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	<title>ダフ屋の経済学 へのコメント</title>
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	<description>青山学院大学 総合文化政策学部（SCCS）から投げる直球。</description>
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		<title>中野昌宏 より</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2009/06/21/115418/comment-page-1/#comment-488</link>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
		<pubDate>Wed, 01 Jul 2009 15:05:37 +0000</pubDate>
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		<description>時間が経ってちょっと気が抜けちゃいましたが，木田原さん，ありがとうございます。なお，尊敬なんかしないでください。
またどこかでお会いしましょう。

ところで，さっき見たらとあるコマを12,800円で売ってるやつがいた。それはひどいだろう。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>時間が経ってちょっと気が抜けちゃいましたが，木田原さん，ありがとうございます。なお，尊敬なんかしないでください。<br />
またどこかでお会いしましょう。</p>
<p>ところで，さっき見たらとあるコマを12,800円で売ってるやつがいた。それはひどいだろう。</p>
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		<title>木田原形而 より</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2009/06/21/115418/comment-page-1/#comment-483</link>
		<dc:creator>木田原形而</dc:creator>
		<pubDate>Wed, 24 Jun 2009 09:54:54 +0000</pubDate>
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		<description>＞リンク先を拝見しましたが，ラカニアンでいらっしゃるのですね。

いえいえ、私はラカニアンというほどの知識も実績もないですから、ただの「ラカン好き」に過ぎません。

＞私は根がマルクシアンなので（というか，マルクスの言っているような理想を実現すべく社会のメンバーが努力す「べきだ」と思うので

頼もしい限りです。中野先生は言うことがはっきりしていらっしゃるので、私も大変尊敬しております。

それから、木田原はペンネームなので、実名をお書きせずに申し訳ありません。日本ラカン協会には入っておりますが、何かとブログでラカン派の方を批判しているもので、こういう名前で通しております。もっとも、私はラカンだけでなく、他の学会にも入っておりますので、ラカンの専門家というわけでもありませんし。
多分、いずれお会いする機会があると思いますので、その時はご挨拶させていただきたいと思います・・・。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>＞リンク先を拝見しましたが，ラカニアンでいらっしゃるのですね。</p>
<p>いえいえ、私はラカニアンというほどの知識も実績もないですから、ただの「ラカン好き」に過ぎません。</p>
<p>＞私は根がマルクシアンなので（というか，マルクスの言っているような理想を実現すべく社会のメンバーが努力す「べきだ」と思うので</p>
<p>頼もしい限りです。中野先生は言うことがはっきりしていらっしゃるので、私も大変尊敬しております。</p>
<p>それから、木田原はペンネームなので、実名をお書きせずに申し訳ありません。日本ラカン協会には入っておりますが、何かとブログでラカン派の方を批判しているもので、こういう名前で通しております。もっとも、私はラカンだけでなく、他の学会にも入っておりますので、ラカンの専門家というわけでもありませんし。<br />
多分、いずれお会いする機会があると思いますので、その時はご挨拶させていただきたいと思います・・・。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>中野昌宏 より</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2009/06/21/115418/comment-page-1/#comment-481</link>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
		<pubDate>Mon, 22 Jun 2009 03:41:50 +0000</pubDate>
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		<description>&gt; 仕方がないので落語の真似のようなことをして時間を潰したことがありました。

90分まるまる勧進帳というのはきついですよね。「持ちネタ」ができてれば黒板さえあればやれるのですが。

昔の先生なんか，ろくに授業の準備なんかしてないし，トークも板書もひどいし，学生も授業に全く期待してませんでしたよね。質問があれば直接聞きにいけばいいし。自分で図書館に行ったり先生にインタヴューしたり，能動的に動くことこそが勉強でした。

いまは，FD（Faculty Development）といういやな名前のもとに，雛鳥たちに食べやすいように調理して口に入れてやる技術が教員には必要だということになってます。たしかに中にはひどい先生もいるので，ある程度そうかなとも思うのですが，あまりにも過保護で，むしろ雛鳥たちをスポイルしてしまうのにと思います。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>&gt; 仕方がないので落語の真似のようなことをして時間を潰したことがありました。</p>
<p>90分まるまる勧進帳というのはきついですよね。「持ちネタ」ができてれば黒板さえあればやれるのですが。</p>
<p>昔の先生なんか，ろくに授業の準備なんかしてないし，トークも板書もひどいし，学生も授業に全く期待してませんでしたよね。質問があれば直接聞きにいけばいいし。自分で図書館に行ったり先生にインタヴューしたり，能動的に動くことこそが勉強でした。</p>
<p>いまは，FD（Faculty Development）といういやな名前のもとに，雛鳥たちに食べやすいように調理して口に入れてやる技術が教員には必要だということになってます。たしかに中にはひどい先生もいるので，ある程度そうかなとも思うのですが，あまりにも過保護で，むしろ雛鳥たちをスポイルしてしまうのにと思います。</p>
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		<title>madhut より</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2009/06/21/115418/comment-page-1/#comment-480</link>
		<dc:creator>madhut</dc:creator>
		<pubDate>Mon, 22 Jun 2009 00:16:44 +0000</pubDate>
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		<description>&gt; 新科目が3つも並行して走っているので，もうだめかもです。

何をおっしゃるウサギさん。むかし非常勤で講義していたとき、肝心のパソコンを忘れ、仕方がないので落語の真似のようなことをして時間を潰したことがありました。私が学生時代の大学の講義はもっといい加減だったような。
まぁ今は真面目にやらないと駄目なんでしょうね。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>&gt; 新科目が3つも並行して走っているので，もうだめかもです。</p>
<p>何をおっしゃるウサギさん。むかし非常勤で講義していたとき、肝心のパソコンを忘れ、仕方がないので落語の真似のようなことをして時間を潰したことがありました。私が学生時代の大学の講義はもっといい加減だったような。<br />
まぁ今は真面目にやらないと駄目なんでしょうね。</p>
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	</item>
	<item>
		<title>中野昌宏 より</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2009/06/21/115418/comment-page-1/#comment-479</link>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
		<pubDate>Sun, 21 Jun 2009 16:43:32 +0000</pubDate>
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		<description>木田原さん，

またまたコメントありがとうございます。リンク先を拝見しましたが，ラカニアンでいらっしゃるのですね。話が早い。

&gt; けっきょく、「哀しい現実」から我々が逃れることができないという「事実」のみは変わらないのですね。

そうですよね。実は，経済だってまさに人類の「症状」なんですよ。モノから遊離した言葉の世界（象徴界）がモノ界の疎外態をなすのと同様に，経済システムというのも「生活世界」の疎外態です。ですからその「意味するところ」を「読み取る」ことは一定程度可能なんですが，しかし，人類が疎外から根本的に回復することはたぶん絶対無理でしょうね。

でもまあ，私は根がマルクシアンなので（というか，マルクスの言っているような理想を実現すべく社会のメンバーが努力す「べきだ」と思うので――待っていたら勝手に実現するものでもないので），ある程度明るい未来を夢想して生きようとは思っております。あ，別に活動家とか危険人物ではないつもりですが。

もちろん，経済の「予想」はできませんよ！　経済の先行きを予想できる理論がもし存在したら，パラドックスが生じますので。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>木田原さん，</p>
<p>またまたコメントありがとうございます。リンク先を拝見しましたが，ラカニアンでいらっしゃるのですね。話が早い。</p>
<p>&gt; けっきょく、「哀しい現実」から我々が逃れることができないという「事実」のみは変わらないのですね。</p>
<p>そうですよね。実は，経済だってまさに人類の「症状」なんですよ。モノから遊離した言葉の世界（象徴界）がモノ界の疎外態をなすのと同様に，経済システムというのも「生活世界」の疎外態です。ですからその「意味するところ」を「読み取る」ことは一定程度可能なんですが，しかし，人類が疎外から根本的に回復することはたぶん絶対無理でしょうね。</p>
<p>でもまあ，私は根がマルクシアンなので（というか，マルクスの言っているような理想を実現すべく社会のメンバーが努力す「べきだ」と思うので――待っていたら勝手に実現するものでもないので），ある程度明るい未来を夢想して生きようとは思っております。あ，別に活動家とか危険人物ではないつもりですが。</p>
<p>もちろん，経済の「予想」はできませんよ！　経済の先行きを予想できる理論がもし存在したら，パラドックスが生じますので。</p>
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		<title>中野昌宏 より</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2009/06/21/115418/comment-page-1/#comment-478</link>
		<dc:creator>中野昌宏</dc:creator>
		<pubDate>Sun, 21 Jun 2009 16:27:17 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://socioanalysis.net/?p=561#comment-478</guid>
		<description>madhutさん，

ご無沙汰しています。すみません。コメントは最初の1回はモデレートが必要で，次回からはスルーできるようです。どうもそれがWordPressの作法のようですね。

ええと，父親がおもちゃになるのは望むところなのですが，その時間がないのです。特に今年度のこの前期には。新科目が3つも並行して走っているので，もうだめかもです。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>madhutさん，</p>
<p>ご無沙汰しています。すみません。コメントは最初の1回はモデレートが必要で，次回からはスルーできるようです。どうもそれがWordPressの作法のようですね。</p>
<p>ええと，父親がおもちゃになるのは望むところなのですが，その時間がないのです。特に今年度のこの前期には。新科目が3つも並行して走っているので，もうだめかもです。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>madhut より</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2009/06/21/115418/comment-page-1/#comment-477</link>
		<dc:creator>madhut</dc:creator>
		<pubDate>Sun, 21 Jun 2009 14:17:11 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://socioanalysis.net/?p=561#comment-477</guid>
		<description>むむむ、ところでコメントがカウントされなかったのはURLを入力しなかったから？</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>むむむ、ところでコメントがカウントされなかったのはURLを入力しなかったから？</p>
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		<title>木田原形而 より</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2009/06/21/115418/comment-page-1/#comment-476</link>
		<dc:creator>木田原形而</dc:creator>
		<pubDate>Sun, 21 Jun 2009 13:51:41 +0000</pubDate>
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		<description>＞しかし，もともと経済に「べきである／ない」はいっさい通用しないのだ。そこが哀しい現実ではある。

中野先生がおっしゃるように、経済はまことに思い通りに行かないものですね。経済学など「競馬の予想屋」ほどの的中率もありませんし…。
しかし、これは「言語ゲーム」ならぬ経済があらかじめ持っている「経済ゲーム」の性質によるものでもあるのでしょう。「もの」を媒介にした交易は「こと」であり、「こと」は実体ではなく現象です。経済もそういった「現象の連鎖」であると考えるならば、非常に「ゲーム性」の高い、不確実な未来を有する「こと」として、ブラウン運動のように振る舞い、中々見極めることは困難です。
精神分析のように、症状として経済をとらえることも不可能ですから、極めて厄介なものであると、つくずく思います。
「ゲーム」の性質をもつものというのは、負けるリスクが常に大きくそれを回避するためには、「ゲーム」に参加しないことが「最大の回避」であるという皮肉から人間は逃れられないということが、私にはいつも腹立たしく思えてしまいます。
けっきょく、「哀しい現実」から我々が逃れることができないという「事実」のみは変わらないのですね。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>＞しかし，もともと経済に「べきである／ない」はいっさい通用しないのだ。そこが哀しい現実ではある。</p>
<p>中野先生がおっしゃるように、経済はまことに思い通りに行かないものですね。経済学など「競馬の予想屋」ほどの的中率もありませんし…。<br />
しかし、これは「言語ゲーム」ならぬ経済があらかじめ持っている「経済ゲーム」の性質によるものでもあるのでしょう。「もの」を媒介にした交易は「こと」であり、「こと」は実体ではなく現象です。経済もそういった「現象の連鎖」であると考えるならば、非常に「ゲーム性」の高い、不確実な未来を有する「こと」として、ブラウン運動のように振る舞い、中々見極めることは困難です。<br />
精神分析のように、症状として経済をとらえることも不可能ですから、極めて厄介なものであると、つくずく思います。<br />
「ゲーム」の性質をもつものというのは、負けるリスクが常に大きくそれを回避するためには、「ゲーム」に参加しないことが「最大の回避」であるという皮肉から人間は逃れられないということが、私にはいつも腹立たしく思えてしまいます。<br />
けっきょく、「哀しい現実」から我々が逃れることができないという「事実」のみは変わらないのですね。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>madhut より</title>
		<link>http://socioanalysis.net/2009/06/21/115418/comment-page-1/#comment-475</link>
		<dc:creator>madhut</dc:creator>
		<pubDate>Sun, 21 Jun 2009 07:38:25 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://socioanalysis.net/?p=561#comment-475</guid>
		<description>概念を厳密に定義していこうとすると、経済用語はほとんど厳密には定義できないのではないでしょうか。実務では「バブル」か「実体」かは相対的な部分もあるでしょうし。
こうなったらおもちゃを買わないとか、父親がおもちゃになるとか。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>概念を厳密に定義していこうとすると、経済用語はほとんど厳密には定義できないのではないでしょうか。実務では「バブル」か「実体」かは相対的な部分もあるでしょうし。<br />
こうなったらおもちゃを買わないとか、父親がおもちゃになるとか。</p>
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