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大学生と政治

大学生が政治に興味がないというのは、端的な事実である。それは彼らと毎日つきあっている私も日々痛感している。もちろん残念にも思う。彼らのせいというわけでもない。のかもしれない。では誰のせいなのか。そこはよくわからない。いろんなところに責任がありそうだ。

ただいずれにせよ、いまこの日本で、「民主主義」を実質化しなければならないことだけは確かだ。今回の選挙次第では、日本国という国の体制が根本的に変質させられる可能性がある。そして最も割を食うのは、若い彼らである。

日本人は、近代民主主義を、敗戦によって、すなわちアメリカに「押しつけ」られるというかたちで初めて手に入れた(実は私はここにも少々異論はあるが)。だから、端的に言えば、近代民主主義に恨みがあるのだ。そのものはいいものなのに、文明国に必須のものであるのに、素直に受け取れないでいる。かつては「近代の超克」などと言って、西洋的価値観は日本の風土に合わないという人たちもいた。そしていま、ある意固地な人間のグループが、時計の針を200年ほども巻き戻そうとしている。

どんなふうにか? 2012年の自民党改憲草案をご覧あれ。そこでは国民主権、基本的人権、平和主義の3つともが、気持ちよいくらいに骨抜きにされている。どうせこれらがマッカーサー3原則から来ているから、とでも言いたいのだろう。そのQ&Aもまた噴飯物である。これも必読。

だいたい、21世紀にもなって、本当に民主主義より封建主義がよいのか? 平和国家より普通の戦争する国家のほうがよいのか? 「押しつけられた」の一点で思考が短絡させられていて、本質的な議論が、少なくとも政治の場で(!)、何もなされていない。口を開けばみんなどこかで小耳に挟んだ大本営発表の断片を反復しているだけ。政府にマスメディアを支配されてしまうと、人々に基礎情報が行きわたらなくなるので、建前上の民主主義が意味をなさなくなるというわけだ。

ここでシニカルにならずに、能動性をもって、歴史を知る人間、考える人間、そして発言する人間が、もっともっと必要だ。というより、民主主義とは本来、そういう人間たちのものだ。私たち日本人が、「民主主義」というものに追いつかないと、民主主義は手に入らない。かと言ってこんな当たり前のことが「理想」にすぎないものであるわけがない。「現実に合わせて」時計の針を戻している場合ではない。

実は学生こそ、民主主義を手に入れる能力と資格を備えた、その役割に最も適した人たちではないのだろうか。しんどいことだが、もし彼らが本気を出すならば。年季の入ったおじいさんが今までの生き方を変えるのは難しいが、若い彼らは変わることができるはずだ。変わったほうがいい。彼らこそが、最大のステークホルダーなのだから。