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貧乏は 悪だと思う 鄙の冬

家が狭くて毎日イライラする。何をどう片づけても片づかない。妻は毎日しゃかりきになって片づけをしているが,やっぱり片づかない。床面積に比べてモノが多すぎるのだからあたりまえだ。

本も多すぎるということで,断腸の思いで処分しようとする。ブックオフに2度ほど売りに行ったが,1冊50円程度にしかならないので非常にヘコむ。われわれブックワームは,書籍というものに商売道具という以上の,強い愛着を抱いている。今後ブックオフでは105円の棚以外では何も買わないぞ(それでもぼったくりやんけ)と心に誓う。

我が家の書斎(離れ)である研究室も,どうにかしないともう狭い。留学中にたまった郵便物やら講義資料やら会議資料やらがテーブルに盛られている。これを片づける時間は私にはない。机の向きも変えたいのだがそれもままならない。

だいたい留学前に使っていたパソコン2台が,帰ってきたらなぜか両方とも動かないというのが腹立たしい。こうなると,赴任時に買ってもらった19インチモニタ(もちろんブラウン管)が邪魔でしかたがない(何も映らないし)。みな捨てたいと思うが制度上そういうわけにもいかない。

どっちにしろしょうがないので,今年度の研究費で新しいパソコンを購入したのだが,これがなかなかうまくいかなかった。というのも,国立大学法人は掛売り(後払い)でものを買うから,売ってくれる相手というのもだいたい決まってしまうからである。

▼ざっと見渡すと,やはりメーカー直販系サイトが,欲しい要素を満たし,要らない要素を削ったカスタマイズ・モデルを提供している。やはりこういう,そこそこ安くて,自分が必要な機能を備えたものを私は欲する。しかしながら,サイトには法人も買えるようなことが書いてあったとしても,購入実績のあるなしによって買うことができないケースが多くて困る。

ということは,カタログに載っているモデルから選んで,「これちょうだい」と出入りの業者に頼むということになる。だがこれだと,かなり高くつくのである。大学が法人化したいま,かつては潤沢だった個人研究費は絶望的なまでにシュリンクしてきているので,その枠内で買うためにぜひ節約したいのである。

にもかかわらず,カタログ・モデルはCPUやメモリに照準して選ぶと,要らないTVチューナーとか変な機能とかが意味なくついてきてしまうし,そういうののないのを選ぶとコアの非力なマシンしか選べない。そう簡単に新しいパソコンは買えない(し捨てられない)のだから,わかっていて非力なものを買うのはたいへん面白くない。

これはよくないだろう。改善しないと。こんなご時世だからこそ,ぜひカスタマイズ・モデルを買うことができるよう,物品請求システムを再構築する必要がある。出入りの業者でも何でもいいから,とにかく買えるように。

▼というかそもそも,「単年度決済」というシステムが,国立大学の無駄遣いを育んできたのである。年間の予算がまず決められ,そのとおりに執行されないと,「あ,あんたとこそんなに要らんのね」ということになり,翌年度から予算が減らされてしまう。これを避けるために不要不急の物品を買い,予算通りの金額をきっちり使いきらねばならないのである。年度末にいたるところでやっている無意味な道路工事と同じ原理である。

文系の場合,研究費で買うものの主なものはもちろん書籍である。しかし毎年書籍を予算通り買っていたら,どんなに広い研究室でもすぐにいっぱいになるのは目に見えている。すでに何十年も勤めている教授は,とうに自分に必要な文献は(新刊を除けば)あらかた手元にもっている。しかたがないので最新鋭のパソコンでも買っておこうか,ということになる。使いこなせるかどうかは問題ではない。ただ予算の消化が至上命令なだけである。

▼ああ! それも書いていてイライラしてくる無駄ではあるがしかし! 無駄とは言うものの,もしこれを節減してしまうと,地方経済に与える負の影響も無視できなくなってくるはずだ。すなわちこの節減を行えば,地元の業者は利益を失う。ものをアホみたいに買っていたところが急に財布の紐を締めれば,経済が縮小し景気が悪くなる。

パソコンを直販で買うということは,地元の小売業者の頭越しに,中央のメーカーに利益をもたらすということである。小売で身を立てている中小の地元業者にとっては死活問題であろう。

だから,こういう無駄遣いは従来,全国から吸い上げた国費を,国立大学という部門を通じて地方の業者へと還流させる,(決して麗しいとは言えない)公共事業ないし再分配システムでもあったわけだ。そしてこのシステムもいま滅びようとしている。そのことは喜ぶべきなのか悲しむべきなのか。ここで「悲しむべき」と言ったら非難轟々だろうか。

こういう不条理は,都会に住んでいると絶対にわからない感覚である。私もここ大分に就職するまではまったく無関心だった。現状を知れば知るほど「これではいつまでたっても浮かび上がれないぞ」という焦燥感がいや増しに増してくる。

▼物品は研究室に残るものだから,それを自由にできるわれわれ教員はこれまで「不当な」利益を得ていたのか。はたまた大学に物品を卸す業者が,本来は必要ないはずの,莫大なマージンを取る地中海貿易における中世イタリア商人的存在だったのか。

「資本の論理」に従えば,こういうのはすべて「夾雑物」であり,淘汰されるべきところのものであろう。確かに,地元業者との取引を優先するというのは公平性を欠いた(独禁法違反の)行動ではある。しかし「公平」に行動したら中央にしか利益が回らないようになっているシステムというのも,まるっと「不公平」であると言ってはいけないのか。地方は地方で,つましかろうとささやかだろうと,それなりに生きては行けるようになっていないと,やはりおかしいのではないか。

ロールズだとかセンだとか,ああいうことをもっとわれわれは考えてもよろしいんじゃなかろうか。

地方が元気になるようなシステム,またそうなるように奨励する制度を構築しなければ。あるいは何か突破口があるのだろうか。実は私にも一つ策があることはあるのだが……。うまくいくのかどうか,もうちょっと考えてみよう。

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