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大学教員の仕事と報酬

タイトルどおりである。何のひねりもない。オチもない。ただ,書いておかないと忘れそうなのである。というのは真っ赤なウソで,このエントリーは基本的に単なる愚痴なのである。

ただ,世間の誤った認識に猛省を促す意図もある。「大学の先生は休みが多くていいですね」とかいう人がいたり(休んでるのは学生だけじゃ!),「ボーナスいいんでしょ」とか新聞屋に言われたり(お前まさに今,オレのアパートのぼろさを目の当たりにしてるやろ!),「税金対策にマンション経営をお考えになってはいかがですか」とか(対策いるほどもうてへんわ!),「画廊ですが1点いかがですか」(はい?)とか言う人がいると,もう,アホかと。バカかと(以下略)。

さすがに「画廊」(女性)が研究室を尋ねてきたときは呆気にとられたものである。ガロウという名前の本屋か何かあったっけ。いや生命保険か? 一瞬頭の中がホワイトアウトした数秒後,気を取り直して聞き返してみた。

「え? え? あの,えーと,絵を売ってる画廊さんですか?」

「はい……」

「画廊さんが私に何か?」

「何か1点くらいほしいとお考えになったことはありませんか?」

「いえ……とんでもない……ありえない……考えたこともありません」

困惑のなかでそう私が言うと,もはや彼女は何も言わず,深々とお辞儀をして去って行ったのである。

大学の教員なら絵に興味のある人はいるだろうが,実物を買えるカネをもっている人など実家が金持ちな人を除けばありえないだろう。あのような無駄な営業をしていて,企業として大丈夫なのだろうか。他人事ながら心配である。というか,よほどわれわれはカネをもっていると世間には認識されているらしい。ここを正さねば,さらなる「被害者」(営業する方も,される方も)があとを絶たないに違いない。

▼先日までわれわれは国家公務員だったので,その時期の話をまずすれば,俸給表というのが知らんうちに(人事院勧告から? よう知らんわ。もうどうでもええわ)決まっているのである。しかも言っちゃあ何であるが,どんなにエラくて世界的にも有名な教授大先生だって,官僚制のなかでは吹けば飛ぶような存在だ。

公務員としては末端中の末端,文字どおりペーペー

なのである。国立ではないけれど,知事に一発で蹴散らされた,超優秀な都立大の先生たちの死屍累々を見ても明らかだろう。どっちかというと,大学の先生になりたい人はカネがほしいのではなく,自由とか名誉とかがほしくてなるのである。大学教員になれて,かつお金もたくさんもらえている人は,かぎりなく偶然に幸せなのだ(ただしそういう例外的な人が存在することも事実ではある)。

それはともかく,独立法人化によってじゃあ給料が上がるのかといえば,答えはもちろんNoと言える日本であり,それは大学経営を効率化しようがしようまいが同じことである。というのも要するに国からの支出を抑えるのが法人化の本来の狙いなのだから(違いますか?)。効率化なんてあなた,ハハハハハ。まるでお話にならないのである。

教育産業・受験産業に携わっている人には周知の事実だが,だいたい人様にものを教えてカネを取るというようなことが,良心的な事業として成立するはずはない。効率的なやり方は,大教室でのマスプロ授業やサテライト授業だ。つまりいかに少ない教師(支出)でいかに多い生徒(収入)を教えられるかである。したがって少人数教育などという麗しき非効率は駆逐される運命にある。結局のところ,マスプロ化に手を染める(手を抜く)か,はたまた少人数でバカ高い授業料を取る(ぼったくる)か,2つに1つなのである。このさじ加減が難しい。受験産業の人々を非難しているつもりはない。みんな「無私」でありたい善良な人々も,悩みながらやっているのである。実は私も私塾をつくろうとしたことがあったので,そのへんのジレンマは大いに共感できる。

国立大学における教育という営為が,公的に必要と見なされている事業,すなわち公共事業であった場合にはじめて,このジレンマは解決される。公的な資金がそこへ投入され,非効率な少人数教育も維持されうる。しかし今は空前の不況だけに,目に見えてカネを食うのに成果のほうは目に見えにくい教育という部門は切り捨てられる流れにある。しかたないといえばしかたない気もするが,先のことより今の利害しか考えないというのはあまりに刹那的ではないか。

私の予想だが,国立大学については今後,学生の授業料が上がるだろう。いや,国立大学という防波堤がなくなれば,公立・私立大学の方も値上げすることが将来的には考えられよう。どこも今ですら人手不足なのに,これ以上リストラされたらやってはいけない。したがって大学としてはサービスを低下させるか,人的リソースを何とかして確保するかである。後者であれば自動的に経済的リソースをも確保しなければならないことになる。大学も人気商売なので,サービス低下は避けたいところだ。ディズニーランド・パリみたいに「安かろう,悪かろう」ではなく,東京ディズニーランドみたいに高い値段で高いサービスの方がマシではあるだろう。

そして金持ちの子息は塾に行けて好きな大学に入れてさらに文化資本を蓄積できて,貧乏人がまたしても構造的に不自由になっていくというポジティヴ・フィードバック(振幅が大きくなっていくフィードバックね)が加速してゆくという,何ともいやな世の中である。オレらが何を言うてもこの流れは止まらないかもしれんが,言い続けるぞ。きっと上流階級が自由主義の名のもとにこの循環を固定化しようと企んでいるのだろう。がんばれ負け組! オレは限界だ(懐かしい)。

ところで,日本人の平均貯蓄高は1人あたり1100万円という記事があった。ということはうちのように4人家族だと4400万円なければならないはずだ。実際には4人家族なのに1人分にもぜんぜん足りないのはいったいどういうことなのか。なぜ国は私に給料とボーナスをもっとくれないのか。なぜそれで私に愛国心を強制するのか。謎は深まるばかりだ。ともかく一家揃ってすでに負け組確定というのは寂しいかぎりである。

まあ日本でも貧富の差がそれだけ拡大しているという話。きっとローレンツ曲線がグワァーッと下がってジニ係数がたいへんなことになっているに違いない。「貯蓄高を平均値で出すことには意味がない」というまともなツッコミもあるらしいが,ツッコむこと自体が何か哀しい。実際のところは「一億総中流意識」などと言っていたのも今は昔,どうやら20人に1人くらいがムチャクチャ貯め込んでいるらしいのだ。腹立つというよりは,羨ましい。私は素直だからだ。くだらない冗談ばかりで何言ってるかわからなくなってきたが,そればかりはキャラクター上仕方がない。

▼カネがないという愚痴はさておき,大学教員の仕事内容は基本的に3種類だ。

(1) 教育
(2) 研究
(3) 大学の管理運営

である。多くの人(学生としてのみ大学を知っている人)にとっては(1),つまり授業の時間しか目に見えないだろう。やる気のない先生だと,準備の時間がいらないので本当に授業の時間だけということになる。また(3)も見えにくいところだ。かくいう私も大学に就職するまでは何が行われているのか全くわからなかった。

大学(少なくとも文系の学部?)というのは,驚くほど直接民主制が貫徹された世界である。「教授会」という,国でいうと国会にあたるものが,学部の最高意思決定機関である。そして各学部の教授会の意見を持ち寄るのが全学レベルの「評議会」というもの。

教授会には教授・助教授・講師までは全員参加(うちの学部はね。学部によって違う)で,新入りでも意見を言えるようになっている。就職した直後は本当に驚いた。来たばっかりの私でもいろんな文句が言えるのだ。自分がつい先日まで平身低頭で教えを乞うていたようなおじさん教授たちが,突然「同僚」の意見としてものすごくまじめに私の話を聞いてくれるうえ,しかもそれが通ってしまうのである。これは衝撃的であった。

民主的なのは激しくよいのだが,民主主義は本来手間ヒマのかかるものである。徹底した議論をするのはとても疲れるし(昼から始まって夜6~8時くらいまでやっている),ちょっとのことに結論が出るまでに何ヶ月もかかったりするのが難点である。そりゃ上意下達なら意思決定は速いよ。速いけど上がロクでもない考えだとダメである。

さらにその下に各種委員会(実働部隊のこと)というのを設立して,さまざまな問題について検討したり,新しい企画を出したり,報告書・書類などを作成したりする。この委員会にも2種類あり,学部単位で動いている委員会と,全学レベルで動いている委員会とがある。後者は各学部から委員を○名出してくださいとかいうやつである。うちの学部の場合は,60名くらいの教官が無数の委員会に貼りついているので,学部・全学2種類合わせると5~10近くの委員を掛け持ちすることになり(例えば,学部の教務委員は自動的に全学の何とか委員会に出ないといけないとかもある),毎日のように会議に参集しなければならない。これも疲れる。それなりに責任があるから手も抜けない。

▼で,われわれの仕事は論文書き,授業のネタづくり,会議資料づくり,報告書づくりなど大半が「締め切り仕事」であり,授業以外は勤務時間としては(一応決まっているけども自宅研修が認められているという意味で)事実上決まっていないフレックスタイム制である。このフレックスタイム制は,文系研究者の場合は死活的に重要な制度と言ってよい。

世間的に見るとラクそうに見えるこれは本当にラクなのかというと,実はそうではなく,土曜でも日曜でも勤務時間外でも盆でも正月でも雨が降ってもクラスター爆弾が降っても関係なく,締め切りまでにやらねばならん仕事はやらねばならんということを意味する。当然だが。まあ合間合間に遊んでいる人もいるが(私だって家族サービスには力を入れている),それを理由にこの制度ごと取り上げられたら「仕事上」とても困る。時間どおり机に括りつけられているよりも,昼間は街の本屋にでも行って最新の研究動向でも仕入れてきた方がよほど教育・研究に資する。書き物は夜にすればよい。あるいは週末も使える。そのかわり,平日には妻の買い物につきあわないと。まあそういう仕事なのだ。

もっと極端に言うと,空き時間(なんてないけど)に映画を見に行ったってよいし,ディズニーランドに遊びに行ってもよい。それを教育・研究に役立てるならばだ。逆に言えばわれわれは365日,ボーッと映画を見ることは許されない。遊んでいるときでさえつねに何かを考え,観察しながらでないといけない。子どもを連れてディズニーランドに行っているときも,オリエンタルランドの経営手法についてや,アメリカ中心の経済的グローバリゼーションについて,シンデレラ城のあるファンタジーランドの特権性について(©大澤真幸),著作権に関するミッキーマウス延命法の是非について,その他諸々についてつねに思いをめぐらせねばならない。

まあそういう仕事なのだ。極端な話と思うだろうか? かくいう私もディズニーランド・パリに行くたびにいろんなことを考えさせられる。東京ディズニーリゾートの方がはるかに高いがはるかにいいサービスをやっていて,はるかに人気があるからね。これについてはまたフランス事情として書こうと思うが。子どもがいないとこういうこともあまり考えることがなかったろうなあ。

おフランスのおパリなぞに住んでいる私は,とかく羨望の的になりがちだが,皆さんフランスという国を大幅に誤解されているようだし,どんなところに行っても上述のように仕事のことが頭を離れないし,基本的にガイジン暮らしなぞそうそうラクなことはありえないのである。まあここ1年弱は(2)だけをやればよいのだから同僚の皆さんに申し訳ない気持ちがあるのも事実だが,毎日睡眠不足でへろへろである。ならブログなんか書くなよ。すみません。だって書きたいんだもん。

▼というわけでフレックスタイム制のなか,つまりは(1)と(3)つまり「学内の仕事」の合間に(2)=「学外の仕事」をやることになる。「まじめな」先生だと全部まともにやろうとするが,実際のところ物理的にできるわけもなく,結果的に(2)の自分の研究にしわ寄せがいくのは構造的な問題である。あるいは独身の先生は全てを両立できるかもしれないが,家庭をもつ身ではなかなか無理がある(研究で身を立てるつもりなら結婚すべきではない,というのは私の持論である)。仕事に打ち込んで月月火水木金金という一週間では家族に相当迷惑をかけることになるし,かといって家にいて(1)~(3)のほかに(4)家事,(5)育児,とくるともう首は回らない。家事・育児は半分ずつの分担でもはっきり言って無理だ。うーん子どもが1人なら何とかなるかな。2人以上ならアウトだと思う。1日は24時間しかないから。36時間あったら考えてやってもいい。何のこっちゃ。

普通,業績(論文とか本とか)を出していない先生は怠けてるんだと思われがちだが,実は逆の現象の方が一般的であって(と思うよたぶん),本とか出しまくりの忙しい先生ほど学内の仕事から逃げているケースが多い。そう,逃げているからこそ自分の仕事ができるわけである。学外の自分の仕事は評価の対象になる一方,学内の仕事はやってもやっても何の評価にもならないので(少なくともこれまではね),そりゃあみんな逃げたいよねぇ。こういうのを「モラル・ハザード」というのである。

私が院生の頃,師匠はよく「(自分の仕事で)忙しい,とか言って委員を引き受けないやつがいるんだよ」とぼやいていた。「忙しいなんて理由になると思うか?」。なりません。そっちが本務です。でもよほどの権力者でもいないと売れっ子先生に(しかもその場にいない人に)無理やり委員任命なんてできないし,逆にそういう人に任せるとホントに仕事をしないから結局みんなが困るということで,必然的により有能な=よく働く先生がより多くの事務仕事をこなすことになる。かくしてここでも,時間という資源,業績という生産物において貧富の差は増大するのである。

法人化などという付け焼き刃なリストラより,こういう本質的なところを改革したいですな。しかしこういうモラル・ハザードを避けるうまい方法は現在見つかっていないのである。

▼結論。とかくこの世は「貧乏暇なし」の5文字につきる。お粗末さまである。あーあ。

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