自民党は憲法をどうしたいのか(2)

9条改憲の危険性や、いわゆる「緊急事態条項」の危険性はしばしば指摘されていますが、私が個人的に自民党の改憲草案でいちばんひどい(逆に言えば、彼らの意図がわかりやすい)と思うのは、「憲法尊重擁護義務」の部分です。この件はあまり語られていないようですので、ここではこれについて指摘したいと思います。

現行日本国憲法の第99条には、次のようにあります。

第99条(憲法尊重擁護の義務)
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

多くの人が誤解していますが、現行憲法において、憲法を尊重し擁護する義務があるのは天皇や公務員たちであって、一般国民ではないのです。たとえば民間企業内などで人権侵害がある場合は、それが直接憲法違反になるのではなく、そうした企業に行政が指導をすべき(しない場合憲法違反)、ということになる理屈です。

これを自民党はこう変えたいと言います。

第102条(憲法尊重擁護義務)
1 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。

どこがどう変わったのでしょうか? まず第1項で、先ほど確認したように、「国民」が今まで負わなかった義務を追うことになりますよね。「全て国民」って、「全ての国民」のことですかね。また第2項で、「天皇又は摂政」が義務から外されています。

これね、どういう意味だと思います?

絵に書いてみると、次のようになります。「憲法を守らないといけない人」を黄色く塗ってみました。左が現行日本国憲法、右が自民党改憲草案の、憲法尊重擁護義務が課される対象範囲です。

現行憲法99条自民党草案102条

現行憲法は、国民主権の観点から、国民が主体となって国家機構に権力を預けるいっぽう(授権規範)、その強大な権力・権限を一手に握る国家機構に一定の歯止めをかけるもの(制限規範)です。憲法の力の源泉は、「憲法制定権力」とされる「国民(の権利)」に由来していて、つまり一般国民が国家権力の範囲を制限するという、下が上を縛るかたち、すなわち「立憲主義の体制を戦後日本国はとってきました。日本だけではなくこれがグローバルスタンダード・普通の「近代国家」の体制です。このタイプの憲法を「近代的意味の憲法」あるいは「立憲的意味の憲法」と言います。

それに対し、自民党の目指す国家体制では、天皇の権力を制限するものは論理的に何もありません。むしろせっかくあったのに取っ払って、リミッターが外された状態です。上が下を縛るかたちに大きく変更です。プラス、自民党草案では天皇は国家元首と明記されるんでしたよね(「第1条 天皇は、日本国の元首であり、……」)。つまり自民党草案は、国家元首の権力をいっさい制限しない憲法、という謎憲法……というか「近代憲法とは言えない何か」になっています。

となると自民党の言う改憲って、国民主権から、天皇主権(国家主権)への移行のことですよね? ボトムアップ体制から、トップダウン体制への移行ですよね? いわば、まさに、大政奉還ですよね? 逆市民革命ですよね? これは体制変革なのですから、れっきとした革命です。

それでなくても安倍自民党は「日本会議」と人脈的・思想的に結びついていて、その政策は「戦前回帰」志向であるとの批判をしばしば受けています。それも一面の真実だと思いますが、上の観点から見れば、彼らのしたいことは戦前などよりももっと以前に戻そう、王様のいたような時代に戻そう、「近代国家をやめよう」と読めます。

伊藤博文ですら「そもそも憲法創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を保護するにあり」と言っているのに……。つまり明治憲法=大日本帝国憲法もいちおう立憲主義を建前としているのに、その建前すら否定してしまうのです、いまの自民党は(昔の自民党は、「立憲主義って何それ?」なんてことはさすがに言いませんでした)。ということは、総合すると、自民党の狙いは、戦前どころか明治憲法以前に戻すということ。いくらなんでも異常です。

自民党がこういう前近代的・復古的な発想になってしまうのは、近代的な概念である「基本的人権」を彼らが認めたくないからです。「人権」を認めないというよりは、人権が「基本的 fundamental」であることを認めない、と言ったほうが正確かもしれません。が、まぁあんまり変わりません。どちらにせよ、彼らにとっては人権は「基本的」(誰もが生まれながらにもっているもの、という意味で)ではなくて、「国が下々に与えてやるもの」だからです。いわば「国賦人権論」。「国」が最高の位置じゃないとどうしてもイヤなんですね。

そのことは、片山さつき議員のちょっと知られたツイートがきわめて明瞭に表しています。個人の見解というより、「私たち」、党の見解と見てよいでしょう。炎上したこともありましたが、今もって消されていないので、現在も維持されている考え方のはずです。

国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。……(2012年12月7日

天賦人権論」とは、「人間は生まれながらにして不可侵の権利を持っている」、つまり「人権は、ファンダメンタルだ」という説。18世紀のヴァージニア権利章典がその嚆矢。一般国民が「憲法制定権力」であるのも、「基本的人権」があるからですよね。これは、謎の「天」とかキリスト教の神様とかが人権をなぜかくれるという話ではなくて、人類が血で血を洗う歴史の中で「最低限そういうことにしておかないとヤバい」と気づき、それを権力機構の中に書き込むことで、やっと獲得されたものなんだという話です。「人には生まれながらに権利がある」とはこれはこれでフィクションではあるのです。あるのですが、そうなってないとヤバいからです。

たとえば勤労、納税、教育が現行憲法の指定する義務ですが、さまざまな理由で勤労できない人、納税できない人などは現実にいるわけです。こういう人たちに「あんたにはちょっと人権はあげられないなぁ。まず義務を果たしてから言いな」とか自民党政権は言うわけです。実際、生活保護受給者とかにそういう扱いしてますよね。臣民が奉仕することでやっと国から「人権」がもらえる。――こんなの人権ですかね。御恩と奉公じゃ、まるでかまくら時代じゃないですか。

人権って、そういうものじゃないでしょう。「義務を果たさなくていい」なんて別に誰も思ってなくて(大半の人はちゃんと納税してます)国が義務とか言う以前に、国家成立以前に、最低限「誰にでも生きる権利くらいはある」というだけの話です。そしてたとえば「戦争」は、人々のそういう最低限の基本的な権利(cf. 平和的生存権)を暴力的になぎ倒していくわけです。国家はむしろ、そういうことから国民の生命財産を守らなければならない。

「人権」がありとあらゆる価値の中で「底」なのです。この底が抜けるとほんとにヤバい。

ここ、97条ですよね。97条は自民党草案で全削除。「ストーンと」削除(礒崎陽輔談)。自民党はまさにこの「人権が基本的である理由」を憎んでいるのです。それは「国家」よりも上位の普遍的な価値を規定するものだからです。彼らはそれをヨーロッパ特有のものだなどと言いたいようです。はぁ。日本の神様はそんな血も涙もない存在なのでしょうか。そんなわけはないはず。

要は、「ボトムアップの民主主義はやめる。トップダウンの君主主義に戻す。庶民はガタガタ言うな」というのが「行きすぎた個人主義」とか言ってくる自民党の本音だということが、この改憲草案にはっきりと、きっぱりと、明晰・判明に表れているということです。という批判がすでにあるのに、まったく撤回するそぶりもありませんから、やはり客観的にそうなのです。

安倍自民党政権をどう評価するか。かずかずの公約違反に始まり、アベノミクスもよくわからん、特定秘密保護法・安保法制・共謀罪などの統制的で不備の多い政策、閣僚の不正腐敗、モリカケ問題などに見られる行政の私物化など、どれも個々に重大問題ではあります。がそれ以上に、われわれはすべてを一続きのものとして、整合的に理解する必要がありますよね。緊急事態条項も、これを憲法に書き込めば厄介な「制限規範」を一気に無効化できるからです。とにかく「オレの自由にさせろ」で一貫しています。

自民党の政策の多くは、上述のような復古的で父権的(パターナリスティック)な体制への憧れから発しています。「日本会議」のイデオロギーですね。では自民党以外に選択肢があるのか。それは当然あるでしょう。自民党の中にも別の解があるのかもしれません。

われわれ有権者がどの政党を支持するかを決めるにあたっては、異常なことですが、「政策」レベルで論じるだけでなく、「政体(政治体制)」レベルで検討する必要があります。どんな政体をわれわれは選択すべきなのか。立憲主義の意義と重要性をはっきりと理解し、述べているのはごく少数の政党、少数の候補者のみです。ですから日本を封建制国家に戻したくないと思う人にとっては、選ぶことはそう難しくはありません。

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