである。</p>
<p>ちなみにメーカーの商品紹介ページは<a href="http://www.corolledolls.com/corolle_catalog/product_detail.php/pid=454~subid=98/index.html" class="broken_link">ここ</a>。本物よりも写りがよろしい。</p>
<p>▼このシリーズの中には，もちろんヨーロピアンな顔だちのものもあるし，アフリカン－アメリカンなのもある。</p>
<p>それにしても，彼らにとってアジア人の子どもはこういう顔なのだろうか。これがどうやら彼らにはかわいいらしい。ホントなのか。眉毛ないし。ゲシュタルト知覚の問題なのか。はたまた先入観の問題なのか。アジア人はしょせん土人ということなのか。くれたのはヴェトナム人（ただしパリ育ち）の女性だったのだが。</p>
<p>ちなみにヨーロッパのかわいい子どものステレオタイプというのもある。やっぱり金髪碧眼だ。その割にヨーロッパ人は日本人が髪を茶色や金髪に染めたりするのを「すごい変」だとか言う。まあ「不自然」という意味である程度私もそう思うが，彼らの言う意味は別なのではないかという気もしてきた。彼らのアジア人観もけっこうコンサバというか何か差別的なのではないかと。</p>
<p>アニメは向こうでも大人気だというのは周知の事実であるが，「日本人はどうして，アニメの登場人物をヨーロッパ人の顔にするのか」と聞かれて絶句したことがある。日本人としてはあれは日本人の顔のつもりなんだがなあ。その場でしばし悶絶したのだが，結局うまく理解はしてもらえなかった。</p>
<p>たしかに日本人顔のなかでも，美形といわれる顔はどこかちょっとヨーロッパ風ではある。彫りが深いとか鼻が高いとか二重瞼だとか。ロラン・バルトもたしか丹波哲郎の顔を引き合いに出して何か言うてたぞ（<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480083073/nakanolab-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">『表徴の帝国』</a>）。この本，読むだけ無駄だが（エンタテインメントですから），面白いところもないわけでない。</p>
<p>▼かつて，道行く女性の顔を30人ばかりサンプリングして，モーフィングで平均化してみた人がいた。目とか鼻とかその位置とか輪郭とか，顔のパーツそれぞれがこの操作で平均化されるのである。この「平均顔」がなんともいえん和風美人なので，彼は「美人」というのは「平均的な顔」のことなのではないかという仮説を立て，『ネイチャー』あたりに論文を出した（記憶が曖昧）。それが<a href="http://nae-lab.org/~hiro/">東大の原島博教授</a>である。</p>
<p>いまさらながら，私はこの説はなかなかいいと思う。私の意見なんか誰も聞いてないと思うが。</p>
<p>「平均」値というのは，実在であるけれども現在しないという，つまり平均値は平均という操作の結果どっかにあるのだろうけれど，その平均値そのものがなまの状態でドドーンと目の前に現れたりすることはめったにないという，そういうけっこうややこしい次元のものである。</p>
<p>すると同じ雑誌のその次の号で反論があったとか。その「平均顔」と，「それをちょっと崩した顔」とを作り，今度はそれを道行く人々に見せて，どっちが魅力的かを訊ねたら，「ちょっと崩した顔」を魅力的と答えた人が多かった，と。すなわち，「美人顔＝平均顔」仮説は正しいとは言えない，というものだった。らしい（すいません論文そのものは読んでません。誰か教えて）。</p>
<p>これについては，見る人の趣味（審美眼）の方にも分散がある，ということで答えられないだろうか。</p>
<p>平均顔＝平均的な顔というのは，個性的であると同時に，個性的でない顔である。つまり，全部のパーツが平均的なのだからその顔は個性的ではない，と同時に，「すべてが平均的な顔」を見るという経験はわれわれにとって稀である，という意味で。それはインパクトがあると同時に，ない。ないと同時にある。意識に引っかかるところがあるようで，ない。ないようで，ある。</p>
<p>「平均顔」と「ちょっと崩した顔」というのを対決させるのは，だから，ちょっとズルいと思う。2つを見比べたら，きっと「ちょっと崩した顔」の方が意識に残るだろう。それは崩した部分だけが個性的で，それ以外の部分が同じだからだ。</p>
<p>だから，完璧な平均顔よりも，そこから少しずれた近傍の方を人々が選択することには十分な理由があると思える。もっと言えば，人々が選んだその選択肢顔を平均すると，完璧な平均顔とまたしても一致するのではないか。</p>
<p>▼まあそんな「美とは何か」みたいなことを考え始めたのは20年前くらいからである。私は小さい頃からずっとヴァイオリンを習っていて，高校や大学ではバンドしたり，ともかく音楽をやっていた。そのなかで，やっぱりよい曲と悪い曲，よい演奏と悪い演奏，などなどがあるんじゃないか，と思ったからだった。</p>
<p>20年前といえば時あたかも「ニューアカ・ブーム」である。若い人のために言うと「ニューアカ」というのは新左翼のことじゃなくて「ニュー・アカデミック」のことである。中沢新一や山口昌男や栗本慎一郎や浅田彰が流行っていた時代。『構造と力』が普段本を読まない人々にも読まれ，「サン・ジョルディの日」にプレゼントされちゃったりしていた頃である（そんな日があったこと覚えてる？　みんな）。</p>
<p>いきおい，この時代にはニューアカ思想家は口を開けば「ポストモダン」とかのたまっていた。そしてポストモダンというのは中心の不在とか複数性とか脱構築とかリゾームとかといった懐かしのボキャブラリーで彩られていた。</p>
<p>こういう思想家（より正確にはそういう思想家のファンの人々）は，たとえば芸術作品によい作品といまいちな作品がある，というふうには捉えず，たださまざまの＝複数の作品がある，と捉えていたように思われた。だから「ポストモダン」思想は一種の相対主義として機能していた。少なくとも当時高校生だった私にはそのように思われた（ちなみに今も「ポストモダン」を毛嫌いしている自然科学者は存在する。それが「客観的なもの」を信じない「相対主義」だからだ）。</p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061843591/nakanolab-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img class="alignright" src="http://images-jp.amazon.com/images/P/4061843591.09.MZZZZZZZ.jpg" alt="EV.Café(イーヴィー・カフェ)―超進化論" style="border: none;" /></a>彼らはそう言っているにもかかわらず，それにしても，どー考えても，よい音楽と悪い音楽はあるじゃないか，としか私には思えなかった。だって自分が演奏するときに，どんな演奏でもよいわけではないからだ。よい演奏をすべきに決まっている。よい演奏／悪い演奏を区別することは，演奏家にとって，演奏前もしくは演奏中にもっとも神経を注がねばならない事項であることは当然だ。ちなみに，音楽の分野でこの手の思想家たちといろいろと議論（茶飲み話）をしていたのが誰あろう，キョージュこと坂本龍一であったのだった。</p>
<p>おぉ，懐かしい（滝涙）。</p>
<p>著名な「ポストモダン」思想家たちの考えに，「ほんまか？　ほんまにそうなのか？」とその頃以来ずっと疑問に思い続けていた。だから当時，私は音楽美学を志したのだった。――あれ？　何で経済学部？</p>
<p>▼そういうわけで，一部不透明な経緯もあるが，「客観的な美とは何か」と問い続けて20年。それだけに主観／客観とか，相対主義とか，そういう言葉にはヘンに敏感に反応するのが習い性となってしまった私である。が結局，「客観的な美」とは，あるんだけど，ないものなのである。</p>
<p>人間の顔については，「平均」という解は，だからイケてるんじゃないかと思う。それは人々が見たことのある顔の延長にあるものだから。見たことあるんだけれど，見たことない顔。平均的な目，平均的な鼻はきっと見たことがあるだろう。個別に。しかし，すべてが平均で揃っている人はあまり見たことないだろう。</p>
<p>しかし，では音楽についてはどうか。「客観的に美しい音楽」というのには，まだ解が（仮説としてすら）ないように見える。1/fゆらぎで作曲→美しい，という話もあるが，実際のところどうなのだろうか。できあがった美しいものを分析して1/fが出る，というのでなくて，1/fで美しいものを作る，というので本当に美しくなるのかどうかは今のところ定かとは言えない。</p>
<p>だいいち作曲家によって作風が微妙に異なっていて，曲を聴けば「あ，モーツアルトだ」とかわかるのはなぜだろう。作曲家の個性，あるいは言ってみれば指紋みたいなものが，楽曲には厳然として残っている。同じ一つのアルゴリズムだけで美しい音楽を生成できるとしたら，クラシック音楽はみんな同じになってしまうはずだから，そうなってないということは，アルゴリズムはたぶん一つだけではないのだろう。</p>
<p>このへんは本当にややこしいところである。と同時に，興味の尽きないテーマである。この道20年の私にとってはね。</p>
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		<title>フランスに学ぶ少子化対策（その2）</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2006/02/12/155044/</link>
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		<pubDate>Sun, 12 Feb 2006 06:50:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス]]></category>

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		<description><![CDATA[ジュンク堂の書評誌『書標』の「著書を語る」コーナーの原稿も2月15日締め切りだった。が，先に仕上げてこれは済（店頭配布は3月5日からだそうだ）。 その締め切りである2月15日に，学内の「EU研究会」で，フランスの少子化対 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ジュンク堂の書評誌『<a href="http://www.junkudo.co.jp/shohyo1-top.htm">書標</a>』の「著書を語る」コーナーの原稿も2月15日締め切りだった。が，先に仕上げてこれは済（店頭配布は3月5日からだそうだ）。</p>
<p>その締め切りである2月15日に，学内の「EU研究会」で，フランスの少子化対策について報告することになっている。</p>
<p>2月18日には学外のとある研究会で，ネグリの『マルチチュード』について報告することになっている。</p>
<p>で3月17日には駒場のとあるシンポで「新自由主義と拝金主義――ラカン的視座から」というのを報告する予定（また今度告知します）。</p>
<p>頼まれると「あっ，いいッスよ」とつい言ってしまう気のいいオイラだが，うっかりここまで重なってしまった。私の労務管理の敗北である。試験は終わったが成績評価がまだだし。なんだか悪寒がしてくるし。</p>
<p>しかしながら，今日はフランスの少子化対策について，おさらいがてらもう一度まとめてみたい。ブログなんて書いてる場合ではないけれど，15日の資料づくりに資するテーマということで。</p>
<p><span id="more-79"></span><br />
<a href="http://socioanalysis.net/2005/05/09/042741/">前回このテーマで記事を書いた</a>とき，内閣府が調査したという毎日新聞の記事から書き起こした。このとき私は調査はこれからするのだろうと思っていたが，実は<a href="http://www.esri.go.jp/jp/archive/hou/hou020/hou012.html">調査結果</a>は4月25日にまとめられていた。これは『少子化白書』よりもフランスに特化して詳しいので，参照すべきである。</p>
<p>▼前のエントリーでの論旨は，要するに子どもを（多く）産むと，
<ul>
<li>収入については，日本ではわずかに増え，フランスでは大幅増。</li>
<li>支出については，日本では激増し，フランスでは少し増える。</li>
</ul>
<p>というわけで，子どもを産み育てるときの経済的負担の軽さはフランスの圧勝，という話であった。ついでに付け加えると，こういう子育て費用を個々人（親）が負担するのではなく，国家が負担するのであるとするその姿勢に，私などは男気を感じるのである（france／république françaiseって女性だけども）。フランスという女は，「そんなの自分で払ってよ」というセコい女ではないのである。あくまで太っ腹なのである。</p>
<p>よく「受益者負担」というけれども，この場合「受益者」は誰なのか。親だけなのか。あるいは，「受益者」というより「責任主体」なのか。産んでしまったんだからお前育てろという。子どもを産んだら悪いみたいではないか。</p>
<p>そうではなく，若年構成員が増えることは，国家共同体にとっての受益とは考えられないのか。だとしたら，国家が自らの庇護のもとにある構成員を経済的に支援することは故なしとしないのではないか。</p>
<p>（これは教育にも言える。教育によって受益しているのは個々人だけではなくて，国家全体であると思う。だから大学がサービス業だと思われていたり，国立大学が何げに潰されていくことは，不幸な勘違いに基づく仕儀なのである）。</p>
<p>とまあそういうことが私の申し上げたいことである。言い添えておくと私は「国家」主義者というわけではなく，単にシカゴ派経済学はいけ好かないと思っているだけである。</p>
<p>▼ただ以上の話は経済的負担についてであって，心理的・体力的負担についてはこの限りでないことは言うまでもない。</p>
<p>先回「ドイツは調査いらんのんちゃう？」と軽く突っ込んだ私であるが，これは記事の書き方が悪かったのであって，報告書を見ればフランスとドイツ（と日本）を比較するかたちで調査がなされていたのがわかる。「フランスの出生率はなぜ高いのか。ドイツの出生率はなぜ低いのか」という問題意識でなされた調査である。同じユーロ圏なので金額的な比較がしやすいし，フランスと日本だけよりもいいということだろう。特に，先回私は特に経済的な問題に絞って論じたが，「手当が手厚い<strong>のに</strong>出生率が上がらない例」としてドイツを扱うことは大きな意義のあることである。 「カネの問題だけではない」ということだ。以下に「主なポイント」を引用してみよう。</p>
<blockquote><h4>主なポイント</h4>
<ol>
<li>フランスの高い出生率を支えるもの
<ul>
<li>高い出産期女性の労働力率（80％）と高い合計特殊出生率（1.89）</li>
<li>手厚くきめ細かい家族手当
<ul>
<li>第2子以降には所得制限なしで20歳になる直前まで家族手当を給付</li>
<li>子どもが3歳になるまで育児休業または労働時間短縮が認められ、第2子以降の育児休業手当は3歳まで受給可能</li>
<li>保育ママ、ベビーシッターの利用に関する補助金も利用可能</li>
</ul>
</li>
<li>子どもをもつ家庭に有利なN分N乗方式の所得税制</li>
<li>多様な保育サービス</li>
<li>35時間労働制で男女とも短い労働時間</li>
<li>同棲による婚外子が一般化</li>
</ul>
</li>
<li>ドイツはなぜ出生率が低いのか
<ul>
<li>ドイツは児童手当等の現金給付は手厚いが、合計特殊出生率は低迷（1.34）</li>
<li>保育サービスが不足</li>
<li>学校は半日制、給食はなく、子どもは昼前に下校するため、母親のフルタイム就業は事実上困難</li>
<li>フランスよりも性別役割分業意識が強いこともあいまって、女性は就業か子育てかの二者択一を迫られる状況</li>
</ul>
</li>
<li>日本への含意
<ul>
<li>家族政策の内容、子育てをめぐる諸政策の一貫性等が必要</li>
</ul>
</li>
</ol>
</blockquote>
<p>これによれば，カネがあったとしても，保育サービスなどの不足（制度的不備）と男女共同参画社会的な意識不足というのがネックになるようである。</p>
<p>▼個人的にどうなのかなと思うのは，婚外子に対する考え方である。日本ではやはり婚外子差別は大きいが，フランスではそれがないという。というかPACSなどという形態もあるし，未婚で同棲というケースが山のようにあるので，いちいちそんな隣人の「法的な婚姻形態」を詮索したりはしないのである。インターフォンの表札にも父親と母親の姓が両方書いてあることは普通のことである。</p>
<p>まるでよいことのように聞こえるが，ということは，規範の緩い男が外に子どもを作りまくっているという，フランス的には想像に難くない出生率の向上要因も十分に考えられるということだ。片親がいない場合，子どもの発達に障害が出ることもある程度予想される。もちろん適切に育てれば大過なく育つに決まっているが，問題のある大人が育つ率は，規範の固い社会に比して上がるのは避けがたいのではないか。</p>
<p>精神分析がフランスで今も大きな力を持つ背景はこういうところにあるのかもしれない。だいたいフランスというのは，とりあえず自由なのはいいけれど，そのしわ寄せが別のところに出ている社会であるように私は思う。移民問題にしろそうだし。</p>
<p>とりあえず今日はここまで。次回は，国家が少子化対策をすること自体に対する，ありうべき反論について検討したい。</p>
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		<item>
		<title>初ツッコミ</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2006/01/03/114711/</link>
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		<pubDate>Tue, 03 Jan 2006 02:47:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[雑文]]></category>

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		<description><![CDATA[明けましておめでとうございます（当方喪中ですが）。 前の記事が異様に重かったので，新年のご挨拶とともに，細かくムカつくことにツッコんで，2006年のスタートをスッキリ切りたいと思う。 ▼「ピアニッシモ・ペシェ・メンソール [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>明けましておめでとうございます（当方喪中ですが）。</p>
<p>前の記事が異様に重かったので，新年のご挨拶とともに，細かくムカつくことにツッコんで，2006年のスタートをスッキリ切りたいと思う。</p>
<p>▼「ピアニッシモ・ペシェ・メンソール・ワン」なるタバコが発売されている。<a href="http://www.kurayoshi.co.jp/whatsnew/0511new_sale.html">とある販売店さん</a>のサイトをご覧あれ。</p>
<blockquote><p>ペシェとはフランス語で「ピーチ（桃）」の意味。名前のとおり、ふんわり漂うピーチの香り。</p></blockquote>
<p>ここでカチーン。</p>
<p><font size="+3">違うよ。違うんだよ！</font></p>
<p>どう違うか聞きたい？</p>
<p><span id="more-77"></span><br />
<img class="alignright" alt="06-01-05_11-54.jpg" src="http://socioanalysis.net/wp-content/uploads/06-01-05_11-54.jpg" width="180" height="240" />フランス語で「桃 pêche」といえば「ペシュ」または「ペッシュ」である。マルシェで買い物もでけへんでほんまに。</p>
<p>でもって「ペシェ」は<font size="+2">「罪 péché」</font>という意味である（道徳上のね）。</p>
<p>ぜんぜん違うのである。</p>
<p>▼これはケアレスミスなのか？　そうではないだろう。日本人にはどうせフランス語の読み方なんて分かれへんやろという，命名者の「親心」に違いない。ぜんぜんわかっていなかったらあのアクサン・シルコンフレックス（「^」のこと）は使えまい。というか綴りは調べたはず。確信犯なのである。</p>
<p>私が小腹を立てているのは，その故なのである。</p>
<p>しかもしかも，「ピアニッシモ」はイタ語，「ペシェ」はなんちゃってフラ語，「メントール」「ワン」は英語の単語だぞ。なんという頭の悪い命名であろうか。しかしそれは命名者が頭が悪いというのではなくて，彼／女が<strong>消費者のレベルに合わせてくれている</strong>というわけなのである。</p>
<p>ナメられたものではないか！　諸君！　ほれ。怒れ怒れ!!</p>
<p>正しいフランス語の発音でどうして書かないかなぁ。こういうところでちゃんと書いてくれていれば，日本人のフランス語への理解もちったあ増すだろうに，これやったらみんな間違って覚えてまうやないか。</p>
<p>子どもにものを教えるのに，変に噛み砕いてわかりやすくせんほうがいいというのと同じですな。最初っから正確に教えないと，あとで勉強し直しなのである。</p>
<p>みんなでレベル下げてくんやなくて，お互いに上げていこうよ。ほんまにしかし。</p>
<p>▼しかし。「桃」ならぬ「罪」とはまた。実はこういうところに，愛煙家の罪責感を見て取れるのかもしれない。いわゆるフロイディアン・スリップ（フロイト的言い間違い）というやつである。たばこを吸うことを「罪」と知りつつやめられない，という。</p>
<p>しかし「ピアニッシモ」だけに，「微罪」なのだと言いたいわけね。はん。</p>
<p>んー，それにしても，今日はやけに細かい……。</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>人生最悪のクリスマス――証明できない真実の歯ぎしり</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2005/12/25/202134/</link>
		<comments>http://socioanalysis.net/2005/12/25/202134/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 25 Dec 2005 11:21:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[雑文]]></category>

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		<description><![CDATA[こんなことがあっていいのか。悔しいやら，情けないやら……。 また詳細を順次書いてゆこうと思うが，今日は概略しか書けない。 親友のフランス人，Dが日本に3ヶ月半ほど滞在していた（短期滞在ビザで3ヶ月，延長申請でプラス15日 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>こんなことがあっていいのか。悔しいやら，情けないやら……。</p>
<p>また詳細を順次書いてゆこうと思うが，今日は概略しか書けない。</p>
<p>親友のフランス人，Dが日本に3ヶ月半ほど滞在していた（短期滞在ビザで3ヶ月，延長申請でプラス15日）。Dは，私のパリ滞在中にできた，家族ぐるみでの親友であり，恩人である。</p>
<p>彼は精神が細やかで，異常に鋭い感性をもち，なのでかなりの器用貧乏で，そしてパリジャンに辟易していた日本人の対人感覚にとても近い感覚をもった，フランスで出会った数少ない信頼できる人物である。</p>
<p><span id="more-76"></span><br />
彼はわれわれと知り合う以前から，別の日本人（Hさん）と親しくしており，昨夏には彼の招きで来日を果たしていた。Hさんは，「<a href="http://www.gendaireiki.net/">レイキ</a>」というヒーリング技術の「マスター」の資格（技術を人に教えることができる）を取りつつあった。Dはそのとき初めてレイキを体験した。</p>
<p><img alt="082030.jpg" class="alignright" src="http://socioanalysis.net/wp-content/uploads/082030.jpg" width="120" height="160" />▼レイキは本来「霊気」と書き，日本（鞍馬あたり）発祥の技術だそうである。ハワイを経由することで世界各国に広まった。日本においてよりも，海外において認知度が高い。今日では逆輸入のかたちで日本に再上陸してきつつあるらしい。現在日本には2つのレイキ関連の政府公認NPO法人があるそうだ。認知度はともかく，これを学ぶにはやはりフランスよりも日本の方が「本場」であることは間違いない。</p>
<p>この最初の訪日時に，感性の人Dは，日本の文化や風土などに強い魅力と親近感を感じると同時に，レイキという技術が自分のパーソナリティーや能力に合致した天職であると確信した。そして，本格的に日本に住んでHさんやその師匠からレイキを学ぼう，と決意したのだった。41歳・独身の彼はそういうわけで，Hさんを頼りに，ほとんどフランスを捨てる覚悟までして，あらためて来日したのである。</p>
<p>この場合最大の問題は，日本政府が「レイキ」を日本固有の文化として認めていない点である。もしこれが「空手」とか「茶道」とかであれば，それを習得するために日本に滞在するについては「文化ビザ」というカテゴリーがある。これが取れれば何の問題もなく，入国・滞在できる。しかし現状の日本では，「レイキ」でこのビザを取ることはできないのだ。仕方がないので「短期滞在ビザ」（いわゆる観光ビザ）でまず入国し，そこから，少し無理やりだが，文化ビザへの変更申請をしていた。</p>
<p>この申請はすぐに却下された。やはりちょっと無理があったか。しかし本来は認められてよいはずのものなので，その承認をめぐって努力しつつあった。</p>
<p>▼オーバーステイにならないよう，今月の19日から22日まで香港へ一時出国した。その後，さらに3ヶ月日本に滞在し，文化ビザが却下されたことについて異議申立をする計画であった。22日夜に帰ってきた彼は，入国管理局関西空港支部で，想定外の「上陸拒否」の憂き目にあう。</p>
<p>1度目（前回），2度目（9月ごろ），3度目（22日）の「来日の目的」が，「観光」やら「知人訪問」やらと，バラバラの理由を書いたりしたようなので，それが怪しまれたのかもしれない。不法就労を目的として，そういうやり方をする外国人は多いからである。入管法の「②申請に係る活動（我が国で行おうとする活動）が偽りのものでないこと」という要件にあるいは引っかかったのではないかと思う。ただ彼の場合，これらの理由はすべて虚偽ではない，それぞれ真実（の一部）であった。本人にしてみれば，いずれも本当のことだから「偽り」を述べている意識は全くないのだった。</p>
<p>そもそもDはとても嘘の嫌いな男だった。時間にもうるさく，きれい好きで，律儀で，情に篤く，ひいては遵法意識の強い，まさにフランス人のステレオタイプの対極にあるような男だったのだ。ただ問題はそういったことを証明できないということだ。</p>
<p>実際には，Dは日本ではまったく働いてはいないし，むしろカネを落とすだけの上客だった。それが真実である。「働いていない」ということは証明できないから，真実は法的に意味がないとはいえ。</p>
<p>▼<a href="http://www.immi-moj.go.jp/tetuduki/">入国管理局のホームページ</a>によれば，</p>
<blockquote><p>
外国人が出入国港において入国審査官による上陸の審査を受けた結果，上陸のための条件に適合していると認められなかった場合には，特別審理官に引き渡され口頭審理を受けることになります。</p>
<p>口頭審理の結果，特別審理官により上陸の条件に適合すると認定された外国人には，直ちに上陸が許可されますが，上陸のための条件に適合しないと認定された外国人は，特別審理官の認定に服するかあるいは異議を申し立てるかを選択することができ，認定に服した場合には退去命令が出されます。また，異議を申し立てる場合には認定後３日以内に法務大臣に異議の申出を行うことができます。</p></blockquote>
<p>入国管理局の彼の扱いは，まったく官僚的なものであった。口頭審査にあたった特別審査官は，Dのアピールをまったく聞かず，「何のために日本に来たのかわからない」と一蹴。だいたい審査官の立場としては，疑わしい者は「まあ入れてやろうかな」という方ではなく，「どいつもこいつも排除」という方にインセンティヴがあるに決まっている。変なやつを入れてしまってあとで責任を問われるより，そのほうが安心だ。</p>
<p>▼Dは別に法に触れることはしていない意識なので，まず異議を申し立てることを考える。それが法務大臣のところで認められれば上陸できることになっているものの，認められない可能性が極めて高いという情報を，すでにわれわれ（Hさんと私ら夫婦）は得ていた。また異議を申し立てることによる不利益も大きい。より厄介な人物としてマークされる可能性もあるし，当然時間もかかる。最終的に却下され強制退去などにでもなってしまうと，その記録は向こう5年間は基本的に消すことができない。実際にやってみて，どのようになるのかわからない。試してみるにはリスクが大きすぎる。</p>
<blockquote><p>このように，我が国における外国人の上陸審査手続は，外国人が上陸のための条件に適合することを自ら十分に主張・立証する機会が与えられています。</p></blockquote>
<p>と入国管理局は言っているようだが，実際問題「外国人が上陸のための条件に適合することを自ら十分に主張・立証する機会」が現実に与えられているとは私は認めない。日本の法律知識のない普通の人間（外国人だけでなく，日本人だって知らない）に，どのみちそんなことができる状況ではない。空港内で3日以内に弁護士を立てるなど，普通の外国人には無理である。弁護士費用の問題もある。これは裁判ではないから認められても認められなくても費用は要るのだ。</p>
<p>ということよりも，雪の日の空港ロビーで，枕だけ与えられ，そのへんで寝とけという扱いは，それだけで十分人権軽視の扱いである。Dはこのロビーで2晩寝泊まりさせられた（さすがに2晩目には，身柄を管理しているキャ○イ・パシフィック航空に毛布を要求し，与えてはもらったようだ）。このうえ異議申し立てなどしていると，いつまでそんな生活が続くのかわかったものではない。ロビーは人が寝る場所ではない。結論が1日延びるだけでも大被害である。また入国管理局は，上陸拒否の人間をホテルに泊まらせる「ことができる」らしい（自費で）が，いつもそうしてくれるわけではない（わけがない）。</p>
<p>こんな状態で「自ら十分に主張・立証できる」などとは盗人猛々しいのである。この一文は，自らの疚しさの表れた，取ってつけたようなアリバイ的一文であると言える。</p>
<p>▼Dは当然フランス大使館にもコンタクトをとり，いろいろと相談もしたようだが，フランス大使館の圧力で日本の決定が覆ることはありえないため，「ここはゴネない方がよい」と言われる。すでに述べたようにわれわれも情報収集と相談を重ね，同様の結論に達していた。結局異議申し立てをせず，「しょうがない，フランスに帰ります」と言うということにする。上陸拒否の記録については，後日抹消してもらうよう申し立てる作戦で，われわれはともかくDをベッドで寝かせてやることを考える。</p>
<p>なお，帰国するにあたって身の周りのものや衣服やノートパソコンをまとめるために一時的に入国させてくれと頼んだりしたようだが，そんなことはおろか，友人Hさんが荷物をDに渡すことすら許されないという。</p>
<p>どうしてそのような悪意ある仕打ちをする必要があるのか，やはりよくわからない。おそらく，連中の頭の中ではDはすでに犯罪者なので，そういう輩の人権などどうでもよいのであろう。あるいは何かヤバいものを受け渡しするとでも思っているのだろうか。だったら荷物検査をすればよかろうに（実際あとで屈辱的な荷物検査も受けねばならなかった）。</p>
<p>▼そもそも，Dは「疑わしい者」ではあるかもしれないが，少なくともまだ「犯罪者」までは行っていないのだ。連中こそDが不法就労をしていた証拠を出すことはできないのだから（Dが犯罪者であると言うなら，言う者に挙証責任がある）。「疑わしい」から，日本に「上陸を認めることが好ましくない」という判断をさしあたりしているだけである。「犯罪者」だからではない。入国管理局は裁判所ではないのだ。</p>
<p>百歩譲って，「疑わしい者」の入国を拒否することは，一国の政策として，ありうる。しかし，「疑わしい」だけの人々の人権を無視してよいという政策などは，ありえない（というか犯罪者であってすら，人権は尊重されるべきであろう）。犯罪者ではない「疑わしい」人物には，日本国の都合によりお引き取りを願う，ということであってはじめて筋が通るのである（どうせ旅費は本人の負担なのだ。むしろ旅費だって出して差し上げないといけないのではないか）。</p>
<p>その間，私ら夫婦も知り合いの弁護士に何とか連絡をつけ，力になってもらえないかと頼むも，あいにくその日はその弁護士は休み。クリスマス連休なのでほかの弁護士を紹介してもらうこともできなかった。</p>
<p>フランス大使館も電話で喧嘩してくれたらしいが，入管は法務省，大使館は外務省の管轄。なので何を言っても無駄らしい。結局誰も助けてはくれなかった。</p>
<p>さらに，航空会社の極めて理不尽な対応にも悩まされた。これもひどい話で，絶対にこの事実を公開する必要があるが，あまりに込み入っているのでまた次回。</p>
<p>▼日本が好きで，日本人の気質や，文化や，風土や，そういうものに共鳴して，国を捨てる覚悟までして来ている外国人を，まあそいつが素人でやり方がちょっと間違っていたからといって，多額の金銭を要する不本意な決定にもおとなしく従おうとしているのに，こんなに虫けら扱いするほどの権利は誰にもないと思うが，いかがか。</p>
<p>というか，中途半端に正直なことを言ってしまう彼のような朴訥な素人が捕まり，もっと狡猾で入国審査のツボを知っている本物の不良外人は捕まらないのである。これは例えば交通取り締まりで，明らかに車を改造していたりいろいろと違反している目に見えて悪質なのが捕まらず，むしろ捕まえやすいそのへんの一般市民がよく捕まるのと同じ不条理である。</p>
<p>彼の人となりを知っているだけに，この3日間，ほとんど何も力になれない自分に罪責感を感じずにはいられなかった。DとHさんと私ら夫妻で携帯で連絡を頻繁に取り合うが，Dの携帯はしょっちゅう電池切れしてしまう。連絡がつかないとどんなに不安だろうかと思うと，いてもたってもいられない（なお空港内では，単3電池3本が600円もするのである。まさに非人道的な価格である）。</p>
<p>しかもあいつ，失業中でカネがないのに，日本に来て技術を身につけるどころか（いや，ある程度は身につけたけれども，修了証を得ることができなかった），あまりにも多額のカネを落とした（レイキは正規の料金を払って受講していた）。しかも犯罪者扱いされ，名誉を失い，向こう5年間日本に再び入国できるチャンスを失った。何ということだ。</p>
<p>社会の矛盾は，弱いところにしわ寄せとして出てくるものである。</p>
<p>▼この間，子供会のイベントや，教え子たちとの忘年会があったが，その間もDは空港ロビーで寝起きしているかと思うと，胸のつかえがとれない。</p>
<p>昨日はイヴである。娘のバレエ教室のついでに家族でショッピング・モールにでかけるが，大人は悲愴な顔でひっきりなしに電話ばかりしていた。子どもたちには気の毒だった。</p>
<p>ダメ押しに，帰宅したらフランスから郵便が届いていた。いやな予感。開けてみるとはたして，すでに払ったはずの住民税の請求が。怒髪天を衝くとはこのことである。許せぬ。フランス人はイタリアという国を「泥棒の国」と考えているらしいが，違うよ，それは君らの国だろう。自国民一人守れんくせに，外人からカネ盗ろうとすんなっちゅうねんボケ。と言いつつ，日本も同じなんだよなあ。</p>
<p>というわけで，37年の私の人生で最悪のクリスマス・ワースト1は，今年のそれだという話である。それにしても，誰か助けてやれんのか。歯がゆいばかりだ。</p>
<p><font color="blue">追記　le 26 décembre 2005</font></p>
<p>書いた時点では頭に来ていたので，冷静になってから若干マイルドな表現に直したところがあります。</p>
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		<title>人生いろいろ，帰国後いろいろ</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2005/10/31/010011/</link>
		<comments>http://socioanalysis.net/2005/10/31/010011/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 30 Oct 2005 16:00:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://socioanalysis.net/?p=70</guid>
		<description><![CDATA[早いもので，もう帰国から1ヶ月以上経ってしまった。この間いろいろあったけれど，いろいろありすぎて書く暇がなかったのである。主なイベントは以下の4つ： ・転入手続（9月26日～10月3日） 　戸籍を大分にもたないため，「戸 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>早いもので，もう帰国から1ヶ月以上経ってしまった。この間いろいろあったけれど，いろいろありすぎて書く暇がなかったのである。主なイベントは以下の4つ：</p>
<p><strong>・転入手続</strong>（9月26日～10月3日）<br />
　戸籍を大分にもたないため，「戸籍謄本」「戸籍の附票の写し」が足りず失敗。10月3日にようやく完了。息子は10月2日の運動会には出られず，4日から編入することに。</p>
<p><strong>・楽しいソワレ</strong>（10月8日）<br />
　<a href="http://le-cours.cocolog-nifty.com/lecours/">大阪のフランス語教室</a>の<a href="http://le-cours.cocolog-nifty.com/quoi_de_neuf_/2005/10/soire_d613.html">ソワレ</a>にお邪魔。ここを運営されているmikaさんとは，ギマールつながり（しかもネット上）なのである。</p>
<p><strong>・「パリ子育て奮闘記」</strong>（10月13日）<br />
　大分日仏協会主催「フランス万華鏡」（場所・コンパルホール）にて講演。フランスでの苦労をパワーポイントを使いつつ皆さんに語る。</p>
<p><strong>・『貨幣と精神』再校</strong>（10月12～27日）<br />
　もうすぐ出るはずの単著の再校と索引作業。索引ってのが慣れないため，大いに手間取る。</p>
<p><span id="more-70"></span><br />
ここらあたりからやっと平常運転が始められそうである。やれやれ。とにかく授業の準備がなぜかたいへんである。目が回りそうなので，科研費の申請は，今年はあきらめた（いいのか？　ていうか大分大学教職員の皆さま，すみません）。 ま，どうせあたるまい。中央のカネはそう簡単に田舎には回ってこないものなのである。</p>
<p>▼職場も以前と変わらないし，家にしても出かけたのと同じ宿舎（築28年くらい）に帰ってきたので，むしろ1年半のパリ生活がまるごと夢だったかのようである。子どもたちだけむやみに嵩高くなっており，家が狭いこと夥（おびただ）しい。</p>
<p>しかしこの間に大学は大きな変化を被っていた。言わずもがなの「法人化」である。制度の変更，人々の言動で自分が浦島太郎であることに微妙に気づく。教務委員長なんか，「（文科省に）『運営費交付金で研究なんかすんな』とはっきり言われたもんなぁ……」とぼやいていたぞ。確かにひどい言われようである。</p>
<p>そうか，この1年半のあいだに，日本の大学はきっぱり研究機関ではなくなっていたのか。って法人化前から予想のついていたことだが。しかし本当にそうなったのを自分の目で確かめるのは寂しいものである。</p>
<p>▼政治の状況は，何というか，目を覆うばかりの惨状で，あらためてガッカリである。</p>
<p>まず，私にはいまだに郵政民営化がなぜ必要なのかがよくわからない（言っとくが私は「郵政民営化法案に反対」ではなく，「郵政民営化自体に反対」である）。合理的な説明が欲しいところである。それがあれば私はすぐに賛成に回るのに。何なのかな。やっぱり「銀行族の逆襲」なのかな。それとも自分が安易に国債振り出せなくするための，「自分への戒め」なのかな。</p>
<p>竹中大臣のホームページには説明っぽいものも書かれているようだが（「<a href="http://www.president.co.jp/pre/20041213/001.html">これでも『郵政民営化』に反対しますか</a>」），愚にもつかないメリットを挙げているだけで，素人にもこき下ろされている程度のものでしかない。デメリットも書いていない（当然か？　しかし公平じゃないだろう）。要するにごまかしにすぎない。小泉もこれの必要性を国民に説明してきたわけではなく，居直って「オレがやると言っているのに，なぜ反対するのかわからない」と言い続けてきただけ。何だよそれ。</p>
<p>まあ特定郵便局長の集票力を落とすというのはメリットだろうが，言えんわな。</p>
<p>しかしねぇ，そんなの単に郵政族に対するルサンチマンじゃあないの。私怨ですよ。「けしからん」というより，実は心の底で「うらやましいぞ憎たらしいぞ」という話なのではないのか。しかもシステムもろとも連中をつぶしたあと，あおりを食らうのは地方在住者とかミドルロウアー以下の一般庶民なんだがなあ。</p>
<p>あるいは，「うまくいかなきゃニュージーランドみたいにあとでもう一回国有化すりゃあいいじゃん」とか思ってるのかな……。あれはまったく取り返しのつかんロスではないか。</p>
<p>てか，郵政族つぶしたいんならもっとほかに誰もが納得する直接的な方法があるだろうに。郵便局長を試験で採用することにするとか（いまは「世襲」なのである，呆れたことに）。私はよく知らないのだが，何かあるだろう。考えれば。</p>
<p>▼ともかく小泉自民党は，郵政民営化を争点として選挙をやって，反対する党員がいたら刺客を送って，地元の党支部も叩きつぶして，「国民の支持を得た」。驚いたことに反対派の（「造反」）議員も，選挙が終われば一様に掌を返し，党本部に追従した。「粛清」を恐れてのことであろう。</p>
<p>そういうのをこそ，「気骨がない」と言うのではないだろうか。</p>
<p>あるいは，それを言うのがちょっとかわいそうなら，「党の公認が得られなかったら即政治家としてやっていけない」かのような，強力すぎる「政党」という組織のありようがいけないのではないか（野田聖子なんかにしても，あんな無様なことになってもまだ自民党にしがみつこうとしている。にわかにはその神経を理解しかねるが，逆にそれだけ自民党ブランドがありがたいということなのであろう）。</p>
<p>重要な（正確には，首相が重要と言っている）案件で意見がはっきり分かれているのだから，反対派はとっとと綿貫みたいに独立新党を作るのが筋だったろう。しかしそれでは自民党を郵政族とそれ以外で割ることになるので，自分たちの「力」が減退すると大方の議員は判断したのであろう。つまりは――</p>
<p>構造的に，日本の政治家はみな，「勝ち馬に乗る」ことしか考えていない（あるいは，考えることができない）ということではないのか。</p>
<p>「死して屍となっても（つまり，次の選挙で党の公認を得られず，その結果落ちることになるとしても），断固言うべきことは言う」という気骨ある政治家はいないのか？</p>
<p>いないとしたら，二大政党制なんて夢のまた夢である。「言うべきこと」を誰ももたず，とにかく多い方の政党につくのが得策なら，一つの大政党がさらに数を呼んで，また55年体制時代の一党独裁制に戻るだけなのは火を見るより明らかではないか。</p>
<p>普通は，意見・立場がバラけるから，皆が一党にばかり集まることはないはずである。しかし今の日本では，意見の内容や合理性や説得力などよりもはるかに数の論理の方が大きく働くから，こうした現象（「バンドワゴン現象」と言いますな）が起こるのである。</p>
<p>▼皮肉にも，今の日本で「言いたいこと」（「言うべき」かどうかはともかく）を言えるのは小泉首相ただ一人になってしまった。周りも全員イエスマンなので（そりゃそうだ），ポスト小泉を考えることすらできない。こんな状態では，小泉イズムがファシズムと区別がつかないとヤユされても仕方がなかろう（ファシスト体制にあって小泉体制にないのは，「SS」「行動隊」に類する暴力組織がないことだけだ。いや。街宣車に乗ってるのがいるなあ）。</p>
<p><a href="http://nokoizumi.exblog.jp/"><img class="alignleft" alt="e0089387_20562047.gif" src="http://socioanalysis.net/wp-content/uploads/e0089387_20562047.gif" width="120" height="90" /></a>というわけで，当ブログは，行き掛かり上これを貼らねばならないような気がする。</p>
<p>あんまりつるむ気はないのだが。貼らんと不自然な気がして。</p>
<p>政党というのは，意見を同じくする人々が連帯するためにあるのであって，意見の異なる人々を押さえ込むためにあるのではないと思うのだが，違うのか。まず制度的に，政党というものの力をもっと弱めて，個人が自らの信念に従って忌憚なく意見を表明できるようにすべきである，ということを誰もおっしゃってはくれないのだろうか。「政党政治」なんてそんなもんさ，ってあなた，それでいいわけか本当に？</p>
<p>また，意見そのものの合理性や説得力を競うということ，つまりしっかりした意見を持つこと，そしてきちんと討論することを，これからの日本人は学ばなければならない。これまでは政府は，「依らしむ可し，知らしむ可からず」（の間違った解釈）というわけで愚民政策をとってきた。余計な知恵を持つ者は目障り以外の何ものでもなかったのであろう。その結果これほどまでの衆愚政治が現出した。哲人政治が必要とまでは言わないが，普通に合理的にものを考え発言する人々をもっともっと輩出してゆかなければならない。それこそが国益に適う国策というものである。というかとりあえず「米百俵」の正しい解釈である。</p>
<p>経済学史における「小さな政府」の何たるかを知らず，今の日本政府が大きいのか小さいのかも知らないような輩が，もう21世紀だというのに「小さな政府を信じます」とか世界に公言してしまうようでは困るのである。</p>
<p>おそらく，今の日本には「哲学」教育が必要である。われわれにとってどういう社会が理想なのか，われわれはどういう社会を作りたいのか，そのためには何をどうすればよいのか，逆にどうしてはいけないのか，そういうようなグランドデザインをこいつらはどこまで考えているのだろう。物事を深く考えるなんて時代遅れだとでも言うつもりなのか。その場しのぎの技術論ばかりでは話にならんぞ。</p>
<p>▼そういうわけで，私はこれから日本を哲学的に啓蒙してゆく所存である。毎日毎日，ちょっとずつ啓蒙してゆくのである。小さなことからコツコツと。</p>
<p>先日，別府大学の院生さんが私の研究室を訪ねてこられた。臨床心理専攻だけれど，ラカンに関心がおありとか。また，別大の先生にも何人かラカンに興味をもたれている方がおられるとのこと。</p>
<p>そうか，この大分にもラカンを研究しようという方が複数おられるのね。このうえはぜひ，「大分ラカン協会」を設立すべきだろう。本部はもちろん耶馬渓に。</p>
<p>ウソですよ。ネタですよ。</p>
<p><img src="http://socioanalysis.net/wp-content/uploads/lacan-ji_ss.jpg" alt="" title="羅漢寺" width="100" height="146" class="alignright size-full wp-image-1108" />てか説明しないとわからんネタですな（※中津市本耶馬渓町に「羅漢寺」があります）。</p>
<p>しかし，「ひょうたんから駒」ということもありうる。今後の動向に注目したい（さしあたりは他人事として）。場合によっては，耶馬渓が21世紀の日本の原点となる日が来るかもしれぬのじゃからして。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>年貢の納めどき</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2005/09/11/034222/</link>
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		<pubDate>Sat, 10 Sep 2005 18:42:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス]]></category>

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		<description><![CDATA[とうとう帰国間近と相成った。まさに年貢の納めどきである。連日，契約解除の手紙書きと，「帰国売り」の日々。そろそろ完了のはずだが嫌気が差している。相手はフランスなのだ。一筋縄で行くわけがない。 ネット環境も，うちはneuf [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>とうとう帰国間近と相成った。まさに年貢の納めどきである。連日，契約解除の手紙書きと，「帰国売り」の日々。そろそろ完了のはずだが嫌気が差している。相手はフランスなのだ。一筋縄で行くわけがない。</p>
<p>ネット環境も，うちはneuf telecomを利用していたが，これも昨日止まった。もっとぎりぎりまで使うはずだったのに。解約の手紙でははっきりと26日（締め日）までと指定していたのに，そんなことにはおかまいなしのようである。まあいいか。早めにモデムを送り返してきっちり解約して帰ろう。というわけでこのブログの更新も，以前にまして滞ろうというものである。</p>
<p>さて9月11日。それはかつてはあのテロの代名詞であったが，今年の日本ではまた違う節目になるはずだ。海の向こうからだが，ダイヤルアップででも言いたいことがあるぞ。</p>
<p><span id="more-69"></span><br />
▼私の言いたいことは簡単である。</p>
<p>まず，「構造改革」という言葉に騙されるなよ，というのがメイン。</p>
<p>「構造改革」という言葉の歴史については，「<a href="http://critic.exblog.jp/">世に倦む日日</a>」というブログに詳しく指摘されている。これはもともとマルクス主義の言葉だったという話である。「構改派」とかのアレである。それはそれで参考になるので特に若年の皆さんに勉強してほしいわけだが，私の要点はそこではない。</p>
<p>私の要点は，「改革」というのは，ゲームのルールを変えるということであって，それは何で変えるのかというと，強者／弱者のバランスが悪くて，ゲームが全体として何だかうまくいっていない感じがするからである（だといいなあ）。</p>
<p>「改革」をすれば，それによって得をする者と損をする者が出てくるのが道理である。そしてその「改革」に際しては，得をしそうな者と損をしそうな者とのあいだで綱引きがなされるのもまた当然のことである。</p>
<p>しかしもし，強者がさらに強くなり，弱者がさらに弱くなるような「改革」が行われるとすれば，これはあまりよろしくないことではなかろうか。</p>
<p>「改革」によって，「今まで不当に甘い汁を吸っていた連中」が損をし，「今まで不当にキツい目にあっていた人々」が得をするようにもっていく，のが本来ではないだろうか。</p>
<p>しかも「改革」の綱引きは，強者と弱者のあいだで行われるだろうから，じゃあどっちが勝つんだと言えば，たぶん強者がはなから有利なのである。本当に国民全体がハッピーになるような「改革」になのかどうかは，慎重に吟味されなければならない。</p>
<p>▼ここで「強者／弱者」というのは，まずは経済的な意味でのそれ，つまり「金持ち／貧乏人」とかいわゆる「勝ち組／負け組」ということでもあるが，もう一つ，「都市部／地方」というアスペクトも見逃せない。</p>
<p>JRのときに赤字ローカル線がどんどん廃止になったように，どう考えても不採算な地方の郵便局も，やはりバタバタつぶれるのではないか（うちの大学の近所で言えば「敷戸簡易郵便局」とかはどうなんだろう）。それはつまり採算を全体としてとるのではなく，個々の経済主体レベルでとらねばならないからではないか。</p>
<p>そうなると，東京はますます便利に豊かになり，地方はますますさびれてゆくということを決定的に意味しないか。むしろ地方の生活を快適にし，都市での生活を相対的に厳しくすれば，現在のような一極集中も緩和され，結果的に都市で暮らす人々も混雑から解放されるのではないのか。</p>
<p>だいいち郵便というのはネットワーク・システムだから，個々の局がどうのこうのという問題ではない。末端（ていうか端末？）がなければシステム全体が不備を抱えるということになる。そんなことが国民にとって当然のようによいことなのだろうか。</p>
<p>特殊法人に手をつけずに郵便事業を民営化するなんて，「効率化」などとは言えないのではないのか。</p>
<p>▼これによって誰と誰が得をするのか，まず考えなければならない。</p>
<p>かつてブッシュとネオコンが「テロとの闘い」を推進するのは，アメリカの石油利権のためではないという分析があった。それはそうかもしれない，アメリカという「国家の」利権という意味では。しかし，個人的な利権というものがある。アメリカの国益に反したとしても個人的な利益になるのなら，国民を煽ってイケイケどんどん，自分は陰でウハウハ，という輩もいて当然なのではないか。</p>
<p>もともと銀行族の小泉純一郎が郵便事業に恨みをもつのは当然だし，アメリカにそれを民営化しろと言われたら「やりますやります」と言うのも理解可能だ。銀行屋さんたちの支援も得られそうだ。しかしそれは小泉個人の利益になるからで，国民全体にとって利益になるわけではないことははっきりさせておくべきではないのか。</p>
<p><a href="http://homepage3.nifty.com/BC/C9_1.htm">作田啓一先生が，このタイミングで鴻池議員を批判している記事</a>を見た。私としてもまったく同感である。こういう輩には「私益」しかない。</p>
<p>国営の巨大な簡易保険があることが日本の金融をいびつにしている，世界中探してもこんな国はない，だからこれを民営化すべき，という指摘があるが，では郵便配達を民営化している国が世界中探してもほぼ見つからないのはどういうことなのか。そんなことをしたら「いびつ」になってしまうのではないのか。</p>
<p>国債を大量に保持している資本を民間に渡せば，それが市場原理に任されて何だか竹中大臣的には幸せかもしれないが，暴落の危機も予想できることだし，逆に外資がどっと押し寄せて「日本株」をあらかた取得してしまうかもしれない（というかそれが狙いでアメリカは郵政民営化の圧力をかけ続けてきたのである（知ってました？））。そういう「敵対的買収」に対して，小泉首相はさっさと「本丸」を明け渡すつもりなのではないのか。誰のために？　もちろん，自分のために（と私は疑っている）。</p>
<p>わが国においてすらかつてないほど「国益」という言葉がもてはやされているが，国際社会から見れば一国の国益など「私益」もいいところだ。それに比べれば簡保などは国家が用意した貧乏人のためのセーフティーネットであったのだから，これをつぶすのはまさに国家がもたらす「公益」を，まさに減ずることを意味しないか。日本社会の公益を守るのでなければ，国家はいったい何のためにあるのか。</p>
<p>▼私の考えでは，基本的に，儲かっているところから吸い上げ，儲かっていないところに還元するのが〈システム〉の役割である。つまり国家の役割だ。例えば累進課税制度はそのようなものである。そうでないと，社会が「モノポリー」のようになる。つまり勝ち組／負け組が分離するとともに固定された世の中になる。この傾向がずいぶん強まっているということが指摘されて久しい。モノポリーのように前近代的な（だって生まれたときからある程度身分が固定されるんだもん）社会が楽しそうだと私はあまり思わない。一億総中流社会の方が楽しそうではある。</p>
<p>資本の論理というものは，表面的には完全に公正な取引だけでできているように見えるものである。働いたから，賃金をもらうわけだ。公正だろう，ある意味では。しかし，正のフィードバック（強い者がより強くなり，弱い者がより弱くなる）がどうしても利いてしまうのはそれはいいのか。とりあえず少しはそこに負のフィードバック（強い者は弱められ，弱い者が強められる）の仕組みを入れてやるのが本来の「公益」，本来の「改革」だと思うがいかがか。</p>
<p>弱肉強食を旨とする新自由主義で「改革」，というのは，けっこう鼻持ちならない話だと思うが，これも貧乏人のひがみだろうか。</p>
<p>▼これって書き逃げになるおそれがあることを思い出した。しばらくネットワークの外部に出ることになるかもしれないので。コメントにも返事できないと思われるので，書き込まれる方はご寛恕のほどを。</p>
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	</item>
		<item>
		<title>フランス渡航時に持って行くべきもの／渡航後すぐ買うべきもの</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2005/08/04/015044/</link>
		<comments>http://socioanalysis.net/2005/08/04/015044/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 03 Aug 2005 16:50:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
				<category><![CDATA[フランス]]></category>

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		<description><![CDATA[日本人の生活に供するもののうち，フランスでは(1)普通手に入らないもの，(2)手に入るがクオリティの悪いもの，もしくは同じものが手に入るがバカ高いもの，などがありうるかと思う。たとえば(1)については，こちらでは男性は下 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>日本人の生活に供するもののうち，フランスでは(1)普通手に入らないもの，(2)手に入るがクオリティの悪いもの，もしくは同じものが手に入るがバカ高いもの，などがありうるかと思う。たとえば(1)については，こちらでは男性は下着の「シャツ」を着ないので，そういうものは売っていない。あるいは「電気炊飯器」とか（普通に街では売っていないが，「帰国売り」など何らかの方法で見つかりはする）。が，この種のものはそう多くはない。問題は(2)がほとんどで，それも日常的に使う消耗品にそういうものが多くて困る。</p>
<p>何を隠そう私が渡航後はじめて衝撃を受けたのは，「ラップ」のクオリティであった。もちろん音楽じゃなくて，「サランラップ」とか「クレラップ」とかいうほうのあのラップである。「何やこのへろへろの『透明ビニール』は！」と思わず叫ぶほどくっつかない。</p>
<p><span id="more-67"></span><br />
しかも，日本のラップのようにピシッと切れない。うにょーっと伸びてしまうので，どちらかというと「引きちぎる」感じである。これはあかんよフランス。と思いきや，後日カルフールレーベルのもっとひどいラップを買うてしもうた。これはよくくっつくのだが「うにょー」がより激しく，引きちぎるに引きちぎれない。やっとのことで引きちぎるとその端がすぐに巻きついてしまって，今度は取れないのである。</p>
<p>日本の工業技術はすばらしいですよ！　皆さん！　われわれは当たり前のようにそれを日々享受しているのである。失ってはじめてその価値がわかるというものである。</p>
<p>▼さて，持って行くべきものについて内容別に言うと，文房具類，紙類，台所用品，下着類，というところがこれにあたるのではないかと思われる。なお家電関係は特定のものを除きフランスで買うべきだろう（電圧仕様の違いのため）が，一般に精密機器類は，日本のショップ／サイトで買い求めてもたいてい日本国外に発送できないので，必要なものは持って行くしかない。特に日本語パソコン，iPod，電子辞書などは持って行きたい。</p>
<p>所有する音源をiPodに可能なかぎり叩き込んで持って行けば，CDを持って行かずにすむ。そして部屋にCDラックを用意する必要もなくなる。そしてこれらの精密機器類は，もちろん個別に仕様を確認すべきだがたいてい100V～240Vまで対応しているので，変換用のプラグだけでそのままフランスのコンセントに挿すことができる。ちなみに，「変換用プラグ」も日本から用意していくことをおすすめする。フランスで買うと妙にでかく，邪魔な部分のついたものになってしまう。</p>
<p>また，パソコン用には変換プラグではなく「コード」自体を買うことをおすすめする。ここでコードというのはACアダプター（黒いハコ）から先の部分のことである。通常は問題ないとしても，仕様上は日本のパソコンのコードは110Vまでを想定しているので，220Vのコンセントに使うのは本当はまずい。先の形状もヨーロッパ（C型）に対応するものを買うこと。</p>
<p>要は，重くて，運んだり送ったりするのはちょっと……的なものはバッサリあきらめ，しかし運べそうなものはできるだけ持って行くという方針で望むことであろう。</p>
<p>なお，何か荷物（例えば書籍など）を送る場合，郵便を使うのはあまりに心もとない。EMSだと追跡できるが，これもフランス国内に入ると怪しくなってしまう（フランス国内では<a href="http://www.fr.chronopost.com/web/fr/index.jsp">Chronopost</a>という民間会社が配送を行っていて，こいつらがまたプロじゃないのである）。なので，宣伝費はもらっていないが送るなら「ヤマト」をおすすめする。日系だから安心確実である。ちゃんと約束の日に配達されるし，午前か午後かも指定できる。重さや大きさの関係で安価に送れないものもあるかと思うが，とりあえず問い合わせるのがよいと思う。</p>
<p>▼また逆に，こちらに来てすぐ買うべきと思われるものもある。一つは「スキャナー一体型のプリンター」である。ドライバーだけフランス語か英語になってしまうかもしれないが，Epson，Canonといった日本のメーカーの製品はまずつなげるはずだし，運がよければ日本語のドライバーを突っ込むこともできそうである。私はHP（ヒューレット・パッカード，フランスでは「アシュ・ペ」と発音）のを持っているが，これも問題ない。これがいいのは，滞在許可証やらアパートの契約やらにさまざまの書類を提出する際には何かとコピーをとる必要があるが，それが自宅で簡単にできる点である。これを買う前にはいちいち郵便局に行っていたのだ。コンビニなどはこの国には（ほとんど）存在しないのである（ちなみに，これの難点はネットワーク・プリンターとして使いにくい点。うちは2台のパソコンでこのプリンターを共有しているが，プリント・サーバーをつけてもスキャナー機能は共有できない）。</p>
<p>あと，ご存じのとおりヨーロッパは水は「蛇口をひねると出てくるもの」ではなく，「スーパーで買うもの」である。これは水の豊富な日本の民にはとてもイタい。そこでドイツの<a href="http://www.brita.com/intl/">Brita</a>が作っている濾過器。こいつで作った水で紅茶を入れると，水の硬度の関係でいい色になる。ミネラル・ウォーターのほうがむしろダメなのである。そしてさらに賢いドイツ人は，濾したあとその水をそのまま沸かせる電気ポットを開発したのだ！　ジェニアール。ヴンダバー。というわけでこれはかなりおすすめである（とはいえウチのは2年保障のはずなのに壊れてしまった。悲しい）。</p>
<p>持っていくものというより，やっておくことという意味では，海外旅行傷害保険に加入しておくことと，シティバンクの口座を開き，自分の通常使っている銀行でネットバンキングができるようにしておくこと。この手続きは絶対ではないかもしれないが，自分ですべて遠隔操作できて便利（ただし郵便局の口座はフランスから遠隔では操作できない）。こうやっておくと，フランスの銀行口座ができるまではシティバンクからユーロで引き出して食いつなぐことができるし，それができたあとも，ネット上で自分の普段の口座からシティバンクに振り替えたり，そこから海外送金でフランスの銀行口座に送ったりすることができる。</p>
<p>▼まあいろいろ言いたいことはあるが，ともかく並べてみたので参考にしていただきたい。横線よりも上を持って行く，という方針がおすすめである。</p>
<blockquote><p>(1)普通は手に入らないもの</p>
<ul>
<li>「海外旅行傷害保険」（反則？　でも必須と思う）
</li>
<li>各銀行口座をネット上でいじれるように手配
</li>
<li>排水口ネット（水漏れなどのトラブルを未然に防ぐ）
</li>
</ul>
<p>(2)手に入るけどクオリティが低い／値段が高いもの</p>
<ul>
<li>セロテープ
</li>
<li>ビニールテープ（家の補修用に）
</li>
<li>ホッチキス・芯
</li>
<li>スティックのり
</li>
<li>瞬間接着剤
</li>
<li>木工用ボンド
</li>
<li>クリップ類（ああこんなもんしょうもない）
</li>
<li>書類ケース
</li>
<li>筆記用具
</li>
</ul>
<p>(3)できれば持って行きたいもの</p>
<ul>
<li>常備薬類（たぶん身体に合う・すぐ使える）
</li>
<li>コンセント変換プラグ（日本のものがよい）
</li>
<li>変圧器（240V→100V）（すぐ使いたくてもどこに売っているかわかりにくい）
</li>
<li>日本語パソコン
</li>
<li>パソコン用コード（変換プラグが要らなくなる・高電圧に対応）
</li>
<li>デジカメ
</li>
<li>外付けハードディスク（きっとデジカメのデータがパソコンにたまって困る）
</li>
<li>iPod（CDを持って行かないですむ・部屋にCDラックを置かないですむ）
</li>
<li>iTalk（講義などを録音できる）
</li>
<li>iPod用スピーカー（ポータブルがおすすめ）
</li>
<li>電子辞書
</li>
<li>日本の小間物類（フランス人へのちょっとした贈り物用）
</li>
</ul>
<hr size="1"/>
<p>(4)あきらめてフランスで買うしかないもの</p>
<ul>
<li>家電製品（電気炊飯器，ドライヤー，DVDプレーヤーなど）
</li>
<li>CD-R，DVD-Rなどのメディア（高いが，重いので日本から送れない）
</li>
<li>工具類（ドライバー，ペンチなど。家の補修用に）
</li>
<li>台所用品（洗剤，スポンジ，ラップなど。最悪）
</li>
<li>紙製品（ノート，ティッシュなど。目玉が飛び出る値段）
</li>
<li>（女性）生理用品（可能なら日本から送ってもらうべき）
</li>
</ul>
<p>(5)むしろ渡航後すぐ買うとよいおすすめ品</p>
<ul>
<li>スキャナー一体型のプリンター（コピーができるので手続きに重宝。帰国時に売る）
</li>
<li>ブリタの電気ポット（水道水を濾せてそのまま沸かせる）
</li>
</ul>
</blockquote>
<p>というわけで，まずは100円ショップに行くといろいろと必要なものを買い集めることができそうである。</p>
<p>ご意見お寄せいただきたい。今後渡航される方の利益に供したいと思うので，このリストについてはコメントに応じて随時更新としていきたい。</p>
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	</channel>
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