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世界各国ドラえもん受容度調査・中間報告

ひょうたんから駒,思いつきから始まった「ドラえもん調査」ではあるが,とりあえず人類学的に面白いとは言えるだろうので,カテゴリーを「研究」に移して,続きをやっていこうと思う。マジでやってる場合でないので片手間に。「受容度」というのは曖昧なものだがとりあえずは「認知度」という程度の意味で。「好感度」となるとまた違うのよね。だからさしあたりあまり深く考えないことにする。

世界の『ドラえもん』については今のところ,以下のような情報ないし証言を得ている。

  • アジア諸国では十分に受け入れられている(例・インドネシア by 白石さや先生)
  • アメリカ合衆国では確かに未放送
  • ヨーロッパでは
    • イタリア(放送中,グッズもあり)
    • スペイン(放送中)
    • フランスでは2年前に短期間のみ放送(M6チャンネル),その後打ち切り?に

不思議なのは,妙にイタリアで力が入っていることである。実際そうなのだろうか。もしそうだとすると,おそらく意図的なマーケティング戦略と見るべきであろう。

あと,スペイン語放送はあるわけだから,ラテンアメリカにどこまで浸透しているかが興味深いところである。ネットで検索するだけでいろいろ出てくるのだが,哀しいかな,スペイン語とポルトガル語の区別が自分ではつかないので,知り合いに聞こうと思っているところである。ポルトガル,ブラジルも大丈夫そうな気はするのだが,真相やいかに。

浸透度のバロメーターとして,グッズないしキャラクター商品の有無がポイントと考えられる。Nutella(チョコペースト),Kinder Surprise(菓子),Pepsiがドラえもんをキャラクターとして採用しているのは確認できた。これらはドラえもんの認知度を前提とした戦略と考えられるので,これらが販売されている場所では基本的にドラえもんの認知度は相対的に高いと考えられる。

▼なお,アメリカで受け入れられない理由としてあげられるのが,

  • のび太がダメ人間すぎて同一化できないこと(ソシログきしさんの指摘)
  • クリスチャニティ。つまり人間(のび太)が機械(ドラえもん)に支配されることへの抵抗。また知性ある機械そのものに対する抵抗(とある知人の指摘)
  • しずかちゃんの入浴シーンが放送コードにかかるらしいこと(Genさん)

第2の点について。人間型ロボットがホンダやソニーによって作られたにもかかわらず世界的には反発を買っている(こともある)という記事を見たことがある。キリスト教では人間のかたちをした知性的な存在は「神」が創造するものであって,そういうものを人間がつくるなどというのは冒涜的らしい。ハァそうですか。残念!(これ最近流行ってるよね? ね?)

第3の点については,「ドラえもんは子どものマンガなのに,ヌードや日本の伝統的性差別の要素を含んでいる」とする英文の記事を私も発見した。それによれば,何が性差別かって,「あわれなしずか」は風呂嗜癖者として描かれていること,また当初はクラスで1番の成績という設定であったのに出来杉の登場により2番手に下げられてしまったこと,が引き合いに出されている。うーん。ほとんど言いがかりだと思うが,いかがか。まあこのページはあまり更新されていない店晒しページのようである。

なおアメリカ,カナダなど北米でも,広く一般に受け入れられてはいないにせよ,一部には熱狂的な支持者が存在することは確認できた。あとはやはり南米を詳しく見る必要がある。情報求む!

【解説 物語一般についての精神分析的仮説】

幼児は「全能性」を求めるので,むちゃくちゃ強いヒーローとか,女の子だったらすごい魔法が使える人というのが理想像(「同一化」の対象)になるはず。かつ,親の側の視点を入れると,そういうパワーをもった誰かが正義(社会規範)を実現してくれれば言うことなしということになる。子どもと親の両方に受け入れられないとダメだからして。

アメリカだとスーパーマンとかバットマンとかスパイダーマンとかひねりのないスーパー・ヒーローが多い。ただしこれらのヒーローでさえ,努力や代償なしに特殊能力を獲得するという設定はあまりないように思われる。

一方日本人は判官贔屓だからか,ドラえもんみたいにダメ人間のび太が未来のテクノロジー(全能の力)をもつドラえもんを所有する,というようなかたちになりやすいようである。あるいは昔のスポ根ものなどを考えてみても,血の滲むような努力その他諸々が代償となってはじめて,超人間的な能力を獲得することになっている。

要するに日本のヒーローではその弱点が強調されているか,あからさまであるがゆえに,「全能性」の達成方法にひと捻りあるということになろうか。まあそれが話を面白くするんだと言えばそうなのであろうが,日本人には弱点があるほうが同一化(感情移入)しやすいからではないかという見方もできるだろう。

こういう話の原型になるのが,精神分析でおなじみのいわゆる「エディプスの神話」という,オイディプスが父を殺して母を娶るというやつである。これは悲劇版だが,ハッピーエンド版では勇者が悪者を倒してお姫様と結婚するみたいな話になる。ありがちである。ディズニーの話などはほぼすべて,ハッピーエンド版「エディプスの神話」として読むことができよう。

ファンタジアやや脱線だが,ミッキーマウスはその形状からしてたいそうファリック(ファルス的)である。顔面から鼻が突き出ている点でもそうだし,3つの丸からできている点でもそうだ(「3」は男性器を象徴する数とされている)。しかもうちの息子が生まれてこの方こよなく愛する『ファンタジア』『ファンタジア2000』に出てくる「魔法使いの弟子」役ミッキーなどは,ブルー地に星や月のついた魔法のとんがり帽子をかぶっている。帽子自体が二重の意味でファルスである(形状がとがっていること/魔法のパワーの象徴であること)。ミッキーがこの帽子をかぶると,これほどわかりやすいファルス的フィギュールがあろうかというほどである。ファルスの中のファルスである。しかのみならず,「魔法使いの弟子」というプロットも,全能なる魔法使い(父)に取って代わりたい不肖の弟子(息子)が暴走し・案の定大失敗するというエディプスそのまんまの話である。最後はお尻ペンペンですむ話なので悲劇というほどではないけれど(ちなみに原作はゲーテ)。何でこの話がそんなに好きなのかなあと,言いたくなるがラカニアンは言ってはいけないのかな。まあ,みんな夢を見たいんですよ夢を。

▼話を戻そう。他の日本のアニメでちょっと気になるのは『クレヨンしんちゃん』である。あれは日本でもそうだが,親からの評判はよくないはずである。「教育によくない」という声をよく聞くだろう。しんちゃんは確かに無敵だが,正義の名のもとに無敵なのではなくて,単に好き放題(欲望に忠実?)なだけなのだから。あれはあれで幼児性の表現としては的確なのであろうが,社会規範を無視しているという意味で「退行的」(より子細に見れば「肛門期的」)と言える。性的な面だけ妙に大人のそれっぽい描写になっているのも「欲望自然主義」的な感じというか。予想では,ラテン系の人々にはこれはこれで受け入れられそうな気がするのだが(笑)。そしてドイツだとダメで。彼らはきっと抑圧の方が勝つからね。子育てうまいと評判だし。

あと,フランスでも大人気の『ポケモン』に関しては,ゲーム→トレーディングカード→アニメというその成立事情に絡むことだが,「いろんな種類のものを集める」という要素が目につく点である。昆虫採集とか(これはポケモン集めにいちばん近そう),切手収集とか,子どもの頃に何かを集めたことのある人は多いだろう。「集める」「貯め込む」ことに喜びを感じることは肛門期的特徴に一致するので,やはりこれも幼児的な特徴を示していると思う。こういうのがフィットする感性は普遍的なのか,文化によって濃淡のあるものなのか,見てみたいところではある。

宮崎アニメもまた様々な要素を含んでいるので取扱注意な感じだが,私の好みでない説教くさい作品,ヴォルテールに曲解されたルソーみたいな「自然を大切にしようね」とか「戦争反対!」とかいうようなメッセージのはっきりした作品(例えば『ナウシカ』とか『もののけ姫』とか。『ハウル』も反戦ですな)に焦点をあてると,調査としては面白くなるかもしれない。こういうのはフランス人(大人)は好きそうである。ちなみに私自身はイイタイコトが早めに見えてしまう映画は何かちょっといただけないのだが。わかりやすいメッセージなどないほうがましではないのか。要約可能でない方がいいのでは。その意味で,ジブリなら『トトロ』あたりがいいかな。それはどうでもええねん。

自然回帰志向の文化と,先進テクノロジー志向の文化とでは,好みのアニメにもおのずと違いが出てくるだろう。ドラえもんもやはりテクノロジー志向の国(おそらく先進国より発展途上国?)で受容される可能性が高いのではないかな? さぁどうかな?

というわけで,私は実はこういう分析は苦手なのだが(アニメとかよく知らんからね),精神分析の理論を学ぶとこうとしか見えないというおハナシである。

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