Home > Archives > 2007-02
2007-02
平成19年度授業科目等
- 2007-02-28 (水)
- お知らせ
更新しました。「講義紹介」からどうぞ。
また,長らくコメントスパム対策が厳しすぎたことに気がつかなかったようです。TypeKeyを通さないと投稿できなくなっていた様子。もしコメント弾かれた方がおられましたら,せっかくですのに申し訳ないことをいたしました(「いやいや誰も書かないって」という気もする)。
英単語でNGワードがいくつかありますが(エロ系,ギャンブル系),それ以外なら通るように設定しました。とたんにコメントスパムがわらわらとついてきます。ちぎっては投げ,ちぎっては投げしてフィルターを鍛えておるところでございます。
- Comments: 0
- Trackbacks: 0
浅野史郎さんへの出馬要請
これ,すごいことになってますね。
出馬要請署名もできるようになっています。
「石原じゃなければ誰でもいいんだろ」などと悪口を書き込んでいる人もいるようですが,どうしてどうして,これは対象が浅野さんという人物だったからというのはやはり大きなファクターではないでしょうか。黒川紀章氏ではこうはいかないわけですし。
というわけで,日本の民度も捨てたものではないと感心しつつ,ポチっと署名をいたしました。皆さんもお急ぎください。とりあえずその前に,浅野氏の立場や過去の言動をググってみてくださいね。
- Comments: 1
- Trackbacks: 0
「進化しすぎた脳」と無意識の論理
- 2007-02-21 (水)
- 研究
池谷裕二『進化しすぎた脳――中高生と語る[大脳生理学]の最前線』(講談社ブルーバックス)だが,やはり面白かった。もちろんわれわれの研究とはジャンル違いだが,ヒントが隠れている。
特に,次の引用部分はわれわれがいま取り組んでいる方法論に密接な関係がある。
学生U とすると,ゆらぎは何のために存在するでしょうか?
池谷 いくつか理由はあると思う。たとえば,これも僕の仮説なんだけど,揺らぎがもたらす不確実性が生物には必要だと思うわけ。たとえば,2つの選択肢A,Bがあったときに,普通に考えると選択肢Aのほうがよいと思えても,たまにはBを選ばなきゃいけない状況というのはいっぱいあるよね。
環境は絶えず変わるから,当初はAという選択がベストだったとしても,将来は損する可能性がある。ということは,たまにはBを選んで,Aと比較しないといけない。だから,一度Aを選んだら「俺は一生ずっとAだ」と決め付けるんじゃなくて,ときどきゆらいでBを選択することも必要だ。このように選択行動にファジー性を含有させることに,脳の自発活動が関係しているのかもしれない。
実は,こういう問題意識をもっている研究者は僕だけじゃないらしい。2006年の『ネイチャー』に掲載されたユニークな論文があるんだ。実験者は当たり確率が違うスロットマシンを4台用意して,それを人間がどう選ぶかを調べた。スロットマシンの当たり確率は一定ではなく,ゆっくりと変わっていく。しかもバラバラのタイミングで。つまり,被験者は最初に選んだベストのスロットマシンを選び続けるといずれは損するから,ときどきスロットマシンを変えなくてはいけない。こうした実験をやらせて,fMRI(機能的核磁気共鳴画像法)で脳の活動を測定していく。すると,当たっているスロットマシンを選び続けているときに活動する特定の部位と,ふと違うスロットマシンを選びたくなるときに働く部位が異なることがわかってきた。もしかすると,脳にはこうした不確実性を内発的に生み出すしくみがあるようなんだ。
- Comments: 5
- Trackbacks: 0
石原都知事に対する国家賠償訴訟
- 2007-02-11 (日)
- お知らせ
「テポドンしんちゃん」こと石原慎太郎都知事が,例のフランス語賠償訴訟のなかで,最初は「私人としての発言」としていたのに,今ごろになって「あれは私人としての発言ではなく,公人としての発言」と「訂正」してきたそうです。
ということは,
東京都が,「フランス語は数を数えられない言語」という説を公式に唱えた
ということですね?
なので,裁判長含め全員ドッチラケで(見てませんがたぶん吉本みたいに全員ずっこけたと思う),裁判はやり直しで,今度は「国家賠償訴訟」ということになるそうです。
→ 詳しいこと・経緯などはこちらを参照
→ チラシ・原告団参加申込用紙
で,当初は「あのオヤジ相手に裁判なんて,スマートじゃないな」と思っていたワタクシではございますが(「フランス語学習セット献呈」の方がエスプリが利いてると思ったクチです),一般市民として,おかしいことに「おかしい」と言うのは別に普通のことですから,この際原告団に参加とまではいきませんが側面支援することにいたしました。
裁判もそうですが,この男の都知事三選だけは阻止したいものです。東京都民の方,お願いしますよほんとに。いくらなんでもこんなの。
裁判の方は,もちろん都民でなくても皆さんご参加可能です。匿名も可です。奮ってご参加・カンパのほどをお願いいたします。ただし原告団への参加は2月18日(日)までとのことですのであまり時間がありません。お急ぎください。
- Comments: 0
- Trackbacks: 0
試験の採点シーズン
- 2007-02-03 (土)
- 雑文
採点シーズンである。
ある大学教員の友人から,次のような相談が寄せられた。以下Q&A形式でそのやりとりを紹介する。
Q. 私が担当している遠隔講義で問題が起こったのですが,相談にのっていただけないでしょうか。
実は昨日,遠隔講義担当の職員さんから「○学部の受講生のなかに,毎回,配布資料だけ受け取って,出席カード提出を他の人に頼んで,最初の2,30分で退席している者がいる」という「告発」メールをもらいました。メールには当該学生の学籍番号と名前が記されていました。
私は,基本的に△×キャンパスから講義をしていたので,教室のTVカメラだけでは○学部の教室(※別のキャンパス)の細かい様子は把握できませんでした。また,2回だけ○学部で講義をしたのですが,メールによると,当該学生はその回だけ最後まで受講していたとのことです。
この学生の成績評価をどのように扱えばよいのか迷っています。今までの平常点を鑑みると,期末試験でもそこそこの成績をとって,単位を認めることになると予想されます。
ストレートに出席と試験結果で成績をつければ,こうした問題が表面化することなく無難に済ますことができます。でも,それは私の信念に反する行為ですし,何よりも他のまじめに受講している大半の学生達のことを考えると,「フリーライダー」を認めるわけにはいきません。
また,上記のメールを信じて,当該学生を落とすと本人からのクレイムがあると予想できます。そのとき,証拠は職員さんからのメールだけになります。姑息な手段をとって単位をゲットしようとするような学生ですので,もしかしてその職員さんを巻き込むと,「逆恨み」されかもしれません。ですから,私個人としてはこのメールを証拠に使うのにためらいがあります。
当該学生の期末試験の成績が悪けりゃ何の問題にもならないんですけどね。お忙しいところ恐縮ですが,ご意見をきかせていただけると有難いです。
A. お答えします。
僕だったら,という仮定で話をしますよ。相当ひねくれ者ですよ。大丈夫でしょうか。
結論から言うと,僕だったらC(最低ランク)で通します。
科目の性質もあるかもしれませんが,まず「フリーライダー」は許せないとは僕は思っていません。そういうのでも試験問題が解けるのであれば,僕ならよしとします。同じ結果を出すために労力をはしょったことは,要領がよいと評価すらできるくらいなもんで,まあいいんじゃないかということです。それがいやなら教員のほうで,そういう連中には解けないような試験問題を出すことでコントロールするのが筋であろうかと思います。
また,他の真面目な学生にとって……という話もよく聞きますが,要は単純に授業を真面目に聞いて試験で一定の成績を出す学生と,授業を聞かずに試験で一定の成績を出す学生とがいる,という事実がまずあって,そのなかでいったいどっちが得をしているのかというと,ちゃんと授業を聞いている方ではないのでしょうか? 授業を休むということは,お金も払っているのに,自分が本来受けるべき教育サービス(と仮に言いますが)を受けていないということ,つまり損をするということであると思います。
だから僕は基本的には出席をとりませんし,すすんで出席したいと思っていない人間を教室に括りつけておくのは授業の邪魔にこそなれお互いの益にはならないと思っています。
もしも真面目な学生が不公平を感じるとしたら,授業に出席することがすなわち単なる苦役であり,その苦役をフリーライダーだけが免除されていると考えるからでしょう。そういう学生は,逆に言えば,すすんで僕の話を聞きに来ているわけではないわけで,そういう類の人には逆に言うべき言葉が僕にはありません。何か言うとしたら「人は人,自分は自分や。ガタガタ言うな,勉強せぇ」とだけ言います。
あと,唯一の証拠というか採点の根拠が職員からのメールになってしまうのもよくないと思います。たしかに事実なんでしょうが,それに基づいて落としたりしたら,教員が自らの基準に基づいて公正に判断して評点をつけたことになるのかどうか。だいたい,教室の様子もよくわからないようなユルいシステムを使ってする授業なわけですから,これは構造的な問題で,担当者が責任取れる話ではないんじゃないでしょうか。メールは平常点についてのあくまで参考資料として,自分に見えた範囲で自分が適切に判断すればいいと思います。
まあ平常点から多少引いてやるくらいならいいんじゃないでしょうか。もちろん,試験自体が通るか落ちるかギリギリラインだったら,落としちゃっても問題なく対応可能でしょうね。実力もいまいちで平常点にも疑惑がある以上。
というわけで,試験の成績がある程度よさそうでもCまで落としてやれば,僕だったら満足かなと。何で評価が低いのかは自分の胸に聞いてみろと。そんな感じです。
いかがでしょうか。だいぶひねくれた意見だろうと思いますが。それでも昔ながらの大学教員の考え方じゃないかと思います。
これをご覧の皆さまは,これについてどのようにお考えだろうか。私の考え方はいまやDQS(※非常識のこと)なのであろうか。教えてたもれ。
- Comments: 2
- Trackbacks: 0
ラカン派日本語文献の更新
- 2007-02-01 (木)
- お知らせ
半年ぶりの更新です。今回の更新内容は,
- 日本ラカン協会へのリンク切れ修正
- フロイト全集(岩波書店)の紹介
- ラカンのセミネール関係のアップデート
- ロバート・サミュエルズの邦訳紹介
- 未整理(すいません)4件追加
でした。
それではこちらへ。
- Comments: 0
- Trackbacks: 0
Home > Archives > 2007-02





