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私の教育改革案「国会を単位制に/議員には哲学を必修化」

さて例の教育基本法だが,まずは資料から。

同時に,そもそも「憲法」とは何なのかを知っておいた方がよい。日本はむちゃくちゃに特殊なのかも知れんが,ごく普通の感覚では憲法というのは国民側が国家にはめる箍(たが)である。国民主権という話で,主権者はいったいどっちなんだという話だ。つまり国家(一部の執行部の人々)が一人一人の国民全員の権利や自由を侵害しないようにするためのルールである。今回のは「基本法」だが,これも憲法に準ずるものという位置づけなので,こんな感じでやってくれという「国民から国家につける注文書」という性格が本来である。教育というのはよくも悪くも一種の「洗脳」なので,ここはきちんと注文をつけておかないとまずいところだ。

今さら何だけども,今回の新案はまさに珍妙である。逆に国家が国民に注文をつけているのだから。というよりも底知れぬ悪意が感じられる。これの草案を作成したであろう東大出もしくは同等に高学歴の本省官僚が(いや誰か知らんけど),憲法の意味も知らないなどありえないことである。「それはちょうど気取った銀行家が,『素人にはデタラメな説明をしておけば十分』とメモ用紙に書いているようなもので」(パース『連続性の哲学』,岩波文庫,p. 127),全く国民をバカにしている。

というわけで,この改正のポイントは,国民が国家にこれだけは守ってやってくれというはずの法律が,国家が国民にこれこれを守らんとしばくぞという法律にまんまとすりかわっているというところなのである。みんな知ってると思うけど。


どうも上の方は,何だか言うことを聞かないバカ国民どもにどうすれば言うことを聞かせられるか,という点のみに腐心しているようだ。自分は駄々っ子をしつけようとしている親のつもりなのだ。しかし,そんなのは思い上がりにすぎない。今回のようなトップダウン化は,自由と民主主義に対する挑戦であり(このフレーズどっかで聞いたぞ),同時に「国民が自発的に愛国心をもてるような国はすぐ作れそうにないから,手っとり早く強制しちゃおう」という,要するに政治家の怠慢なのである。

で,最近しつけと称して子を虐待する親が後を絶たないわけだが,この雲行きでは安倍内閣も国民の虐待に手を染めない保証はないのである。ギリギリと締めつけりゃあ人は言うことを聞くのかと。まったく中国の古典でも読み直していただきたいものである。

▼てかちゃんと議論をしてくれるのなら私と意見が違うからといってこんなに非難はしない。が,ろくに議論も納得いく説明も何もなしで,誰が納得するかってんだ。

いや,正確には彼は「説明」らしきことはしている。安倍氏は次のように言っている。以下安倍内閣メールマガジンより引用(余談だが私はこのメルマガに登録した覚えはない。私が登録したのは小泉内閣メールマガジンである。一度「内閣広報室」から配信先アドレスの確認があり,その後勝手に安倍内閣メールマガジンが配信されるようになった。まあとりあえず読んではいるが,実に変な手続きだと思う)。

● 教育基本法への想い

 こんにちは、安倍晋三です。

(前略・引用者)

 国会では教育基本法改正案の審議が行われています。今なぜ、教育基本法を改正する必要があるのか、私の考えを改めてご説明したいと思います。

 現在の教育基本法が制定されてから半世紀以上が経過しました。

 戦後教育は、機会均等という理念のもとで国民の教育水準を向上させ、戦後の経済発展を支えてきました。また、個人の権利や自由、民主主義や平和主義といった理念についての教育も行われてきました。

 しかし、他方で、道徳や倫理観、そして、自律の精神といったものについての教育はおろそかになっていた点はやはり否めません。

 現在、子供たちのモラルや学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の低下といった問題が指摘されています。こうした中で、いじめ問題や未履修問題が相次いで表面化し、子供たちも保護者の皆さんも不安を抱き、教育再生の必要性をさらに強く感じているのではないでしょうか。

 海に平気で空き缶を捨てる子供に対しては、法律で禁止されていなくてもそうした行為は恥ずかしい、やってはいけないのだという道徳や規範意識を身につけさせることが必要です。

 さらに、利益にならなくても、海に捨てられた空き缶を見つければ拾ってゴミ箱に捨てる、といった公共の精神を培っていくことも必要だと思います。

 教育は学校だけで全うできるものではありません。道徳を学び、自分を律し、人を思いやる心は、家庭や地域社会の中で人と人のふれあいを通して醸成されるものです。

 こうした教育に対する基本的な考え方や価値観を、まずはみんなで共有することが大切なのではないでしょうか。毎日様々な問題が発生し、教育のあり方に対する危機感が広く共有されつつある今こそ、家庭が、地域が、学校が、そして一人一人が、自ら何ができるかを考え、自覚することが教育再生の第一歩であると考えています。

 これが新しい教育基本法の意味なのです。最近起こっている問題に対応していくために必要な理念や原則は、政府の改正案にすべて書き込んであると思っています。公教育の再生や教育委員会のあり方など、具体的な教育政策を今後検討する上でも、一刻も早い改正案の成立を願っています。

(後略・引用者)

なぜいま教育基本法を改正しなければならないか。それをできるだけ抽出してみる。

  1. 半世紀経ったから
  2. 従来「機会均等,個人の権利や自由,民主主義,平和主義」については教えてきたが,「道徳,規範意識,倫理観,自律の精神,公共の精神」はおろそかだったから
  3. いじめ・未履修問題・さまざまな問題が毎日あって教育は危機だから
  4. 道徳が大事だという価値観をみなが共有すべきだから

で,さらにまとめると,さまざまな問題が起こっているのは教育の中で「道徳」が足りないからだと。だから,まず「道徳が必要だ」という価値観を共有するためにこの法律を改正するのだと。まあそのように読める。

というか,それしか情報がない。いくらなんでもおためごかしとしか言いようがない。だいいち「道徳が足りないから教育が危機だ」という因果関係の分析はどのようにやっているのか。この因果関係を証明するのは自殺の原因がいじめだと認定するよりはるかに厄介だろう。

だいたい,「道徳」というものをどのように捉えているかが透けて見える。要するに,国家が国を愛せと言えば国を愛すような,国家が白と言えば白と言い,黒と言えば黒と言うような,そういう人間が「道徳」心のある人間だとでも言いたいのであろう。で,「いじめはやめましょうね」という教師の言うことを生徒が聞かないからいじめ問題が起こるのだと。そしてこれだけの単位を履修させろよという文科省の言うことを聞かないから未履修問題が起こるのだと。それだけだろう(というかそう類推する以外に手がかりが全くない)。

しかしそんなのは普通の人間に言わせれば「道徳」などではない。むしろ悪徳である。上からの命令だからと命令に忠実にしたがって,毎日バリバリユダヤ人を殺し続けたアドルフ・アイヒマン的・官僚的な「陳腐な悪」(ハンナ・アレント)にすぎない。だったら正反対に,上からの命令に逆らって毎日バリバリユダヤ人のためのビザを書いた日本人官僚・杉原千畝の方がよっぽど「道徳」に――ええとですね,ラカンだったらむしろ「倫理」と言うとこなんですが――適っているだろう。

それはちがう,そんな邪悪なことは私は考えていないと安倍首相が笑って否定されるなら,ぜひとも「国家による愛国心の強制はこれを禁ずる」という文言を,新案の中に含めてほしいものである。中国の古典の話をしたけれども,為政者は力ではなく徳によって国を治めてほしいものだ。「道徳」は国民全般より特に為政者に必要なのである。でないと「美しい国」になんかならんでしょ? 血みどろになっちゃってさ。

▼さて本題(今ごろかよ)。私は私で教育再生は必要だと思う。それは年来の愚民政策もあってか,最良の国民ですら政治に対して何もできず,無力感に取りつかれ,結局強いものについた方が徳かなーと漠然と考えるしかなくなってしまった。そうではなく自分たち国民がリアルに国家を支えているのだという「公共の精神」を賦活すること。一人一人がシニカルにならないようにすること。ダメな政治家はきっちり落とすこと。知識人は(うわー死語だ),いや多少情報を収集するのに長けている人は,いろんな情報を広めること。

あと,日本にはあまりにも哲学がなさすぎる。哲学を学ぶということは,哲学者の説を勉強して覚えて云々ということとは全く違う。そうではなく,自分のアタマで合理的かつ批判的に(ものごとをよく吟味して,ということ)考え,問題を発見し,解決策を見出すことのできる力量を涵養することにほかならない(ほらちょっと前に「生きる力」って言ってたアレですよ)。あの横着な政治家連中を見てもわかるように,「道徳」というと,お仕着せのルールに従わせるという発想しかない。これは愚民政策の成果で(いいのかその因果関係は),やはりものを「考える」ということを知らない種類の人間の発想である。つまりは連中には「道徳」の本当の意味がわかっていないということだ。

いや。右翼政治家だけじゃなくて日教組とかにも同様のことを感じてますよ。私はいわゆるサヨクとかじゃないんですよ。そんなのは全くどうでもいい。

ルールというのは天から降ってくるのではない。人間が決めるものだ。なぜそれがルールであらねばならないか,それ以外ではありえないのか,それをルールの中で問うことだってできないはずがないのである。そこが民主主義社会ならば(私は核武装についても議論してよいと思うよ。ただし結論は見えているのだから時間と公費の無駄と言いたいだけ)。そしてもしも道徳の根幹を問うならば,それは必然的に倫理学的または哲学的なものになるしかない。哲学は実生活の役に立たないと思っておられる方が日本には数億人おられると思うが(霊を含む),それはまったくの誤りだ。実は哲学こそが,「生きる力」の本体だったのである(おお,まるで『青い鳥』みたいだ)。

こういうことがホントにわからないかな。いやむしろ「わかりボケ」ではないかな。だって倫理学とか哲学とかまでいかなくとも,そこまではちょっと考えれば普通にわかるレベルのことなのだから。中学生にだってちゃんとわかっている。安倍内閣に,今回の教育基本法改正案はおかしいんじゃないですか,と手紙を送った中学生に,脅迫メールが届いたという話。メールの主はいったい誰なのかなあ。

匿名の大人が中学生を脅迫

安倍政権は,ルール自体を問う国民の権利を摘み取ろうとしているように見える。この国が民主主義国家であるというのなら,それを教育基本法とそれにまつわる議論の中でしっかりと示した方がよいはずだ。まずはこのメールがどこの誰から送られたのか,サーバーとアカウントを特定していただきたいものである。別にやろうと思えばすぐできるでしょ。

もしもわかりボケでないなら,こういう問題は国会議員に基礎的な教育が足りていないから起こっていることになる。逆にもしもわかりボケ=故意犯なら,国会議員にはマジで「道徳」が足りないことになる。よって,いずれであれ国会を学校化し,単位制を導入し,哲学または倫理学を選択必修にすることを提言したい。もちろん履修漏れには厳しく対応すべきである。

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