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いろんなもん de ラカン入門

しばらく更新しなかったが,実はちょっくら帰国し,諸般の手続きに忙殺されていた。コメントを書いたのに放置された方々,まことに申しわけない。

日本では「ホリエモン騒動」が本当にかまびすしかった。なぜ「ドラえもん」同様に「ホリえもん」じゃなくてみんなカタカナなんだろう。そんな疑問を抱きながら,この問題についての報道を眺めてきた。

ライブドア vs. フジテレビの対立というのは要するに,資本の論理 vs. 護送船団の論理,というふうに要約できると誰かが言っていて,そりゃそうだなと思う。なぜかホリエモンにとても憤っている人(たとえばニッポン放送の社長)もいるが,われわれは資本主義の中でやっているのだから,合法の範疇でやっているホリエモンのやり方に文句を言える理屈は見つからないだろう。どんな会社も金儲けが目的でやっている以上,それが悪いとは誰にも言えないわけだ。


と言うと,私がホリエモンをすごく擁護しているかのようだが,特にそのつもりはなく,ただフジテレビが前から嫌いだったのである。これまではフジテレビこそが,面白ければ何でもアリな,なりふりかまわない路線でやってきたはずだ。そのくせ,こんなことがあると急にライブドアに同じ批判を投げつけている。これには笑ってしまった。オマエが言うなよ。

▼今回の騒動は,「資本の論理」というものがいかにわかりやすいか,それが如実に現れた現象だと言える。逆に「資本の論理」にのらない人々,あのニッポン放送の妙にさわやかなおじさん社長とか,フジのTOBに応じる連中とか,が「ちょっと気持ち悪い」のはなぜだろう,というふうに考えてもよい。だってニッポン放送の声明文も見たが,残念ながら「堀江社長にはリスナーに対する愛がない」などというトンチンカンな言いがかりみたいなものだったし,声明主体の名義も「社員一同」というもので,本当に社員全員が一人残らずそう思っているならいいけれど,そうかどうかもわからない,印象操作を感じさせるうさんくさいものだった。でなかったとしても何だか苦しい,痛々しい文章だ。

ま,こんな普通な私の見解なんて誰も聞こうと思わないだろうので,この件をラカン的に見てみよう(どひゃー)。この対立は実は,象徴界 vs. 想像界の対立として見るとわかりやすいのである。というか逆で,今回の騒動に照らしてみると,ラカンのこれらの用語を理解しやすい,と言うべきだろう。

金銭と財物の授受は基本的には等価交換だし,どこの誰と交換しようがそんなことは本来問題ではない。「合理的経済人」なら「効用」を「最大化」することだけが目的。こういう価値観でやっていくなら,交換に際して人がしなければならないことは本質的には機械的計算にすぎない(原理的には。塩沢由典の言う技術的問題はさしあたり置いといて)。

これに対して,想像界というのは,「ご近所づきあい」とか,「ムラ社会の論理」とか,そういうものに代表されるものだ。マルクスの言葉で言えば「人格的依存関係」。心理的で情動的な情の世界だ。交換を行う相手を選んだり,決めてしまったりする。かりに値段が少し高くてもそこから買う。つまり経済外的なファクターを経済活動に入れてしまう。こういうのは象徴界にどっぷりつかった立場からは「気持ち悪」く映ること請け合いである(今回も,「フジに株をあえて安く売るなんて理解できない」「株主への説明が難しい」とか言う人,けっこういたよね)。

▼しかしだ,単純に資本の論理=象徴界,とだけ言うわけにも実はいかない。バリバリの資本主義者といえども,想像的なものを侮れない面はある。それは「交換を永続化する力」にある。象徴的交換は,そのときだけの交換なので,交換が終わると貸し借りゼロ,ハイそれまでよ,ということになる。象徴的交換は,その意味ではむしろ,「(人格的依存)関係を終わらせる」所作なのである。これに対して,交換が終わっても,次なる交換をしたいとわれわれをして思わしめるもの,「関係を開始させる」もの,それこそが想像的なものである。

要は,貸し借りが完璧にゼロにならないように,交換をしつづけること。そのためには,かっきり計算できない何かを,前回の交換のなかに残しておかなければならない。そこに想像的なものが関与している。およそ資本主義というシステムは,象徴的なものと想像的なものとを両輪として駆動している。「構造」と「力」ですな。

ちなみにゲーム理論では,1回きりのゲームと無限繰り返しゲームでは有効な戦略が異なるが,想像的なものこそが,ゲームを無限繰り返し型にする。1回きりなら「裏切り戦略」が有利なゲームでも,それが無限繰り返しゲームになると「協調戦略」の方が有利になる場合も多々ある(「フォーク定理」というやつね)。

フジサンケイグループだけでなく,日本企業の「系列」というのはこの魔術を活用していて,裏切り戦略を互いに採用し厳しい裏切り合戦で相互に疲弊するのを防ぎ,均衡点を協力戦略に落として中長期的に共存共栄することで,それぞれが利得を得ようとするものだ。そうなると市場は「閉鎖的」,というか「一見さんお断り」という形をとってくる。「一見さん」とか「外国人」は,永続的に共存共栄のパートナーになってくれるとは限らない(いつかはシステムから去ってゆく)から,そういう主体に(最終ターンで)裏切られるリスクは,いつものパートナーと取引している場合に比べて高いことになる。だから参入障壁が高くなるわけだ。ここから差別論みたいなことについて,また別の機会に書きたいと思うが。

▼ところで,飛行機の中で次の本を読みましたとさ。

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内田 樹
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5 恋愛と教育は誤解の上に成り立つ
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5 先生はえらい?

これはきわめてあっさりしたタイトルと,平易すぎて背中が実際にかゆくなる文体とは裏腹に,コミュニケーションなるものの本質を的確にえぐった名著だと思う(いずれ文献案内に載せるつもり)。その中でもやはり,交換=コミュニケーションそのものだけではなく,それを永続させる契機について触れられている。あとかつて大学の機能について論じる際に,私も「料理の鉄人 vs. 定食屋のオヤジ」とか「芸術家 vs. 職人」といった比喩を使ったが,内田先生は「F1ドライバー vs. 自動車教習所の教官」というので説明している。そうそう,そういうことなんだよ。これには大いに溜飲を下げた。

実はこの夏前くらい?に,フロイト/ラカンの解説本がまた出る予定だが,その中に私自身「貨幣論とフロイト・ラカン」なる原稿を書いた。ホリエモン騒動,『先生はえらい』,と上のような意味でつながる流れにあるものなので,この文脈とあわせて多くの方にご賞味いただければと現時点において願っている次第である。

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